バイ バイ カイザー…………………………………………………………… 河上正三
先日、我が家のボクサー犬・カイザーが亡くなりなりました。享年14歳8ヶ月。大型の犬としては、かなりの長寿で、人間でいえば96歳ぐらいです。カイザーは、家族の一員としていろいろな経験を共にし、楽しい思い出を一杯残して、逝ってしまいました。この犬を通して、西洋との文化的な違いみたいなものにも、遭遇しました。その一部を紹介させていただきます。
カイザーとの出会い
出会いは1986年、米国のニュージャージーです。当時幼稚園生だった、一人っ子の長男が異国での生活に早く慣れる為にと思い、知り合いからブリーダーを紹介されたのが縁でした。以来14年間、家族の一員として、長男にとっては最も信頼できる兄弟として生活を共にしてきました。ボクサーはあの顔に似合わず、家の中で赤ちゃんのお守りもする、大変やさしい犬です。このブリーダーでは、性格の穏やかな犬に育てるため、生後1―2ヶ月間、母犬と過ごす間、毎日モーツアルトを聞かせて育てていました。90年の帰国の際も、成田まで犬専用のオリに入れ、睡眠薬を与え、同じフライトです。狂犬病の観察のため、2週間空港近くの保護機関に保留後、初めて入国です。まだ、あまり問題になっていないようですが、この制度と施設がとても日本が動物愛護とは程遠い国である事を示しており残念でなりません。 観察期間中は、檻にいれられ放置されたままです。獣医の仕事は狂犬病のチェックをするだけで、その犬が他の病気にかかっていても知らん顔です。あの不便な成田ですから、毎日会いに行くわけにはいきません。子犬や寂しがりやの犬で、死んでしまうケースも良くあると聞いています。箱入息子のカイザーはこの2週間ですっかりやせ衰えてしまいましたが、幸いなんとか生還してくれました。海外でペットと暮らした人も、この制度の為、日本に連れてくるのをあきらめる人が多いようです。国際化のなか、より融通性のあるやり方は無理にしても、もう少し動物への配慮をしてもらいたいものです。
カイザーという名前
強そうな名前が良いということで、ドイツ語で皇帝を意味するカイザー(Kaiser)と名づけました。日本語なら、犬を『陛下』と呼ぶようなものです。ドイツ人の友人にカイザーの話をすると、『ペット犬にカイザーなんて名前...』といった具合で、ジョークになりません。また、或る日、『ペットの姓名判断』てな本を読んでいたら、ナポレオンとか、キングとか、あまりにも立派な名前をペットにつけると、家運が傾くので要注意!てなことがかいてありました。そんなこともあり、我が家ではもっぱら、『カイちゃん』とか、『カイ』と呼んでいました。幸い、我が家の家運はまだ、傾かずにすんでいます。
以前ドイツに住んでいたころ、アパートの横が畑で、春には羊がうまれ、良くえさをやって可愛がっていましたが、もともとが食用にお百姓さんが飼っていた家畜ですから、いつのまにか数が減っていきます。なんとなく可哀相に思い、聞いてみたら、いくら可愛くてもペットではないから...という返事です。では、ペットと家畜はどこで、区別するのかと聞いたところ、『ペットに名前は付けるが、家畜には付けない』という返事でした。皆さん、どう思いますか? 私はいまでも、何となく分かったような、分からないような感じです。楽しかった14年間
私は、カイザーが元気なころ、毎朝一時間ほど散歩し、地元の5キロと10キロのマラソン大会に、一緒に参加したこともあります。 好奇心の旺盛な犬で、何度か行方不明になりました。96年に、今の稲村ガ崎の家に引っ越して来た時も、ふらっと出かけたまま見つかりません。犬はその土地にしばらく居て、オス犬なら電信柱なんかに自分の匂いを付けたりしながら方向感覚を身につけるらしく、新しい土地でいきなり迷子になることは珍しく無いそうです。その場合、途方にくれてしまい、結局は野垂れ死にというケースも多々あるそうです。カイザーの場合、『ひょっとして以前住んでた所に行ったかな』とも思い、調べましたが、手がかり無し。幸い、近くの交番のお巡りさんが見かけたという情報あり。ただ、『恐そうだったので放っておいた』という頼りない返事のみ。結局当日は見つからず、翌朝一番で探しに行き、やっと見つかりました。何と3匹の野良犬と岬の洞窟に暮らしている、動物好きのホームレスのおじさんのところで一宿一飯の世話になっていました。丁重にお礼をし、家に連れてかえりましたが、どういうお礼をして良いか分からずそのままにしてしまいました。その後散歩の時など、このおじさんに良く会いました。カイザーは例によって、親しげに甘えて寄って行きます。一度『その節はお世話になりました』と言ったところ、『どういたしまして。一度皆さんでうちの方にもお越し下さい』とホームレスのおじさんから招待を受けてしまいました。この話は、我が家でカイザーに関する笑い話ナンバー1になっています。老犬介護の日々
そんなカイザーもよる年波には勝てず、2年前ごろ急に全身麻痺の様に倒れました。幸い一命は取り留めましたが、原因は頚椎の神経を傷めたためで、下半身が徐々に自由が効かなくなりいずれは寝たきりになってしまう病気でした。老衰の一つで根治は無理、静かに残りの人生を過ごさせるしかないとの診断でした。それからの2年間はまさに老犬介護の毎日です。幸い、頭はしっかりしており、しかも根っからの明るい性格です(獣医さんの話では、やはり暗くなったり、落ち込んでしまう犬も多いそうです)。カイザーの場合、自分が病気であること、自分の先が短い事など意識して無かったようです。『生老病死の苦』は人間だけが持つ、『不便な特権』かも知れません。ただ、自分の体が自由に動きませんから当然飼い主に要求をしてきます。『家の中にいれろ』、『喉が乾いた』、『えさをくれ』、『寒いからなんとかしてくれ』...てな具合です。耳が聞こえなくなってからは、ワンワンと叫ぶ声が益々うるさくなってしまいました。そのため、はっきりしゃべらしてみようということになり、お腹がすいたら『マンマー』、なにか用事があるなら『ママー』という言葉を教えたら、見事にマスターしてしまいました。人間も犬も、追いつめられたら隠された能力を発揮するようです。皆さん、信じてくれないでしょうが、カイザーははっきり『マンマー』と『ママー』と発音していました。そこで大変になったのが、我が家のママです。こうして、一日中(ただし一日23時間ぐらいは寝ていました)、『マンマー』と『ママー』というラブコールの連続の日々が一年近く続いたわけです。カイザーのQOL( Quality of Life )
こうしてペットの死期が近くなり、益々世話は大変になってきます。つらい決断を迫られる時期も避けられないかもしれません。こんな或る日、ニュージャージー時代に近所だったMrs. Polizerという女性と議論になりました。彼女は飼い主にはぐれた、猫の世話をボランテイアでやっている人です。彼女から、犬のQOLという話を初めて耳にしました。QOLという言葉を聞き、老犬介護に明け暮れる我々には、それは『飼い主のQOL』のことではと耳を疑ってしまいましたが、彼女の話はあくまで『カイザーのQOL』で『飼い主のQOL』ではありません。彼女の主張は、『カイザーのQOLの為に、薬とか車椅子とか何か手をうてるかもしれない。でもカイザーがカイザーらしく生きられなくなったら、カイザーのQOL の為にも早く楽にしてあげるのが飼い主の責任だ。』というものです。 それに対し、我々の主張は、『本人が意欲満々で、一生懸命生きようとしているだから最後まで面倒を見るのがカイザーのQOLのためだ。』です。犬のQOLなど考えたことのなかった私にとって、この議論は新鮮な驚きでした。また普段の仕事で当たり前の様に使っているQOLという言葉の真意を自分が本当に理解しているか少し不安にもなりました。一見シンプルなQOLという言葉の中に、実は大きなカルチャーの違いがあるのかもしれません。さて、カイザーはこんな議論があったことも知らないまま、7月の熱い日にしずかに息を引き取りました。数日来の猛暑でかなり憔悴していました。ペットの葬儀屋さんに来てもらい、翌日骨箱に入っての帰宅です。しばらく我が家の仏壇で一緒にすごし、ペット霊園で埋葬してもらうつもりです。 合掌