ティーンエイジャーの親であるおばさんへ
ティーンエイジャーの甥より.........................横山英一
 

 子供というのは、親から見ればいつでも子供だけれども、子供はいつまでも「子供」ではありません。だから子供をいつまでも「子供」扱いするのはよくないことです。基本的人権の尊重があるように、人は「子供」でも大人でも対等でなければいけません。その関係は親子でも同じことです。

親は子供を無意識のうちに見下げています。時にはばかにしたりもします。(「子供のくせに」というのはその一例です。)しかし、それでは子供は傷ついてしまいます。子供だからといって軽視せず、いつも対等につきあう、これが基本です。同じ目の位置、高さで話すことが大切です。「子供」は今どのレベルにいるのか、親でさえもわかりません。ただ、その「子供」と対等になるために、親の方がそこまで降りていかなければなりません。何故なら、「子供」は親のところまで上ってゆけないのだから。親が子供のところまで降りていった時、どのくらい下まで行くでしょうか。どのくらい下まで下がったかで、その「子供」が今、どのくらい「大人」なのか、きちんとわかるはずです。子供はいつまでも「子供」ではないのです。

「無知の知」というのがあります。ギリシャの哲学者プラトンの言葉です。彼は、自分の師、ソクラテスに対してこう言いました。「ソクラテスは自分自身『知らないのだ』ということをわかっていない。しかし私は『知らないのだ』ということをわかっている。自分は無知だと知っている方が、知らないより素晴らしいのだ」と。素晴らしいのだ、というのは別にして、この「自分を知る」ということはとても大事なことです。「自分は知らないのだ」と自覚することが大切なのです。人間というのは、自分のことをよく知っているようで、実はあまりわかっていないのです。特に日本人はあいまいが好きだから、うやむやなままの方が都合よく思えるのです。しかし、自分を知らずして、他人のことや世界のことをあれこれ言うのはよくありません。自分を知ってこそはじめて世界が見えるのです。また、人間は自分を偽ります。人は全て自分は絶対に正しいという信念のもとで動いています。自分の悪を認めたくないのです。これが「無知の知」の自覚を邪魔しているのです。

なにが言いたいのかというと、今の自分の全てを知り、そして、その現実の自分を基準として理想の自分に近づける。そうすることによって、必ず良い方に少しずつ進歩するのです。かくいう私も以前話したように、「父」を見、そして悪いところを直してきましたが、もう45年経ちますが、まだまだ直すべきところはあります。しかし、昔の自分に比べて、まだ「無知の知」を自覚してから、飛躍的に進歩しました。まずはT君にYおばさんからこのことを教えてあげてください。また、おばさん自身ももっともっと進歩してください。(進歩に限界はありません)

 

自分を知るということ、見つめて目をそらさないことが、どうしてこんなにつらいことなのか。迷いや悲しみ、怒りや夢をあこがれの漆喰で塗りかためて、僕は、自分自身の城をつくる。

 

自分を美化せず、正当化せず、偽ることなく、ありのままの自分を知ることが大切なのです。