ラ・ガーディア空港の天使……………………仙北谷(せんぼくや)満昭(みつあき)
シカゴに帰る時だったと思ったが、ニューヨークのラ・ガーディア空港で出発時間が大幅に遅れ、乗客は二階のラウンジで待たされることになった。ラウンジといっても通路に平行した一角で、夜も遅く、通路を通る人もほとんどないため、通路はもっぱら子供たちの遊び場になっていた。乗客には黒人も多く、子供たちは通路に出て白人と黒人が左右に分かれて別々に遊んでいた。子供たちも遊びあきると広い通路はまた閑散となり、乗客も待ちくたびれ、乗客のいらだちを押し隠すような重たい空気が流れていた。
しばらくすると、左側の乗客の中からよちよち歩きの黒人の幼児が両親から逃げ出すように走り出ては両親の所に駆け戻るといった戯れをしていたが、右側の客の中にも似た年頃の幼児が両親を相手に同じように戯れていた。まるでヨーヨーのように両親の元から通路に向かって走り出ては両親の元に戻る。しかし、走り出す距離が徐々に両親から遠くなると同時に、どういうわけか2人の走り出る経路が漢字の八の字のようになってきた。そのうち2人が走り出るタイミングがたまたま一致して、八の字の頂上で両者の距離が2mほどまで近寄った。互いに相手の存在が目に入ったのか、白人と黒人の2人の子どもは両親を忘れでもしたかのように互いに向き合って通路に突っ立った。すると、突然、見ず知らずの2人の子が駆け寄って抱き合ってしまったのである。その様子を所在なげに見ていた乗客たちは一様に驚き、誰もが口をつぐみ沈黙し、その光景を凝視した。幼児は抱き合ったまま離れようとはしない。まるで時間が止まってしまったかのようだった。期せずして演じられた場面はいかなる名画をも凌ぐ一幅の絵であり、誰もが声を呑んだのは、それが単なる感動を越えた人間の心の奥底でのみ感じ取る純粋な美しさ、というより日常の生活で押し隠されている心に引き起こされた突然の共鳴というのが当たっているかもしれない。
しかし、直ぐに現実世界に引き戻された人々は両親の挙動に注目した。どちらかの親が飛び出してきて幼児たちを引き離すかもしれないと想像した人もいたであろう。多くの人がそれを危惧し或いは期待したかもしれない。人種の偏見と確執は現地で長く生活してみなければ分からない。すぐに驚きと感銘に日常よくある緊張が入り交じった。やがて幼児が抱擁を解いてそれぞれ親元に駆け戻ると、全体に張りつめた緊張は糸が切れたように消えて、中断され凍結されていた人々の小声の会話があちこちから漏れ始めた。
突然2人の天使によって演じられた行動は、大人たちの人間の心を揺り動かすと同時に、麻酔をかけたかのように大人たちの常識的行動を釘付けにしてしまったのである。あの場に居合わせた誰もがやはりあの子たちのように純真で、人を憎む心もなく、皮膚の色で人を差別することもない幼児期があったからである。間もなく搭乗案内のアナウンスがあり、乗客は何ごともなかったかのようにそれぞれ搭乗口に向かいはじめた。