このページの作者に興味を持たれた方は是非読んで下さい。最初の部分(下の方)には私の【自分史】があります。後半は2人の子を育てている母としての【教育観】や【子育て日記】になります。これから結婚して子どもを産む人も、今子育てで悩んでいる人も、既に子育て卒業した人もみんな読んで色々アドバイスお願いします

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  • 息子の自立を阻むもの
    昨日の朝、登校前の出来事である。息子の水筒をわざわざ玄関まで運ぶ私を見て娘が一言。「お母さんちょっと甘やかしすぎじゃない??私のときは絶対そんなことしてくれなかったよ」と言われ、はたと気づいた。そういえば娘は幼稚園のころから自分のことは自分でしていた。

    それが当たり前だと思って育ててきた。息子も同じように育ててきたつもりだったが…いつの間にか手をかけている。色エンピツを忘れたとき、娘は学校で困ったらしく帰ってくるなりランドセルに色エンピツを入れていた。ところが息子は上履きを忘れてもはだしで校内を走り回っていたらしい......「困った」とか「恥ずかしい」とかいう思いがないのか、次の日も平気で忘れていく。水着を忘れたときなど、お母さんが届けてくれると信じて待っていたらしい(^^;

    先日、水筒を忘れて学校に行った。私はあえて届けなかった。が、息子は体育の時間、日射病で倒れて保健室に運ばれた。命に関わってはいけないと、毎朝、水筒を玄関に置く羽目になった。娘に言わせると、こういう私の行為が将来息子をマザコンにするだろうと言う。私は世話焼きでもないし、むしろ放任主義である。でもこのままいけば娘の言うとおり、息子はマザコンになるかもしれない…

    今のうちに何とか手を打たねば!!と、焦っています.......
2001年09月22日 01時01分18秒


  • 公文の英会話教材
    公文の英語の教材が、この9月大幅に改定された。8A〜3Aまでの教材が、今までのように文法中心の読み書きのきょうざいではなく、CDつきの英会話中心の教材へと大幅に改定された。今まで上の娘は旧教材で学習してきたが、中学に入ってしばらくすると英語と国語は学習をやめてしまった・・・・理由は、部活などで忙しい事もあって公文に多くの時間がさけなくなってきたからだと言う。

    また、英語に関しては「中学校の授業の方が面白い」「公文の英語習ったって喋れるようにはならないと思う」と言う。試しに中学の教科書を見せてもらったら、私たちの時代のように「This is a pen」で始まるのではなくHello!で始まっている。すなわち文語ではなく日常会話からスタートするのである。それを見て納得した私は、娘が英語をやめる事に同意した。国語は出来れば続けてもらいたかったが・・・・

    私自身英検の2級を持ってはいるが、会話は全くと言っていいほどダメで、海外に言った時なんか私の英語は通じない・・・夫や友人が私の英語をさらに英語で通訳している。私の夫は英検は何も持っていないが(中学の時4級に落ちて以来、受験していない)単身でオーストラリアへ行き通訳なしで仕事をし、無事生きて帰ってきた。NYのホテルを直接電話で予約してくれた事もある。夫の英会話を直接聞いた事がないので何ともいえないが、私より上であることは確かなようである。

    そのような経験から私は子どもたちには、英語を日本語と同じようにまず喋れるようになり、次に読めるようになり、それから書ける様になればいいと思い、0才のころからバイリンガルに育ててきた。ところがある程度以上に子どもたちの会話力が上達すると、私自身がついていけなくなり、途中で断念している。したがって幼いころには英会話の出来た娘や息子は大きくなるに連れて使わなくなり、忘れていくのである。

    9月に公文の英語の教材が改定され、息子が英語を学習し始めた。教材がいいのか、息子の頭が柔らかいのか面白いようにすいすい進んでいく・・・ひとりで楽しく学習できるように工夫がされているので、手もかからない。MDにダビングして車の中で聞こうとしたら、「もうその教材とっくに終わったよ」と言われてしまった。日常会話にも英語が出てくるようになり、I'm homeと帰ってくる息子に何と応えてよいか分からず、Want some?とクッキーを手渡され、「それどういう意味?」と息子に教えてもらう英検2級の母は、超初心者の英会話コースを受講する事になりました・・・・・
2001年09月18日 05時42分03秒


  • CanBeはもう引退かな?
    CanBeとVT-800とLavieの3台で家庭内LANを組んだ。VT-800が私専用で、Lavieが夫の専用&携帯用、CanBeを子どもたちに・・・・と思っていたら、CanBeだけが何故かネットにつながらなくなった・・・・

    ネットとメールしか利用しない娘は、せっせと手動でデータ−を夫のノートPCに移し、めったに家でPCを使うことのない夫のノートを自分の物のように使いこなしている・・・・息子はPCが使えなくても困る事はない・・・プレステや64があれば十分なのである。

    困ったのはCanBeに製作途中のHPのサイトや住所録、家計簿、アドレス帳、写真etc.大量のデータ−を入れている私である。半月かかって何とかつながるようになったけど、新しいPCの快適さになれた娘は、もうCanBeには触ろうともしない・・・そこで息子専用にとユーザ設定を元に戻した。ところが息子ですら、これは遅いから・・・と使おうとしない。試しに使って見たら本当に遅い。。。ネットが立ち上がる間に洗濯物を干してコーヒーが飲めた。

    Win95の時代のマシンなんだから・・・もう引退かな???
2001年09月08日 20時19分41秒


  • 娘の将来
    娘も来年はいよいよ受験生である。先日娘と将来のことについて語りあった。「私は絶対、専業主婦とOLにだけはなりたくない・・・・」と言う。とりあえず大学行って、何か資格をとってキャリアウーマンになる予定らしい。結婚もしない!と言っている。・・・それもいいかとあえて反論はしなかった。というより半分賛成している。

    じゃあ、もう少ししっかり勉強していい高校に入らなきゃ!と言うと、公立のT高校は、家から通いやすいし、プールもあるからT高校がいい!という、N高校は急な坂道があるし、プールがない上に、冬はマラソンがあるから絶対パス!H高校は隣に美味しいパンやさんがあるからOKらしい。でも娘の憧れは制服のある私立のS高校やT高校だと言う・・・・一体何を基準に学校を選んでいるんだ???

    大学は絶対都会に行きたいと言う。理由は嵐のコンサートなんかに行く機会が多いし、一人暮らしがしたいからだと言う・・・私も一人暮らしがしたくてワザワザ遠くの大学しか受験しなかったのだから、娘の気持ちもよく分かる。

    でも、親としては近くの大学に行ってくれるとありがたいし、それなりに勉強にもして欲しいと願っている・・・自分の事は棚に上げて身勝手な親ですね???
2001年09月04日 09時21分28秒


  • 夏休み最後の日
    長い夏休みもやっと今日で終わる・・・・7月中に宿題を終えた中2の娘は、毎日優雅にPCと戯れている。小学校に入学した時からこの習性は変わらない・・・嫌な事を先に済ませて、後はのんびり過ごす。宿題に手を貸したことも、時間割をチェックした事もない。学校から帰るとスグ宿題と時間割を済ませ、寝る前には明日学校に着て行く洋服がちゃんと用意されている。誰に似たのか、本当に手のかからない娘である。

    ところが、小4の息子は今日になっても宿題が終わっていない・・・あせって怒りまくっている親の言葉に耳も貸さず、友人と遊んでいる。今夜やればいいと思っているのだ。一緒に遊んでいる息子の友人に「宿題済んだの?」と聞いたら、「まだ自由研究が残っている・・・・」との返事。2人とも宿題は月曜日に出せばいいと思っているようだ。男の子ってみんなこんなものなのかしら???

    学校から帰ったら、まずおやつを食べすぐに友人と遊ぶ。帰ったらTVを見て夕食を食べ、また遊ぶ。夜の8時ごろになってやっと宿題を始める。時間割はしなくてもよいように全部の教科がランドセルに入っている。したがって教科書やノートは忘れた事がない・・・・その代わり上靴や特別な持ち物はよく忘れる。遠足の時に水筒を忘れた事もある。学校はスグ近くだが取りに帰ることは許可されていない。困った経験をすれば、次から忘れないように心がけると信じて、私は決して届けたりはしない・・・・が一向に懲りないようである。

    同じ両親から生まれ、同じ様に育てたつもりだが、何故こうも違うのか???娘はA型で息子はO型である。したがって私はAOと言うことになる。私のA型的な性格を娘が受け継ぎ、O型的な性格を息子が受け継いだ。血液型による性格分析がぴったり当てはまる2人の子どもたちである。この2人の将来果たしてどうなる事やら???心配しつつも結構楽しんで見守っているつもり・・・・・
2001年08月31日 15時36分54秒


  • 家族のあり方
    我が家の家族旅行は、今年の夏休みからなくなってしまった。中2の娘が家族旅行をパスした。昨年の家族旅行から少し家族のあり方が変わりつつあった。昨年の夏は一緒に清里に旅行したが、昼間は私と娘はショッピングと食べ歩きで、息子と夫は馬に乗ったり、カブトムシ取りに出かけたりした。ディナーとフィールドバレーは家族で楽しんだが・・・・

    秋のりんご狩りは娘を除いた3人で出かけ、冬のスキーは私と息子の2人で出かけた。GWには娘の嵐のコンサートに付き合って家族で埼玉まで1泊追っかけツアーを組んだ。

    今年の夏は、ついに娘を残して家族3人でテニスと気球ツアーに出かける。娘一人残すのが不安な過保護な親は弟夫婦に私の実家にきてもらい、娘を実家に預けて出かけることにした。私は、息子と2人でリニアの試乗会にも行く。娘と2人で東京へ嵐のイベントに参加しにも行く。「お母さんが一番たくさん遊びに行くね」と言われながら・・・・・

    家族4人で過ごすことが少なくなってきた。そのうち息子も親離れしていく時がくる・・・夫婦2人の共通の趣味を今の内に開拓しておかなくては・・・・とあせっている今日この頃である。
2001年07月13日 12時03分21秒


  • ランチ友達
    神戸に住んでいた頃、よく友達とランチを食べに行った。幼稚園や小学校のPTAの集まりや仲間とのテニスの後には必ずランチがついていた。阪神間は安くて美味しいお店も多かった。美味しいお店を見つけると友達を誘ってよく食べに行った。ランチ友達が私にはたくさんいた。

    ところが、三重に帰ってPTAやテニスの後ランチに誘っても誰ものってこない。家に友人が訪ねてきて話が弾んでいてもランチタイムになると帰ってしまう。一緒にランチを楽しんでくれたのは山口に越して行ったMYUさんと町田に越して行ったNさんと子どもたちの塾の先生くらいのものである。Nさんとはよくランチに行った。彼女が町田に越して以来ランチタイムをもてあましていた。

    先日娘の授業参観でSさんと知り合った。月曜日に知り合って、水曜日に彼女が家に来てくれ、木曜日には私が彼女の家を訪ね、ランチを一緒に食べた。町田に越して行ったNさんを思い起こさせるような、イヤそれ以上にバイタリティーのある人である。長男の嫁をリタイヤし、自分の人生を楽しんでいる。今だに姑の事を引きずっている私を見て「もったいない」と言ってくれた。目の覚める思いであった。姑の事にとらわれて自分の大切な時間を浪費する所であった。いい時に彼女に出会ったと思う。これからは姑の事なんか無視して自分の人生を楽しもうと思う。

    相手と過去は変えられないけど、自分と未来は変えられるんだ!!Sさんありがとう!そしてこれからもヨロシク!!
2001年07月06日 08時52分16秒


  • 父の日
    我が家の父の日の数日前の子どもたちの会話・・・「お父さんのプレゼント何にする?」と姉が聞くと弟は「テニスボールとグリップテープ」と答える。お年玉の残りで買うつもりらしい。姉は「お小遣いがもったいないから、私は労働奉仕するわ・・・夕食は私が作るから・・・でもお母さんも父の日なんだから何かしたら?」「お母さんはお父さんの健康のためにステッパーと言う室内健康器具を買う予定よ」と言ったら、「父の日なんだから洗濯くらいお母さんがやってよね」弟だってご飯作り手伝ってくれるんだから・・・・」「じゃあお母さんは洗濯と花壇の手入れをするね」正高は食器の片付けとお米かしね」と無事家事の分担が決まった。

    ?????これって母の日に父と子どものする会話では?我が家は年中日曜日は母の日なんです。週休2日制で、土日は娘と夫が家事をやってくれます。私は息子を助手にしてガーデニングを楽しんだり、娘とショッピングに行ったり、家族でテニスをしたりと優雅な休日を過ごしています。結局父の日は午前中は家族で買い物に出かけ午後はテニスをして、夕食は娘の手料理でした。私にとっては母の日と同じくらい楽しい一日でした。
2001年06月23日 10時04分22秒


  • 幼児教育との出会い
    娘が1歳半の頃突然絵本を自分で読み始めた。親ばかである私は娘は天才かも知れないと早速公文の体験教室に連れていった。当時公文は「2歳で本が読める」と言うのが売り物であったから家の娘はそれ以上である。たくさんのプリントをもらいあっという間にやってのけた。教室の先生もビックリしてたくさんの教材をもらって帰った。体教室は後3回ある。ところが2回目は「同じのばかりでイヤだ」と1枚もプリントをせずに帰った。3回目には「もう行きたくない」と言って2度と私の誘いにはのってくれなかった。

    でも公文の教材のすばらしさに魅せられた私はあきらめきれず自分で教室を開くことにした。教室開設の準備の最中に妊娠し、開設を断念した。娘が幼稚園の年長になった頃、下の子も1才になったので、再度教室開設にトライした。ところが幼児の頃の出会いが悪かったのか娘は公文は絶対イヤだという。そこで仕方なく学研の教室を開いた。生徒は娘の幼稚園の友人がほとんどだったが、公私の区別がつけにくく人間関係にひびが入った。

    娘が小学校に入学する時、大阪に転勤になった。下の息子は2歳になったばかりである。阪神間は幼児教育の盛んな所でもあり、マンションの下に公文の教室があった。乳幼児もたくさん通っていた。息子は1文字ずつしか読めず、数も3までしか数えられなかった。そのせいか公文のプリントが性に合い、同じプリントを何度もやりたがった。1年後には本を読み漢字を書き、足し算をしていた。花粉症の私に代わり息子の送り迎えをしていた娘もつられて公文の教室に通い始めた。この学習法は家の子どもたちに合っていたようで、娘も息子もいまだに公文を続けている。

    幼児教育の教材も娘に手伝ってもらい随分作った。作ることで娘にも随分プラスになった。その教材を使い三重に戻ってから自宅で【面白算数ゼミナール】なる学習塾を開いた。生徒は子どもたちの友人ばかりであり、当時???の役員をしていたので公私混同ととられ、人間関係で結構トラブルもあった。学校に近いので託児所代わりに利用する親もあり、自宅の塾は現在閉鎖している。ドーマン法を実践している友人の手伝いをしているくらいである。友人やメル友に幼児教育や家庭学習の仕方をアドバイスしているうちに何となく??【面白算数ゼミナール】を作り、今日に至っている。
2001年04月05日 09時55分19秒


  • 娘の自立
    今日中1の娘が友人と嵐のコンサートに出かけた。インターネットでチケットをとり、子ども料金で特急券を買い、路線図で大阪城ホールとジャニショへの最短時間で行ける交通手段を調べ、お年玉の貯金と親や祖父母からもらった小遣いを持って、ルンルン気分で夫の出勤時間にあわせて用意をし駅まで便乗していった。

    さっき今から特急に乗るから8時5分にお迎えヨロシクとメールと確認の電話があった。携帯でメル友に連絡をとり会場で逢ったらしい。私も携帯を持ってはいるがEメールもCメールも使ったことはほとんどない。娘からのメールに返信で打つくらいだ・・・・しかも打つのに時間がかかるので急ぎの用のときは電話してしまう。

    昨年の夏の旅行は現地で昼間は別行動をとった。秋のリンゴ狩りや年末の東京1泊はは一人で
    留守番をした。冬の北海道のスキーはパスと言われたので子離れできていない夫が残って、私と息子の2人で出かけた。そう言う私も心配で何度も電話をし「用もないのにかけるな!」と娘に叱られた。息子がテニスを始めたので家族4人でダブルスが出来るかと思ったら、娘は友人と出かけ結局3人でするハメになった。

    中学生になってから家族で行動することをいやがるようになった。私と2人でおしゃれなお店でのランチやショッピングは喜んでいくのだが・・・・・夏の旅行は計画前からパスと言われている。どんどん自立していく娘を見ていると嬉しいやら淋しいやら複雑な気分である。
2001年03月29日 19時46分31秒


  • 主婦の部屋
    家を建てる時、ダイニング・キッチン・リビング・子ども部屋・和室と言うのが相場で、書斎・納戸・家事室まであれば結構リッチな方である。家事室が主婦の部屋であると考えることも出来るが、家事は主婦だけがすることではない。家族みんなで分担しあってすることだと私は思っている。従って家事室は、主婦のプライベート空間ではない。子どもには個室を与え、夫は書斎を持っている。しかし、主婦である私の個室はない。リビングの1角にPCや本だなの置かれた場所が私の空間ではある。が、家族もそのPCや本棚を使う。従って私専用の空間とは言えない。

    今回増改築をした際に4畳程の納戸を作った。しかし、建築が始まるとそこを納戸として使うことはもったいない気がしてきて、結局大きな物置を購入して、納戸を私専用のPCルームにすることに家族を強引に説得した。たった4畳ではあるが私専用の空間である。この部屋が出来たことで家族のあり方も変わると期待している。主婦にだって、自分だけの時間や空間は必要不可欠だと思う。
2001年03月16日 23時19分51秒


  • 先生と呼ばれて・・・
    仕方なく・・・ではあったが、とりあえず先生と呼ばれる身分になった。結構いいものである。人に頭を下げなくていい職業である。新採もベテランもみんな同じように先生と呼ばれ、一人前として扱われる。やさしいお兄さんやお姉さんのような先輩の先生方に囲まれ、楽しくスタートを切った。ところが、1ヶ月もたたないある日児童のボイコットにあった。私が体育を算数に変更したことが原因であった。1部の児童がストライキを起こした。同僚は私と児童の問題だからと手も口も出してくれない。結局2時間子どもたちと運動場で過ごした。でもそのおかげで子どもたちとの距離が近づき、私は少し先生らしくなれた。

    2つ目の学校は、私の母校だった。自分の父母のような先生や友達のような同僚に囲まれ、楽しく過ごした。ここで1人の生徒?と出会った。夏休み開けのある日、川で発泡スチロールの船と格闘していた?の姿が今も目に浮かぶ。今どうしているだろう?かつての教え子に聞いてみたら、大学時代に放浪の旅に出て以来消息不明だという。彼らしい・・・と思うが、是非もう一度会ってみたい忘れられない教え子の一人だ。

    3つ目の学校で、私は教師の世界に失望した。派閥アリ、いじめアリ、管理アリのつまらない醜い一面を見てしまった。長女を妊娠したこともあり、ためらうことなくここで教員生活の幕を下ろした。短い教員生活ではあったが、子どもたちから学んだことも多い。忘れられない教え子達もたくさんいる。今では懐かしい思い出である。
2001年01月29日 20時37分35秒


  • 念願の一人暮らし・・大学時代
    一人暮しがしたくて、家から通えない大学をわざと受けた。第一希望、第2希望の大学には振られ、すべり止めに受けた地方の大学に入った。当然家からは通えないので一人暮らしをすることになった。最初の2年間は講義を受けることもなく一人暮らしを満喫した。教授の顔すら知らない科目もあるが何故か単位は落としていない。要領だけはよかったようだ。ドイツ語のテストの時辞書持込可だったので、辞書に訳を書きこんり、コピーをはさんだりしたが、ページを間違えて答案を書き追試になった。ところが粋な教授で、ドイツ語でラブレターを書けと言われ力作を書いて単位をもらったこともある。

    3年になって専門の応用数学になってからは、結構真面目に講義を受けた。今まで人のノートを借りるのが専門だったのが、貸す立場になった。数学的勘がよかったのか、フローチャートなど一目で答えが分かることがあった。3分ほどで問題ができてしまったことがあったが、あえて窓の外を眺めて時間をつぶした。当時教授は独身で私とあらぬ噂を立てられていたので、即答案を出せば火に油を注ぐようなものである。今思えばくだらないことかも知れないが、卒論を1番最初に提出したいがために寒空の中徹夜で並んだこともある。スキー・スケート・テニス・スケボー・一輪車・ゴルフ・バイクetc.とにかく何でも首を突っ込んだ。大学院に進級したかったが、両親の嫁に行き遅れるとの反対にあい、断念して地元の小学校の教師になった。ここで私の一人暮らしは終わった。
2001年01月22日 15時37分53秒


  • 灰色の高校生時代
    私は某高校の1期生である。これだけで分かってしまう人も多いと思うが、県下でも有名な進学校の片割れとして誕生した新設校だ。1期生とあって先生方の熱の入れ方は普通ではなかった。予備校かと思うほどの授業体制である。学校が楽しいはずはない。国立理系のクラスにいたので美術や政経・倫社などの授業はよくサボった。サボってもあまり何も言われなかった。

    テニスクラブも作ったがコートもなく活動せずに引退した。結局高校時代に得たものは受験の力と友人だけであった。高校時代に出会った友人とは何故か今も交流がある。ニューヨークでバリバリ仕事をしているY子、自立の道を選んだK子、同級生同士で結婚したH夫妻、その他PTAとして再会した数多くの同級生たち、母校のPTAで同窓会が開ける日もそう遠くないかも知れない。今家の近くを名物のマラソンランナーが走っていくのを懐かしく眺めている。
2001年01月18日 20時15分33秒


  • 中学生時代
    中学生になって一人の友人?に出会った。私の周りにいた友人とは違った価値観を持ち、私自身を違った目で見てくれた。その友人との出会いが今の私を目覚めさせてくれた。庄司 陽子のマンガに「生徒諸君」と言うのがあるが、それに近い青春時代を過ごせた。彼女のおかげである。

    中3になって受験を前にし、校則の改善やクラブ活動に熱をあげた。放課後暗くなるまで教室でバカなことをやっていて職員室前の廊下に正座させられたこともある。クラスメイトの?君のヘルメットに油性ペンで何度も落書きし、彼のヘルメットは卒業の頃には透けて見えるほど薄くなっていた・・・・と何年か経って同窓会の席で聞かされた・・・・

    その時の担任と某小学校で一緒に勤務したことがあるが、お互い過去の話題には触れられなかった。今も年賀状のやり取りくらいはあるので機会があったら私の青春時代のエピソードを聞いてみたい気がする・・・ちょっとコワイ気もするが・・・・
2001年01月17日 08時12分40秒


  • 小学生の頃の私
    小学生の頃の私は、どんなだっただろう??

    今思い出してみてもほとんど思い出せないくらい何もない。今の私からは想像もつかないほどつまらない小学生時代を過ごしていた。
    かつて母校に勤務したことがある。夏休みのある日みんなで資料室の整理をしていたら、私の指導要録がまだあった。同僚と一緒に面白半分で見た。「内気で何事にも消極的であるが、頑固な一面もあり、納得のいかないことはてこでも動かない。知識理解は申し分ないが、無口で授業中の発言はあまりない」とある。同僚はその時の私とのギャップに目を丸くしたが、私には当たっているように思えた。

    小学校の5年間を私は平凡に過ごした。体の弱いお勉強の好きなおとなしい子という印象であったと思う。6年生の時の担任はそんな私を否定した。1冊の本「ビルマの竪琴」を私に紹介してくれた。この本との出会いが私の人生の価値観を変えてくれた。私は周りの人達とは違う価値観を持っていた。他の人達の価値観が理解できなかった。そんな私の価値観を認めてくれたのがこの本であり、担任の?先生だったと思う。

    国語のテストによく・・・・なのはどうしてだと思いますか?と言う問いがある。自分の考えを書くと×をされた。自分の考えを言うと周りの児童に否定された。それは、私自身を否定されているのと同じである。国語に正しい答えはないと思う。間違った答えもないと思う。だけどテストには○と×しかない。6年の担任の?先生はそんな私の答えに�┐箸��Δ箸�をくれた。

    先日息子の授業参観に行った時のことである。金子みすずの詩の「みんなちがって、みんないいい」という部分が一番感動したけど「みんなできたらもっといい」と思うと息子が答えた。私もそういう考え方もあると思ったが、担任の先生はそれを否定した。学校ではむしろ「みんな同じでなくてはいけません」と教えているようにさえ思うのだが・・・・・・
2001年01月14日 17時00分22秒


  • 夫の自立
    結婚する前に今の夫に言った事がある。「私は家事をするために貴方と結婚するのではありません」と・・・・夫は私のその考えを理解はしていた。ただ実践が伴っていなかった・・・・

    自立度チェックで言えば、○は10/25以下である。もちろん今は20/25に近づきつつあるが・・・結婚当時共稼ぎであったのだが、自分が休みの日でも何もせず私の帰りを待ち、最初の一言が「早くゴハンにしてくれ」であった。ところが今では、私が専業主婦であるにも関らず、休日は洗濯や炊事を積極的に?やってくれる。中学生になった娘と交代で家事を代行してくれるので、私は週休2日制である。そのおかげで??製作にも打ちこめる。友人と食事にも出かけられる。私が1週間くらい家を空けたとしても、何不自由しないかもしれない。

    知り合いに、奥さんがいないと靴下のありかすらわからない夫がいるが、私はそんな夫婦が不幸に見える。夫に相談しないと何1つ決められない妻、妻がいないと日常生活ができない夫、そんな夫婦にはなりたくない。我が夫は25点満点ではないが、今×の項目はない。��が6個ほどにまで進歩し満点になる日も夢ではないかも知れない。子どもは成長とともに確実に自立していく。家事は「家の事」なんだから誰がしてもいいのよ。と私は子どもたちにも教えている。近い将来私が社会に復帰するためには、【夫の自立】と【家事からの解放】は必要不可欠である。
2001年01月13日 21時45分22秒


  • 2人の子を育てて・・・
    私には、2人の子どもがいます。上は中1の娘、下は小3の息子です。同じ様に育てたつもり?ですが、2人は全く性格が違います。

    同じ食べ物を与えても、上は嫌いな物を先に食べ、後で好きな物をゆっくり味わって食べます。もちろん残すことも好き嫌いもありません。下の息子は、先ず最初に好きな物を食べおかわりまでします。嫌いな物はいつまでもぐずぐずしていて結局残します。学校の給食でも苦労しているようです。

    私は同じ様に育てたつもりですが、よく考えると上の娘の時は、育児書を見ながら手の込んだ離乳食をせっせと作りました。下のときは、上の娘の幼稚園のことで手がいっぱいで、かなり手抜きをしました。今思うとやはり、私の育て方のせいですね。

    この食べ物の食べ方が2人の性格を顕著に表しています。上の娘は学校から帰ったら、先ず宿題と時間割をして、それから遊びますが、下は逆ですね。それどころか、宿題や時間割しなくても平気で学校に行けるようです。 「宿題せずに学校に行ける弟の気持ちが理解できない」と娘が言いました。

    けれど2人の子どもを見ていると、どっちが幸せなんだろう?と考えてしまいます。 阪神大震災の時、尼崎に住んでいたんですが、娘は暗闇の中で恐怖におびえていて、しばらくの間食事ものどを通りませんでしたが、息子はいびきをかいて熟睡していましたから・・・もちろん瓦礫の山の中でお握りを3個も食べました。恐怖で私の側から離れない娘とは反対に外で遊び回り、ゴミ置き場の水道の水が出ることを発見してきましたから・・・

    人類滅亡の危機に陥った時、我が家で最後に生き残るのは息子かも知れません。
2001年01月12日 09時03分28秒