いいようのない孤独に囲まれているなら・・・


「あなたが呼ぶとき、主は答えられ、
あなたが叫ぶとき、
『わたしはここにおる』と言われる」

(旧約聖書・イザヤ書58章9節)

「わたしは世の終わりまで、
いつもあなたがたとともにいるのである」

(新約聖書・マタイによる福音書28章20節)


「わたしは地の果てから、あなたを連れてき、
地のすみずみから、あなたを召して、あなたに言った、
『あなたは、わたしのしもべ、
わたしは、あなたを選んで捨てなかった』と。

恐れてはならない、わたしはあなたと共にいる。
驚いてはならない、わたしはあなたの神である。
わたしはあなたを強くし、あなたを助け、
わが勝利の右の手をもって、あなたをささえる」

(旧約聖書・イザヤ書41章9・10節)


「見よ、おとめがみごもって男の子を産む。
その名はインマヌエル(主、我らと共にいます)ととなえられる」

(旧約聖書・イザヤ書7章14節)


私たちを造られた神さまは、「わたしはあなたを見放すことも、見捨てることもしない。強く、また雄々しくあれ」と言ってくださるお方です。

まるで親が乳のみ子を常に懐に抱き、どこに行くにもいっしょに連れ歩くように、やさしく腕に抱き、持ち運んでくださるという約束が、聖書のあちこちに書かれています。

たとえ地上のすべての人間が背を向けても、この方だけは私たちを愛し続けてくださいます。その存在を知ったとき、私たちは根元的な孤独から解放され、真の意味で強くなれるのです。

あなたはひとりではありません。
どんな時でも、全能の神、天地の造り主があなたと共にいてくださいます。

もしも我が子が罪を犯し、極刑に処せられることになったとしたら。たとえそれが我が子のしたことの当然の報いだったとしても、「できるものなら代わってやりたい」と考えるのが親というものではないでしょうか。

私たちは神さまに対して罪を犯し続けてきたため、ひとりも例外なく極刑に処せられることが定められている、と聖書は言います。

でも、神さまは我が子である私たちひとりひとりの刑罰を、代わりに受けようと願い、事実、受けてくださいました。手足を十字架に釘づけられ、血を流して。

その方の愛が、今も注がれ続けています。
あなたを今、この瞬間もじっと見つめています。
温かな腕で、やさしく抱きしめています。
あなたの名前を呼び、髪を撫でてくださっています。
そう、どんな時も・・・。

ほら、もう淋しくないでしょう?

インマヌエル・・・主 我らと共にいます・・・




Photo:Happy Islands
"Lonely Robin"
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