七年程前に日本でイタリア旅行の券が当たったことがあります。クリスマスの少し前に当時日本の研究機関に滞在していた韓国や中国の人達を何人か自宅のパーティに招待しようとしていました。普段の料理は家内が作り、休日の料理やお客を招く際の料理は私が作るというように長い年月の間に我が家の役割分担が出来、また、私も向いていると言うか趣味の一つになっていました。日本的な料理の他に何か、お客にちなんだものを出そうとして、招待する一週間ほど前に、料理の試作をしていました。茹でた豚足が手に入ったので、これで何か作るか、あるいは、単純にビールのつまみに出そうかと思案していました。何気なく、包丁で豚足をいじっているうちに、骨に食い込み包丁が欠けてしまいました。10年近く愛用していたスウェーデン鋼の比較的良い包丁でしたが、慣れない素材に不用意に当ててしまったためです。
ホームパーティは他の包丁たちでしのぎました。
その後、年末も押し詰まってから、千葉の商店街の刃物専門店に包丁を探しに行きました。今度は、日本鋼の9千円位のものにしました。丁度歳末大売り出しで、抽選券を4枚貰い、私が2枚、付いて来た妻が2枚持って、抽選場所に行きました。色付きの小玉の入った容器をがらがら回転させ、出てきた小玉の色でティッシュペーパーなどの景品をくれる方式のものです。まず妻が2回まわして、外れ。私が2回まわしたら、突然係りの人達が、「大当たり」と叫び声をあげて派手な音楽まで鳴りだしました。特等のイタリア旅行券が当たってしまいました。
家に帰り、早速二人で子供や、親戚に電話したりしたところ、みんな「本当!」とびっくりし、また喜んでくれました。年が明けて職場に出て、上司などに話すと、ここでもみんな祝福してくれました。
問題がありました。券はペアでは無くて、一枚だけでした。始めはただで旅行出来ると喜び、当てたのが私だし、直接原因の包丁を買ったのも私だし、遠因の豚足も私のせいだしと思っていたら、妻が自分も行きたいと言い出しました。大売り出しの商店街に聞くと、自費で何人か同行出来るとのこと。ただでは無くなっていきました。
職場の雰囲気も最初の興奮と祝福から、実際の日程が固まって本当に参加すると告げた頃から、次第にあやしい雰囲気になっていきました。自分で自由に旅行するのでは無くて、20人程の当選者と同行者含めて30名強の団体旅行のため、1月末から10日ほどのある決まった時期の旅行でした。商店街にすれば、なるたけ沢山の人に特等を出すため、1人券を設定したのと、1月末というイタリアでも、ローマのあたりで日中の気温が数度Cから氷点下にもなる、冬のオフシーズンの一番旅行費用の安い時期の招待旅行でした。
年末年始の休暇も終わったばかりで、みんな仕事に身を入れ出す頃というので、休暇予定を話にいったところ上司がいい顔をせずに、何やらはっきりしないもの言いになってきました。そのうち、斜め上司の人などから、いろいろ雑音が入り始めました。「イタリア位そのうち仕事で行けるよ。」とか、「奥さん同行なら説得力が出てくるかもしれない。」とか、そのうち「本当に当選したのか?」とか。まじめな顔で「今は結構仕事も大変な時期だし、君の将来を考えて、券を奥さんか、親戚にあげたら」とか忠告する人も現れてきました、次第に険悪な情勢になっていきました。確かに、ややこしい仕事のまとめ役ではあったものの、この時期の仕事の進捗状況や周囲の状況から見て、私が10日休暇を取ることで、その仕事がうまく行かなくなる見込はほとんどありませんでした。
しかし、有給休暇が制度上あっても、それを取り切る人が殆どいない日本の組織の中では、新婚旅行とか、親の葬式とかと違い、突然外国に遊びに行くというのは、人々の不文律に背くというか、あるいは隠れたルール違反といった受け止め方が多かった印象です。しかも「男性」で、そりれなりに年を食い重い責任もある「管理職」で。例えば「女性」の旅行だと、多分それ程みんながびっくりしない雰囲気がありました。裏返せば、無意識の男女差別の固定観念が隠れていたのだと思います。また、「若い」男性の休暇の場合も最近はそう目立たないという面があります。
結局、休暇手続きを取り、家内も休暇を取り、二人で手を繋いでイタリアに出かけました。
私は団体旅行はあまり好きではありませんが、商店街の歳末大売り出しの当選者の団体ですから、乱数表で抽出したのと同じで、千葉近辺の人々という共通点はあるものの、偶然による老若男女入り交じっての面白い組み合わせでした。一人の人もいるし、当選者から券を譲って貰った人もいました。やはり、諸事情を考慮して当選はしたものの、旅行出来ない人もいたようです。券を他人にゆずることは可能でしたが、参加しないからといって「現金」には替えてくれないとのことでした。 中年の女性連れも、どちらがあたったのか、父親と娘の二人連れもありました。夫婦の組みは3組ほどだけでした。傑作だったのは、高校生の男女のカップルで、旅行に参加すると卒業真際なのに出席日数が足りるかどうか微妙だとか言いつつ参加してきました。成田空港で、このカップルを見ていると、片方の親達は見送りに来て、沢山写真を撮ったりして、カップルを公認している趣きでした。もう一方の親達は、出発時も帰国時も現れませんでした。ホテルの部屋は二人一部屋で、当然のようにこのカップルは同じ部屋でした。毎朝ホテルのロビーに皆が集合するときは、男の子の膝に女の子が乗ったり、バスの中でもいちゃついていたりしていました。次第に、単独参加や二人連れ中年女性たちが、この高校生カップルに対して反感を抱くというか、欲求不満を増大させられるというか、みるからにこの二人を避けるようになりました。例えば、バスの席を出来るだけ遠い所に座るとか、食事のテーブルも、この二人から離れるとか。似た年頃の娘を連れた父親も、なるたけ娘を連れてこの二人から離れていました。時たまの自由行動の時も、この二人から離れる人々が大部分でした。勿論、この二人はどこ吹く風で、けろっとしていました。
冬のこの時期は、ミラノ、ベネツィア、フィレンツェ、ローマとどこも空いていて、観光客も掏摸らしき人々も殆どいませんでした。一度ジプシーの数人がいましたが、向こうも目立ち過ぎて、我々の傍に接近出来ませんでした。いるのは、我々日本人と韓国人団体客とおぼしき旅行者だけでした。寒風を物ともせずに、しかも夜に、ベネツィアのゴンドラに乗った勇敢な人達は、何人か風邪を引きました。美術館などは観光客が少なくゆったりと楽しめました。
帰国すると、仕事は部下たちがきちんとすすめていましたし、事実上は何も問題はありませんでした。後輩の人達からは感謝されました。これで、我々も休暇旅行などがしやすくなると。
このイタリア旅行に味をしめ、数年後、3月の終わりから4月にかけて、銀婚記念旅行にドイツ南部にある古代ローマ軍団の駐屯地や交易路であった、ロマンティッシュ・ストラーセ行きを計画しました。この時は上司はすぐに賛成してくれたものの、今度は部下の中に難色を示す人達がいました。例えば、「年度末で契約とか、決裁書類とかいろいろありうるのですが。」と。ここは、出向先の別の組織でしたが、やはり構成員は日本人的日本人でした。