過去の傷に苦しみ続けているなら・・・
「主は言われる、わたしがあなたがたに対して
いだいている計画は わたしが知っている。
それは災いを与えようというのではなく、
平安を与えようとするものであり、
あなたがたに将来を与え、希望を与えようとするものである。
その時、あなたがたはわたしに呼ばわり、
来て、わたしに祈る。
わたしはあなたがたの祈りを聞く」
(旧約聖書・エレミヤ書29章11節〜12節)
あのことを思い出すたびに、心が焼けつくように痛み、苦い記憶がこみ上げてきて、 苦しくてたまらなくなるのですね。 はっぴもそうです。 あの時、あんなことさえ・・・。 どうしてわたしはあんなことを・・・。 思い出すだけで胸は張り裂けそうになり、やりきれない苦々しさに顔が歪みます。 自分のしてしまったこともさることながら、そんな自分にさせたあの人この人のことや、周囲の状況を考えるだに、いまなお恨みと後悔に支配されている自分に気づくのです。 苦しみ続けることによって、自分に罰を与えているような気分になって、少しは罪滅ぼしになるような気がするんですね。 じゃあ、それで本当にあなたは幸せですか。はっぴはね、決して幸せじゃなかったです。きれいさっぱり、あのことは忘れて、新しい自分に生まれ変わって、もう一度やり直したいと思いませんか。 |
神はあなたがたを子として取り扱っておられるのである。
いったい、父に訓練されない子があるだろうか。
肉親の父は、しばらくの間、自分の考えに従って訓練を与えるが、
たましいの父は、わたしたちの益のため、
そのきよさにあずからせるために、そうされるのである。
すべての訓練は、当座は、喜ばしいものとは思われず、
むしろ悲しいものと思われる。
しかし後になれば、それによって鍛えられる者に、
平安な義の実を結ばせるようになる。
(新約聖書・ヘブル人への手紙12章7節〜11節)
聖書の舞台・イスラエルでは、子どもを教育するのは父親のつとめでした。現在の日本では、母親が主に子育てをしています。ですからこの聖書の箇所は、子育てをしているママさんたちには特に、よくわかるのではないでしょうか。 あなたの子どもが何か悪いことをしたとしましょう。 あなたは当然、子どもを叱ります。時にはこらしめもします。それは、その子がもう二度と同じ過ちを犯して自分を不幸にすることのないように、そして幸せな人生を歩むようになるためです。決してもう立ち上がれなくなるように願って、のことではありませんよね。 同じように、天のお父さまである私たちの造り主、神さまも私たちに同じことをなさらないでしょうか。 「どうしてこんなことになったのか」 「なぜ、神さまはこんなことが私に起こるようにされたのかしら」 「どうして人の世には苦しみや悲しみがあるのだろう」 人は試練を通して、この世の摂理や神さまの存在に目を注ぐようになります。 自分の、そして人の心の内側を深く探り、この世には人の力や人知の及ばない領域があること、そして目に見えない大きな存在によって、自分には理解できない計画があらかじめ定められていることなどに思いを至らせます。 こらしめを与えた後、子どもがいつまでもそのことにこだわり、自分を責めて、「おやつよ。あなたの好きなプリンよ」「公園に行って遊びましょう」と誘っても首を横に振ってうなだれ、じっと部屋の隅に座ったまま落ち込み続けていたら、あなたはどんな気持ちがするでしょう。心は痛み、悲しい思いをするのではないでしょうか。 子どもには、どうして親がそんなことをするのか(予防注射なんていやなものもあります)・・・理解できないですね。でも、親にはちゃんと理由があるのです。それはあなたが幸せになるためであり、あなたを守るためなのです。どの親も、その親心をいつか理解してほしいと願っています。そして笑顔で両手をのばし、自分の胸に飛び込んで安らいでほしいと願っているのです。 あなたは自分の子どもに自分を信じてほしいですか。 さあ、立ち上がって、天の愛なる父の懐に飛び込み、笑顔を取り戻しましょう。そしてつらかったことは父に預け、新しい一歩を踏み出しましょう。 あなたの造り主は、あなたが幸せな人生を送ることを願っておられるのです。 あなたはご自分の造り主を信じますか。造り主のあたたかいまなざしを今、感じてください。 |
Photo:Happy Islands
"Pierced Heart"
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