自由詩 三篇………………...………………………………………………..鈴木冨美子
緑の血はガラス管の彼方へ
爆音
雪の日、北鎌倉東慶寺付近を想いうかべて
緑の血はガラス管の彼方へ
採血台にのせる腕は、決まって右側を出す。
検査液を入れられる時は、だまって左側を台にのせる。
長年の経験がまるで一つの癖になったように「あら、濃い血ね」若い看護婦はさらりといった
「コンディションの一番良くない日なの」ぼそりとつぶやいたのに
「でもいい血だわ、薄い人もいるのよ」中指ほどの採血管に五本もぬきとられた
―――濃くても薄くてもいいのよ、あまり血をとらないで――――
と叫んで、病院中を走りたくなった。手にもっている検査の内容紙には
グリコーゲンのG、アスロ、O.Hなど
やたら 片仮名とローマ字が並んでいる
これだけの血をあたりまえのようにしてとってしまって
痛み料ぐらい出してくれてもいいのにと愚にもつかないことを考える
反対に高い検査料金を払って頭をさげる
病人と病院の関係ってさかさまね私の分身よ、役目がすんで病院の下水道に流されるまで
しっかりと病院中をみておいで
まずは試験管の中に入り込んで
痛みや苦しみをもった仲間と検査室に運ばれるのよ隣のガラス管の名前をみてごらん
男性の名前だったらちょっと微笑んでね
「ななた どうなさったの?」
「この頃、背中が痛いんでね」帰ってくる声で若いか
としとっているか分かるでしょ。
試験管の内での恋は若い人の方がいいわ
ニヒリストのガラス管は微かにゆれているからきっと分かるわよ
僕はいったい何の病なんだろうって、ガタガタしているのよ
普段と裏腹にね
検査液やピペットが見えるでしょ
白衣の検査官がやさしいといいわね
夕べの燃えるような恋をした人だと
ぼーっとしていてあぶないわ
A液とC液を間違えて入れてしまって
おもわぬ結果になってしまうでしょう
朝、喧嘩をしてきた人もいけないわ
プレパラートの上にのせられてしまうかもしれないでしょ
だから、ガタガタとゆれているニヒリスト君の
隣からは離れないことね
特別だから、検査官も目がさめて落ち着いて
調べてくれるわ
その次だから安心しなさい分身よ
試験管の内でかきまわされたり
無数の液体が入ってきたり
ごくろうさま、疲れたでしょニヒリスト君と束の間の恋ができた?
もう私の体に戻ってこない分身の血よ
若いニヒリスト君と手に手をとって
下水道を早くぬけ出て海へおゆき
そしてまたいつの日か私の体内に
違うかたちで戻っておいで
爆音
頭に被さってくるような低いにぶい爆音
ふいに意識は<昭和十八年>に戻っていく
<B29>
今の子供たちは知らないだろう
ロッキードなら翼の先まで知っているのに
頭の上を飛んでいるのは、確かに<B29>のあの重い響きだ陽をたっぷりとうけたカーテンを透かして
庭の樹木に目をはしらせる
かっての防空壕がそこにあるのでは、と
一瞬、体が揺らいだ
今はその片鱗もなく、白い沈丁花がゆったりと咲いていた―――軍管区情報B29編隊鎌倉上空を通過―――
ティータイムのメロディーと情報発令の声が
頭の中で交錯する
太陽が私をつつみこんでいる こんな静かな午後なのに
二年ほど前、数キロ先の住宅地に
米軍機が墜ちた
以来、空路を少し 変えたので
重い爆音が時折 私の上を飛んでゆく腸と脳の記憶をゆすぶり起こす
<B29>は
なぜ、私を選んで飛ぶのだろう
私の心に思い出として残ってもいないはずだった
あの音は
なぜ今も <B29>の 爆音なのだろう
雪の日、北鎌倉東慶寺付近を想いうかべて
雪の日の 一人あるきの 傘えらび
蛇の目がやはり 似合いでしょう
音の無い白い道が つづきます
わたしが つくった 足あとだけが
かすり模様になっていて
ふり返ると 遠くの模様は
もう消えてます
笹撓めの 竹の下をくぐりぬけ
藪柑子の雪をはらって あげました
赤い実が うれしそうに 小首をかたむけ
雪の中に 映えてます
傘の色をかくしてしまう雪を 両の手で
くるくるっと まわすと 私の顔が明るくなりました
若い僧徒の雪ぬれの手が 蓑のかさの下にありました
たもとで 口許をおおった 私の ぬくもりを
そっとわけてあげました
わらぞうりの足あと と
高下駄の足あとが
ひとところに止まり
また、右と左に分かれ模様になりました雪の日の 一人 あるきの景色のなかに
私は だまって とけました 雪の降る日に 一月十三日