話の種 42号  

マス・メディア 二題

..................................小河原 英二

人から本を借りて読むことに最近はまっている。一番の効用は、自分ではおそらく手に取らないかもしれない本を読めるということである。弁護士のAさんからお借りしたボブ・グリーンの「アメリカン・タイム」を読んでいる。1988年に集英社から出版された単行本のエッセイ集で、Aさんは古本屋で100円で買ってきたそうだ。

ボブ・グリーンは私より5歳年上、ということは52歳になるアメリカのジャーナリストである。彼の文章には、人間に対するとても暖かい視線が感じられる。「新聞記者の仕事」について彼は書いている。「この仕事をしていると、辛いこと、ばかげた悲劇、人間の汚い面に直面し、それを記事に書かねばならない。しかしごくまれに素晴らしいことに遭遇し、いやなことがすべて吹っ飛んでしまうようなことがある。」彼はある大学のフットボールチームの元コーチが亡くなったとき、追悼記事を書いた。それまでこのコーチは世間に誤解されていた。いつも「倒されたら倒し返せ!」と怒鳴るだけ。サイドラインで暴力行為を働き、追放された。飽くことなく勝利だけを追求する人物にすぎないというわけだ。彼が生まれたのはこの大学のある町だったし、大学の試合を応援する熱烈な観客の一人でもあった。彼はぜひこの元コーチに会ってみたいと思った。そして、追放され、病気になったコーチにインタビュー。その結果、このコーチは暖かい、人間味のある側面を持っていたことを知った。そのことを病気で亡くなったコーチの追悼記事に載せたのだ。

「勝つことと同じくらい重要なことがあるのは、君も知っている通りさ。父からよく聞いた偉大な伝道者の言葉がある。"死の訪れる夜にしてなお、希望は星を眺め、ささやかれる愛の言葉は翼のはばたきを聞く"。わかるだろ、大事なことは常に勝つことじゃない。常に、希望を持つということなのさ。」

記事が掲載されて数ヶ月の後、彼のもとに元コーチの未亡人から手紙と写真が届いた。「主人の墓に記念碑が建てられることになりました。その碑銘を考えましたが、よい言葉がみつかりません。人に相談したところ、あなたの新聞記事を教えてもらいました。あの言葉は主人の人柄そのもので、私たちが考えていたことにぴったりだったのです。」写真はあの言葉が刻み込まれた記念碑のカラー写真だった。

さて、ボブ・グリーンのエッセイを読みながら、感情移入して、涙をぬぐっていると、NHKのテレビで、「思い出のメロディー」をやっている。ヒデとロザンナが一緒に歌っていたかつてのビデオを最先端のコンピューター技術で編集、亡くなったヒデがひとりで写り、歌う映像を準備して、そして番組に出演するロザンナとデュエットをしてもらうというもの。等身大の大画面にうつるヒデと、かつてのままの素晴らしいデュエットを歌うロザンナの姿を見て、また感涙にむせんでしまった。でもロザンナは涙一つこぼさず歌いきり、歌唱のあとの司会者からの問いかけに、「とてもすばらしかった。昨日まで一緒に歌っていたみたい。今になって、ちょっとアブナイ状態です。」と言い、ステージを後にしたのである。感動的な場面だったけれど、しばらく考えてなにか割り切れないものがのこった。ロザンナは9年前に夫でかつ仕事のパートナーであったヒデがなくなったあと、一人で子供を育て、一人で仕事をこなして、やりとげている。そのロザンナが断ち切ったはずの過去の思い出に無理矢理ひきこんでしまったのではないか。番組では過去のビデオを流せばいいのではなかったか。最後のロザンナの言葉がひっかかってならないのだ。NHKの番組制作者には、「人間」の気持ちを大事にしてほしかった。

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