..................................小川 洋子
子どものいない私達夫婦は、時間にとらわれることなく良く旅をしてきました。 どの旅もふたりにとっては忘れることの出来ない印象深い旅でしたが、しかしいまなお、旅した事がまるで昨日のように感じられる不思議な旅を経験しました。それが、四国遍路の旅なのです。
もう、13年前になります。夫が急に四国に行こう、巡礼してみようと申すのです。体力と期間を考えると徒歩では到底無理でしたが、自転車なら行けそうだと話し合い、早速、自転車に荷物を積んで、大阪を出発しました。春真っ只中の4月の中旬でした。そして1500キロの旅が始まったのです。
四国遍路の旅とは、弘法大師の足跡をひたすら慕って、88ヶ所のお寺を巡拝して歩くと言う素朴な信仰です。私達は、真言宗に格別ご縁があった訳でもありませんし、また神仏を大事にしながら生活しているわけでもありませんでした。私も夫も仕事を持っていましたが、とても都合良く十分な休暇の期間が取れました。思えば、出発からなにか不思議なことばかりあったように思います。旅をするように準備されていたと言うか・・・・。
一番札所の霊山寺で、数珠と納経帳と菅笠を購入して、本堂と太子堂で般若心経をあげました。気持ちは高揚し緊張していましたが、満たされていました。そして、どんなことがあっても88番の大窪寺を打って結願し、ここに戻ってくることを夫も私も誓ったように思います。
春の四国はいたるところで菜の花や蓮華草が咲き乱れ、吉野川や四万十川は大河の様相を示し、太平洋の荒波は豪快さそのものでした。何よりも青い空や青い海は、疲れた身体を十分に癒してくれました。親切なやさしいまなざしを持った四国の人々にも励まされました。
しかし、地図を頼りに目指す札所はそう簡単に見つからない時がありました。何度も道に迷いました。その日の宿が見つからず不安になった時もあります。疲れてくると些細なことで喧嘩もしました。遍路道は厳しく、自転車に乗っているがために峠が越せません。台風の直撃に出会ったときは雨風の中の走行になりました。 トラブルは毎日のように発生し、度重なると苦しくなってきて私達は何をしているのだろうか、何のためにこんなことをしているんだろうかと思い始め、無性に大阪での生活や友人が懐かしく思われ、旅をしていることが悲しくなることもありました。
それでも私達が旅を続けられたのは、やさしい四国の人達のまなざしや自然はともかくも、ずっとだれかに守られているような、何か大きな懐に抱かれているような存在を夫も私も感じ、それが次の札所,札所へと私達を導かせたように思われてなりませんでした。
一番札所の霊山寺を出発して20日目に結願の88番札所の大窪寺に到着しました。合掌し般若心経を唱えているとこみ上げてくる思いがいつまでも続いて涙が流れてとまりませんでした。夫も静かに涙を流していました。遠くから聞ける読経を聞きながら、いつまでも合掌していました。
それから翌年、翌々年と同じ旅を続けたのです。菜の葉の咲く早春になるとあの四国の大自然と人々のやさしいまなざしが思い出されて、旅支度をして直ぐにでも遍路の旅に出かけたくなる衝動に駆られているその後の私達です。
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