1997.7.1記
毎年、7月1日は日本の代表的な山、富士山の山開きの日です。昭和15年(1940年)の秋,夫の友人で群馬県、倉賀野に住む鉄道職員で山に詳しい宗太郎さんに誘われて、妙義山に登った当時を懐かしく思い出しました。
ガイドしてくれる宗太郎さんは、結婚3年目の私達夫婦を、横浜の家まで迎えに来てくれました。夫は32才、私は28才、彼は27才でした。
前日マップを見ながら、細かい説明を聞き、時間の余裕を見て登山することになりました。妙義山は群馬県と長野県の境だが、やや群馬に属していて、岩石金洞のたくましい奇観をみせる石の山、標高約1100mで、主としてザイルで登るそうなので、私は興味深く勇み足で列車に乗り込みました。
軽井沢の二駅手前で汽車の窓から、山は大変美しく見えました。信越本線松井田駅を下車、バスで南へ10分ほど行くと、山の麓に着き、余裕のある時間で登り始めました。群馬県の中央に赤城山、標高1828m,及び榛名山が並び、南西部に妙義山がそびえ、多数の山々に囲まれていて、遠い昔ですが、一番魅力のある山と憶えております。
さて3人で意気揚々と登っていきますと、緑の木々の茂った山道を通り越しましたら、第一番のザイルがありまして、若い男女が登りきったのを夫が見上げ大声で「大丈夫でしたか?」と問いますと「はい。まだ序の口ですよ。強気で登って来なさい」と励ましの返事です。ガイドの宗太郎さんは、この山は3,4回登ったことがあるらしく、自信満々でたいへん力強く感じました。3つ目のザイルを登ったところに、大きな一本杉がありその根っこに腰をかけ、男性二人はタバコを一服骨休み、その時宗太郎さんが、もし雷が鳴っても驚かないようにといわれました。夫は雷が大嫌い故、恐怖を感じたらしく、帰りたくなったと私にささやきましたが、この山は石で出来ているので、どんな小さな声でも聞こえるらしく、宗太郎さんに聞こえてしまい、笑われてしまいました。
頂上は「剣の刃渡」、これが有名な難所との事でした。5つのザイルを登って下山を考えましょうよと、夫に申しましたら、思ったとおり OKと受けてくれたので、お互いに励ましながら頑張って下山しました。宗太郎さんに「来年、またこれに懲りずに案内してください」と駅で別れようと思っていましたら、彼は追ってきて、「群馬の倉賀町の家にせめて一晩泊まって...」とのこと。この言葉に甘えて、私達は喜んで一夜泊まらせて頂きました。
56年前の、古い思い出の登山ですが、この部分のみはっきり覚えておりました。私の夫は16年前、宗太郎さんは、昨年の1996年5月に、惜しくも昇天してしまいました。