三島由紀夫と楯の会に、自衛隊が情報員訓練 元幹部証言
自衛隊情報部署新設利権に利用された!?


2001-5-25

  70年11月に作家の三島由紀夫が「楯(たて)の会」会員らと東京・市谷の陸上自衛隊東部方面総監部に乱入して自決する前に、陸自調査学校(東京都小平市、現・小平学校)が、三島と「楯の会」会員らに情報員としての訓練をしていたことを、元陸自幹部が証言した。クーデター計画も打ち明けられていたという。調査学校は当時、自衛隊の治安出動に備えて大規模デモに潜入して情報収集する実地訓練もしており、それにも三島らは参加していたという。なぞの多い三島事件と自衛隊との関係が改めて論議を呼びそうだ。

 証言したのは調査学校の元副校長で元陸将補山本舜勝(きよかつ)さん(82)。72年まで同学校で「心理情報戦」に対処する情報要員の教育にかかわった。

 山本さんが三島と出会ったのは67年暮れ。そのころ三島は「楯の会」の前身となる民間防衛組織をつくり、体験入隊の形で自衛隊の訓練を受けていた。師団長を務めた陸自OBらの要請で、68年5月から山本さんは調査学校の部下とともに三島らに情報員としての訓練を行った。

 内容は、ゲリラ戦を想定したものが主体で、講義のほか都心で変装して尾行をしたり、グループに分かれてひそかに連絡を取り合ったりするなどの訓練もあった。三島自身も労働者に変装して簡易宿泊所街に入り込んだこともあるという。

 調査学校は、若手陸自幹部に外国語や情報に関する教育をするため、54年に設立された。

 こうした訓練には調査学校の学生も一緒に参加していた。三島への訓練は上司にもある程度報告しており、「半ば公認されていた」という。

 また、「新宿騒乱事件」につながった68年10月の国際反戦デーの集会では、調査学校の学生と「楯の会」のメンバー計数十人が、山本さんの指揮で学生らのデモ隊の中に潜入し、組織リーダーがだれかなどを調査する訓練を行っていたという。

 訓練は安保闘争の高まりを受けて、自衛隊の治安出動を想定したもので、調査学校の教育課程は増強され、訓練に参加する三島らの食費などが公費でまかなわれたこともあるという。

 三島は有事の際に自衛隊とは別にゲリラ戦を行う防衛隊の設立を構想しており、同じ考えを持つ山本さんと交友を深めていった。事件の前年の69年6月に三島に呼び出され、「楯の会」が皇居に突入するという「クーデター計画」を示されるが、山本さんは反対。同席していた三島シンパの自衛官に「憶病者」とののしられたという。そのころから三島との間に次第に距離ができたという。

 防衛庁はこれまで情報員訓練の内容や三島との関係を明らかにしていない。山本さんは「三島は自衛隊の治安出動を機にクーデターを構想していたようだ。当初はそれに理解を示した自衛隊幹部もいたのではないか」と言う。その上で「決して狂気に走ったのではない。訓練を受ける中で自衛隊への期待を高め、その後に裏切られたと思ったはずだ」と話している。

 山本さんは三島との交流をまとめた『自衛隊「影の部隊」――三島由紀夫を殺した真実の告白』(講談社)を来月出版する。


 防衛庁は「本の内容が分からないので、コメントは差し控えたい」としている。
http://www.asahi.com/national/update/0525/021.html