![]() THE HAPPENINGS FOUR ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ザ・ハプニングス・フォ− クニ河内 (作詞、作曲、キーボード、ボーカル、編曲)1940/7/7 ペペ吉弘 (ベ−ス、ボーカル)1942/2/24 チト河内 (作詞、作曲、ドラム、コーラス、編曲)1943/2/24 トメ北川 (ボーカル、パーカッション)1948/3/23 篠原信彦 (キーボード、ボーカル)1946/7/18 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー *** 結成前 1964年に福岡で結成されたラテン・ロック・バンド「サンライズ」が母体。メンバーには、クニ、ぺぺ、チトのほか、パーカッションにペドロ梅村(現ペドロ&カプリシャス)、ボーカルに里見洋(その後、レオ・ビーツ→ルートNo.1→里見洋と一番星)も参加していた。66年に、ミッキー・カーティスのスカウトにより上京。バンドボーイだったトメ北川が加入。川添象郎の「アスカプロ」に所属し、全国のホテルのラウンジ、ナイトクラブ、キャバレーなどで演奏。東南アジアツアーも行う。66年のビートルズ来日時には、宿泊先のヒルトンのラウンジでビートルズの前で演奏したという伝説もある。 *** デビュー 1967年、黛敏郎らの命名によりザ・ハプニングス・フォ−と改名。「渡辺プロダクション」所属に。グループサウンズ全盛の中、ギター不在の異端GSとして、クニ河内作詞作曲のデビュー曲「あなたが欲しい」(東芝)がヒット。ジャケット・デザインは横尾忠則が手掛ける。ジャズ、ラテン、バロック音楽などをポップスに融合させたサウンドは、特にニューミュージシャンや評論家など玄人受けするものだった。基本的にカバー以外は自作自演のオリジナルというところも、当時類を見なかった。 68年のデビュー・アルバム『マジカル・ハプニングス・ツアー』は、1万円札のパロディを見開きジャケットにしたデザインが話題を呼んだ。69年のセカンド・アルバム『クラシカル・エレガンス・バロック&ロール』は、ポップスをクラシックの手法で編曲、デザインは「JUN」とのタイアップという極端に洒落た作品となった。 69年からは、篠原信彦を加えたダブルキーボードで、プログレッシブ・サウンドを展開、他のグループのセッションにも多数参加している。 70年のサード・アルバム『アウトサイダーの世界』は作詞に北山修を迎え、バラエティかつメッセージ色の強い作品。同年12月に発表した「クニ河内と彼のともだち」名義のアルバム『切狂言』は、ボーカルにジョー山中、ギターに石間秀樹を迎えた「プレ・フラワートラベリンバンド」的作品といえる。 71年の『引潮・満潮』は、全曲クニの作詞作曲となる和製ニューロックの名盤と評価されるコンセプト・アルバムで、これが最後の作品となった。71年は、ピンクフロイドが出演した「箱根アフロディーテ」や日比谷野音をはじめ、野外のロックフェスにも多数出演しているが、72年には解散する。 *** 解散後 バンド在籍時代から、布施明「そっとおやすみ」(元はハプニングス・フォーのレパートリーだった)などのヒットや、フラワ−トランベリンバンドの「MAP」など、多くの楽曲を提供していたクニ河内は、ソロ活動も行いながら、主に編曲、CMソングをてがけるようになる(「ぴかぴかの一年生」など)。クニのソロとしては72年発売のシングル「透明人間」がヒットしている。70年代後半からはNHKのテレビ番組など児童向けの音楽活動に専念している(現在も全国各地の幼稚園や保育園にて活動中)。 チト河内は、吉田拓郎との新六文銭を経て、74年にトランザムを結成。プロデューサー兼リーダーとしてコカ・コーラのCMソングやドラマ「俺たちの朝」「俺たちの旅」シリーズなど、多くのヒットを生んだ。現在もプロデュ−サ−/アレンジャーとして活動。最新作は、渚ようこ『ギーナサドンバ・リサイタル』や、ザ・ヤングなど。 トメ北川も、トランザムに参加するがアルバム一枚で脱退。ソロ活動に専念。現在、麻上冬目の名前でも活動中。 ぺぺ吉弘は、71年にハーフ・ブリードのポール・リーや近田春夫らと企画グループ「羅生門」を結成。モンド色強い『日本国憲法』、ソフトロックの『インディアン死よりも赤を選ぶ』をリリースした。 篠原信彦は、フラワートラベリンバンド、トランザムの後、沢田研二、萩原健一、ヨーコ・オノなど、現在まで多数のレコーディングやライブのサポートを行っている。 *** 再評価 90年代後半、リアルタイムで知らない世代による、ハプニングス・フォ−再評価の波が突如訪れる。若手のミュージシャンや、DJからも支持され、ファースト・アルバム「マジカル・ハプニングス・ツア−」は、オリジナル仕様のアナログ盤で再発売された。 *** 再結成 2001年12月28日、神戸チキンジョージにて突如オリジナルメンバーが四人が集結し、30年ぶりの活動再開。 2002年に入り、篠原を加えた5人編成(場合によりゲストプレイヤーの参加もあり)にて、8月から9月にかけて、帯広サマーフェスティバル・東京Shibuya-AX・名古屋クラブクアトロ・大阪クラブクアトロ・福岡ZeppFukuokaとライブツアーを行う。共演はクレイジーケンバンド、渚ようこ、バンヒロシ、ザ・シロップといったハプニングス・フォーの ファンでもあるアーティストたちが参加。9月発売の音楽誌「ロック画報」(ブルースインターアクションズ)では、ハプニングス・フォー特集が組まれ、元サニーデイ・サービスの曽我部恵一によるインタビューも掲載された。12月には神戸チキンジョージ、京都磔磔とツアー。 2003年2月、北海道ツアー(旭川、帯広2ケ所)、下北沢CLUB Que二日間連続ライブ。3月、ザ・ハプニングス・フォー新録音の7インチアナログ盤「ト−キョ−・ブ−ガル−/恋人よ」が限定発売。6月、新潟市民芸術文化会館、東京クロコダイル二日間、静岡アウトサイダー二日間ライブ。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー index |