■□ONE and ONLY□■ ■□ONE and ONLY□■
作者: 帝

俺 まだ覚えてるんや

あのときのコト
 
お前は 笑うかもしれへんけど



くるくる。
くるくる。
虚空を舞って降り注ぐ淡紅色に、央登の目は吸い寄せられる。
せわしなく回転する花びらが頬をかすって、くすぐったい。
柔らかに敷き詰められたそれは、雪のようにも見えて、その中に埋もれ
てしまいそうな右典の寝顔を、酷く涼やかに際立てた。
花見に飽きて寝入ってしまった兄の隣に腰を下ろして、央登はしばらく
その寝顔に見入った。
規則正しくこぼれる吐息に、唇に落ちた花びらが再度舞う。
銀糸のような髪が、陽射しを弾いて透き通って見えた。
ふと、その瞼に降る花びら。
除こうと央登が指先で抓むと、右典はかすかに首をすくめて寝返りをう
って、央登の方へ転がった。
そんな仕草がたまらなく愛おしくて、央登は微笑む。
微笑んで。その瞼に、口付けた。
溢れ出す感情に流されるままに、唇を求めて顔を寄せると、いきなり両
頬を手で挟まれる。
驚いて目を開け放つと、少し儚げな笑顔がそこにあって。
見とれているうちに、引き寄せられて。
可愛い音がするキスをもらった。
「ひさっちゃんてばスミに置けへ∼ん。誰かに見付かったらどぉすん、」
至近距離でそんなコト言って、さも楽しそうにからかう。
イジワルなのはいつものことで、それすら自分にとっては、最愛の人を
形成しているパーツに他ならない。
大きくて、それなのに華奢な手を振り払って、不機嫌を装いそっぽを向
いてみる。これもいつものコト。充分すぎるほどに心得ている右典は、
横目で央登の背中を見つめて、はにかむように笑った。
くるくる。
くるくる。
二人に降り積もる桜。
こんな日にはいつも、あのときの出来事が脳��をよぎる。
酷く鮮明に。
それでいて、ひそやかに淡く。


一年前。
あの夜もまた、こぼれそうな花々を結った桜が、少し朧げな月に照らし
出される季節だった。
兄に特別な感情を抱くようになったのも、そんな花霞の頃だった。
一緒にいるとどことなく落ち着けなくて、それなのに、傍にいないと酷
く不安で。
見慣れたはずのその横顔が、とても綺麗だと思うときがあったり、体が
触れ合うだけで、息苦しさにも似た緊張に襲われることもあった。
そんな日日が続いても、それが恋だとは気付かないでいた。
あの夜までは………。


「こんな時間にどこ行くん?」
玄関で靴紐を結んでいる右典の背に、央登は声をかけた。
「ちょっとコンビニ∼」
「あ、俺も一緒行ってええ?」
少し遠慮がちに尋ねると、右典は爪先で石床を打ちながら振り返って、
心なしか困った顔をした。
「……アカン?」
「ん∼。今日な、ちょっとダチと約束してん。せやから……後で独りで
行けへん…?」
“後で”の部分に微妙なアクセントを感知して、央登は不思議に思う。
友達と会うのに、どうして自分がいては不都合なのだろうか。
それよりも何よりも、右典が自分より友達を選んだコトが純粋に気に入
らなくて、央登は不機嫌を顕にして兄を睨んだ。
「なんやねん。俺に会わせられへんダチでもおんの?」
「な∼に怒っとんねん。おみやげ買って来たるから、おとなしく待っと
き。な?」
明るくはぐらかした後の、上目遣い。
捕らわれて、金縛りになってしまう自分の心を見透かしてでもいるよう
な、その目。
(反則や……)
ぽつり。
胸中で呟いて、きびすを返す。
「あ、おみやげ何がええ∼?」
「何もいらんわ!」
背後から飛んできた右典の問いに、央登は思わず声を荒げた。
けれどすぐ様、そんな央登の憤りなど気にも留めていない笑い声が響い
てきて、央登の不機嫌に輪をかける。
(なんやねんアイツ!!)
閉ざされたドアを思い切り睨みつけながら、央登は、なんだか酷く淋し
い気持ちになっている自分に気付いて、困惑した。
心が悲鳴を上げているような、そんな気がして。
 
テレビを眺めても、雑誌を広げても、全く思考はその情報を受け付けな
い。
ついさっきの右典の態度が気になって気になって、もはや脳��には、異
物を受け入れる余白など残ってはいなかった。
今誰といるのか。どんな顔で、どんな話をしているのか。どんな感情を
抱いているのか……。
呆れ返るほどに事細かな興味と疑心とが絡み合って、渦巻いて、それは
央登を貫いていく。
イラつくことに耐えかねた央登は、兄を追うべく、花風の中へと飛び出
した。
意味もなく走ると、火照った頬を、仄かに湿り気を帯びた夜気が撫でて
ゆく。
拍動が勝手に早鐘を打って、その特異な感覚のワケも解らないまま、央
登は走った。
早く右典に会いたい。
そうしたら、きっと落ち着ける。
何の根拠もなく、央登は確信していた。
その確信は、いつも、外れるコトがなかったから。
そして今夜も……。
例のコンビニに隣接している公園に兄の後姿を見つけて、央登は立ち止
まる。
ただそれだけで、全身の力が一気に抜けてしまうほどの安堵感を覚えて、
しばらくその場を動けなかった。
気を取り直して歩を進めて。
エメラルドの外燈が照らし出す光景に。
心臓が、冷たくなる。
右典の肩越しに、見たこともない少女の姿を見つけて。
央登は咄嗟に、物陰に身を隠した。
「……好きや」
一言。
央登の胸は、異様に張り詰めた神経の糸を無残にも引きちぎられて、警
告音のように鳴り始める。
鎮まったばかりの拍動が、皮膚を突き破りそうな勢いで昂る。
これ以上この場にいてはいけないと熟知していながら、�婺�に、凍り付
いてしまったように体は動かなかった。
「本気で好きなんや。他のヤツなんて………目に入らんくらいに……大
好きなんや」
優しくて柔らかくて、それなのに強くて、輪郭を失うことのない声音で
紡がれる、そのコトバ。
央登は、ただ震えた。
どうしてこんなに体が震えるのか。どうしてこんなに胸が苦しいのか。
どうしてこんなに、目奥が沁みるのか。
心底不思議に思いながら、ただ、震えた。
通り過ぎる風。
吹き零れそうな花びらを巻き上げて、攫ってゆく。
シン、と冷却されたように風が止んだ後には、雪のように降り積もる花
のかけらと、それを染め上げるエメラルドの光彩。
それすらも視界から滲み出して、色褪せる。
両手を握りしめると、温かい何かが、央登の頬を伝い落ちて転がった。
錯乱して。
どうにかなってしまいそうで。
気付いたら、夢中で駆け出していた。


全てのコトから目醒めた瞬間だった。
右典の唇から、他人のためにこぼれ落ちた言葉。
耳を覆いたくなるほどに、その声音からは、相手を想う温かさや激しさ
、そして切なさが溢れていた。
苦しみにもがく胸。
どうして今まで、気付かなかったのだろう。
こんな思いをするまで。
どうして、気付けなかったのだろう。
右典が好きで。好きで好きで、たまらなくなってしまっていたコト。
右典の領域を独り占めできるのは自分だけだと、心のどこかで安心して
いる自分がいて。
これからもずっと、暗黙の了解でそれが続いてゆくと、信じて疑わなか
ったから。
右典が他人を見つめるコトの苦しさなんて、考えたこともなかった。思
いつきもしなかった。
そんな自分が惨めで、哀しくて、淋しくて。
央登はやっと、堪えることもせずに涙を流した。
かなり遠くまで来てしまったようで、淡く霞む景色は、いつの間にか見
知らぬものになっている。
それが余計に央登を心細くさせて。
生まれてはこぼれる滴が、次々と服に落ちて、いびつな水玉を象った。
右典の傍にいたい。
誰よりも、右典の近くにいたい。
右典だけ見ていたい。
けれど、右典にとってのそういう存在は、自分じゃない。
痛いほどの想いが、自分に向けられるコトはない。そしてこの想いも、
届かない。
こんなに辛くなるなら、いっそ、気付かない方が良かった。
気付かなければ、良かった。
右典への想いなんて。
他人にもなれない運命の残酷さを知っていたなら、ずっと、ただの双子
のままで良かった。
(俺の………アホ)
川沿いに植えられた枝垂桜が、気だるい艶かしさをゆだねて水面に梢を
浸している。
したたかな幹に背を預けると、央登は、花びらの隙間から夜空の濃紺を
見上げた。
星を隠す薄雲を透かして、上弦の月がほんのりと輝いている。
輪郭を忘れさせるその柔らかな光は惜しげもなく辺りにこぼれて、暗ん
だ街に真珠色の霧を仕掛けた。
涙のせいで磨硝子を通したような景色に、羽毛とも見紛うふくよかな花
雪が舞い降りる。
それは止むことを知らずに、央登にも降り注いだ。
細い髪に絡んで、肌をかすめて、肩へと落ちる。
ふと手を差し伸べて、受け留めた花びらに目を凝らす。
どんなに雪に似ていても、それが体温に融かされて消えることはない。
儚くて脆い自分の想いが、現実の冷酷さに打ちのめされて、決して叶わ
ないことを思い知らされても、この胸奥では煌煌と生き続けるように。
無闇にただ哀しくて、央登は、それを握りしめた。
その手が、震える。
潰されてしまえばいい。
ちぎれて、消えてしまえばいい。
こんな想いなんて。
 
「央登!」
ふと、愛おしい声が自分を呼んだような気がして、央登は顔を上げる。
空耳ではないかと、疑心を抱きかけた央登の目前。
翻る風を従えて、琥珀色の光霧をまるで我が物のように纏った兄の姿が
、そこに在った。
冴冴と煌めく瞳が、真っ直ぐに央登を捉えて。
碧く燃え上がる水脈を秘めたその目に、央登は思わず身を竦めた。
けれど、背中が幹に阻まれて、もう後がない。
「何考えとるんや、お前は」
厳しいその声音に、央登はただ俯く。
右典の顔をマトモに見たらきっとまた、泣いてしまう。
今にも叫び出しそうな心が、暴走してしまう。
「ちょっと……考え事してん」
乾きかけた涙の筋を手の甲で拭いながら、辛うじてそう呟いた。
「バカも休み休み言えや。こんな時間にこんなトコで……めっちゃ捜し
たんやぞ。こっちの身にもなったらどぉなんや」
憤りが浮き彫りにされた響きに、央登はますます俯く。
反発にもやるせなさにも似た感情が溢れて、再度視界に靄がかかる。
くるくると弧を描く花びらがぼやけて、くすんだ。
「別に……捜してくれなくたって良かったんに。……眼中ないヤツのコ
トなんか……ほっといたらええやんか」
瞬時に、右典の目の色が変わる。
目前まで迫ったその眼光が、鋭く央登を射抜いた。
振り上げられる手から逃げられるはずもないと悟って、央登は素直に双
眸を閉ざして、唇を噛みしめる。
いっそ殴られれば、目が醒めるかもしれない。悪酔いしたこの心の迷い
から、解放されるかもしれない。
そんな惨めな希望を抱いて、ひたすらにその瞬間を待った。
けれど、頬に感じるはずの痛みは一向に訪れず、不審に思って、央登は
うっすらと瞼を持ち上げてみる。
そこには、拍子抜けするくらいに穏やかな瞳。少し無表情なままで、真
っ直ぐに央登を見つめて。
振り上げられたはずの手はとっくに下ろされて、力なく垂れている。
「……ゆう…」
「なんで……なんで、泣くん?」
呼びかけを遮って呟かれた右典の台詞に、央登は初めて、自らの頬を濡
らしている涙に気付いた。
慌てて拭おうとすると、その手を、掴まれる。
「央登…」
切ないくらいに優しく呼ばれて、誘われるように顔を上げると、澄んだ
上澄みにくっきりと自分が映った。
凛とした輝きがしだいにその距離を詰めて、拒絶の余地も与えないほど
に甘く、吐息をかすめ取られる。
柔らかく唇を噛まれて、心地好さに、央登は思わず右典のジャケットの
襟を握りしめた。
微かに音を立てて唇が離れて。
熱を孕んで朦朧とした央登の意識が、少しずつ鮮明になる。
「なん…やねん……なんでこんなコトすんのや………好きなヤツおるク
セに……」
 
通り過ぎる風。
湿った地表に降り積もった花びらを煽って、舞い上げる。
そのたびに漂う、微かな花の香。
央登の言葉に、右典は軽く瞠目した。そんな態度が余計に癪に障って、
央登の感情は、堰を切ったように溢れ出す。
光を宿した瞳から、一瞬にして、滴がこぼれ落ちる。
「見たんや、俺。公園で……お前が誰かに告っとるトコ………。どぉし
ても気になって追いかけたんや……お前んコト。そしたら………なん…
でや……それなのに……なんで……………………それとも……俺の気持
ち知ってて………からかっとんの……?ズルい…やん……そんなん……
…ズルい…」
興奮しているせいで支離滅裂なことを言っている央登を、じっと見つめ
て。
涙に濡れて輝く頬にそっと触れて。
右典は、ふっと微笑んだ。
「アホ」
容赦なく投げられた、一言。
心なしか楽しげなその響きに、今度は央登が瞠目する。
「確かに、俺は告ったで。でもな…誰に告ったと思っとんの?」
「誰って……」
あの少女ではないのだろうか。
混乱して目を泳がせる央登に満面の微笑みを向けて、その頬に軽く口付
けて。
肩を引き寄せて耳元に唇を寄せると、右典は囁いた。
「俺が好きなんは、お前や」
「………は?」
「だ∼か∼ら、お前が好きなんよ」
好き、すき、スキ…………
意味不明。
首をかしげる央登に、右典は渋々説明を試みる。
「俺、前にあのコに告られてん。で、今日返事することになっとって、
断りに行ったんや。好きなヤツおるからって。……んで、そんなにそい
つんコト好きなんかって聞かれたから…」

『本気で好きなんや。他のヤツなんて………目に入らんくらいに……大
好きなんや』

あのコトバは。
自分のためのもの………?
解った途端に膝から力が抜けて、糸を失った人形のように、央登はその
場にしゃがみ込んだ。
ぽろぽろ、ぽろぽろ。
こぼれては落ちる涙が、不思議なほどに温かくて。
屈んで覗き込んでくる兄の肩口に額を預けて、央登は泣いた。
雪になれない可哀相な花びらは、暖かな体温に包まれて、色褪せること
も絶えることもなく、最愛の人に降り注ぐ。
もう、雪になる必要もなくなってしまったけれど……。

「忘れるとこやった…」
帰り道。
そんなコトを呟きながら、右典がジャケットのポケットを何やら探り始
める。
「コレ。おみやげ」
差し出されたのは。
淡く色付いた花を結った、桜の小枝。
「コンビニ結局寄らんかったから……持ってってやろう思て…」
言いながら照れたのか、鼻をすするフリをしつつ、右典は目を逸らす。
そんな兄の横顔を見つめて。
“おみやげ”を受け取ると。
 
「………ありがと」
 
呟いて、柔らかな花びらに口付けた。


くるくる。
くるくる。
空気に玩ばれて、舞い落ちる花びら。
一年が過ぎても、この光景だけは、何も変わらない。
全てがあのときのまま、緩慢に、穏やかに。
生き続ける景色。
「さ∼て。ジュースでも買って来るかな∼。せっかく昼寝しとったんに
、ひさっちゃんのキスに邪魔されちゃったし∼」
物思いに耽っている央登を尻目に、右典は伸びをしながら立ち上がった
。
自分の軽口にも耳を貸さない弟の横顔を覗き込んで、その目前で手を振
ってみる。
「ひさっちゃ∼ん?何考えとんの∼?」
「うっさいな!なんでもあらへんわ!」
我に返った央登は、ごまかすようにわざと声を荒げた。
楽しそうに笑ってその場を離れかけた右典が、ふと、振り返る。
「何飲む?お茶でええ?」
呆れたまなざしもそのままに軽く頷くと、右典は再びきびすを返して、
近くの自動販売機へと歩いていった。
その後姿をしばらく見つめた後、央登は、梢に霞む蒼穹を見上げる。
右典は、いったいいつまで自分を好きでいてくれるだろうか。
可哀相な花びら達を、いつまで受け留めて包んでくれるだろうか。
そんなコトを考え始めると、決まって、際限のない不安に襲われる。
あのときの景色が変わってしまう日が、やがては来るのかもしれない。
でも今は。
信じていたい。
信じていてもいいのだろうか。
「……央登」
気付かない内に戻ってきていたらしい右典に、突然背後から声をかけら
れて、央登は硬直した。
「コレ、」
肩越しに差し出された、何か。
目だけを動かして、そっと、確かめる。
時が戻ったのかと、一瞬錯覚した。
そこに在ったのは、丁寧に手折られた、桜の小枝。
受け取って振り向くと、柔らかな、大好きな笑顔が木漏れ陽に照らされ
て……
「おみやげ」
思わず、涙がこぼれた。
例えようのない感情が、弧を描く桜花と重なって、拍動をせり上げる。
この景色がいつか消えてしまうなら、それでも構わない。
何が消えても。右典が自分への想いを忘れても。
この胸には、きっとずっと、花びらが降り続けるだろう。
最愛の人への、何よりも大切な想いが……。
涙を拭って、央登は微笑んだ。
右典のためだけの、笑顔で。
      
「………ありがと」


            ■□end□■