悲しみの淵に沈んでいるなら・・・
主は言われる、
わたしがあなたがたに対していだいている計画は
わたしが知っている。
それは災を与えようというのではなく、
平安を与えようとするものであり、
あなたがたに将来を与え、
希望を与えようとするものである。
その時、
あなたがたはわたしに呼ばわり、
来て、わたしに祈る。
わたしはあなたがたの祈りを聞く。
(旧約聖書「エレミヤ書」29章11・12節)
私たちは悲しいこと、つらいことがあった時、
「どうしてこんなことになったんだろう」と考えます。
ある人は「日頃のおこないが悪かったからかも知れない」と考え、
またある人は「先祖の供養が足りないからかも知れない」と思い悩みます。
家の方角のせい、
名前の画数のせい、
厄年のせい。
ある時、イエスさまと弟子が道を歩いていると、
道ばたに生まれつき目の見えない人が座っていました。
弟子たちはイエスさまに訊ねました。
「先生、この人が生まれつき盲人なのは、
だれが罪を犯したためですか。
本人ですか。それともその両親ですか」
イエスさまは静かに答えられました。
「本人が罪を犯したのでもなく、また、
その両親が犯したのでもない。
ただ神のみわざが、彼の上に現れるためである」
(新約聖書「ヨハネによる福音書」9章)
日頃のおこないでも、名前の画数でもなく、
家の方角や厄年のせいでもない。
先祖や身内に問題があるのでもない。
神さまはひとりひとりの人生に
よいご計画をもっておられ、
目的と意思をもって造られたのです。
希望を与え、平安を与え、
神とともに輝いて生きるために。
この原則を見失うとき、
私たちは自分の生まれてきた理由や
生きている意味を見失い、
喜びのない、
びくびくした人生を送ることになってしまうのです。
神のみわざが現れるために。
あなたが今あるようなかたちで造られたこと、
今いるところでしていること。
今あなたが直面していること。
「わたしが知っている」
という神さまのことばを、
あなたはお信じになりますか。
Photo:Happy Islands
"Into Rose Garden"
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