||: La Corda Agrodolce :||
奏でていけない音色 - by M.
4. 生み出す夜想曲 部活がない日は、いつもより長く一緒にいられる。だからできるだけ長く一緒にいる口実を、何か探してしまう。そばにいてほしい。少し手を伸ばせば、触れるところに。 柄じゃねぇよな。 「わ、悪い。ちょっと考えごとしてて……。 … 講堂に寄っていかないか。あそこのピアノは、音がいいし。」 わざとらしい口実でも、気付かないふりをしていてくれ。 「サンキュ、行こうぜ」 本当に柄じゃなくて、なかなか自分からは言えない。好きだ、なんて、言う俺、想像つかないだろう? 「何か、弾かないか?聞きたいんだ。」 何度も聞かせてくれ。 俺にだけ。
♪ 〜〜〜生み出す協奏曲−土浦サイド〜〜〜 ♪
本当に、もうへとへと。 こんなの体力消耗とは思わなかった。 真冬の 12 月、室内でも空気が乾燥で冷たかった。俺はシルク布団を肩にまで捲り上げて、掛けなおした。 枕も、シーツも…心地が良い。あいつの匂いがする。 まー、一応これはあいつのベッドなわけだ。それに、あいつは…蓮は、すぐそばで寝ているし。 当たり前のことだが、シングルベッドは男が二人で寝るには少し小さかった。肌と肌が密着して、あいつの体温が伝わってくる。やさしく暖かいと感じた。温もりというものは人を癒せる不思議な力が潜んでいるとつい思ってしまう。 …しかし、どういう流れでここまでやってきたのか。混乱のまま思い出してみた。
「どんなに苦しくても音楽を続けるという選択しか俺には残されていない 。 」 「君には君の考えがある。」 「…送ってもらわなければよかった。」 「俺にだって…」 「音楽の極みを求めるのが孤独だ。」 「つちぅ…」 「あっ、あん…ぁっ」
…… 頭にはあいつの声が飛び混じっている。…本当にめちゃくちゃだな。 8 ヶ月前、コンクールの競争者としてあいつと知り合った。 5 ヶ月前、あいつへ特別な感情を意識をし始めた。 3 ヶ月前、ついあいつと密かに付き合うことが始まった。 2週間前、クリスマス演奏会の披露曲「流浪の民」について意見が合わなかった。それは案の定のことで、最終は無事に済んだが、ようやく大事なことを気付いた。俺は、指揮をやりたくなった。音と音を折り合わせて、ひとつの音楽を作っていくことに惹かれた。楽器と楽器、奏者と奏者、心と心の繋がり、俺はそれを学びたい。そうしたら、伴奏ばかりのピアノではなく、指揮でヴァイオリストなんかに自己の解釈を伝えて、そして、音が応じてくる。少なくともこのような形で、あいつが俺の求めることに応じてくるのを望んでいる。これは人生のターニングポイントと言うなら、あいつがまたありのままでいるな。 本格的ではないが、あれ以来指揮の勉強を始めた。しかし、あいつにはまだ教えていない。言いづらいというか、教えようと思ったら、あいつの留学の噂が既に事実のように流行っていた。 留学のことなら、 つい 60 時間前にあいつとまた意地を張り合った。 原因は普通科の日野が、あいつの留学の噂で浮かない顔していたことだった。 「気にすることはないさ。海外じゃないと音楽ができないってもんでもないだろう。大きくかまえてろよ。行きたいやつは勝手に行けばいいさ。」 一緒にいる時間を作るため、俺はせっかく音楽科に転入することに決めたくせに、あいつは飛行機に乗ってもすごい時間かかってしまう場所へ旅たつなんでムカついた。 「君がそう考えるのはかまわない。だが、その考えを押し付けることは彼女にならない。」 不本意だったが、あいつに聞かれてしまった。あいつは留学の理由をいちいち語っていたが、俺はヨーロッパの良さなんか聞きたくなかった。本当は何もかもわかっている。あいつのために先に進めばいい。悩むのは後でいいのだ。ただ、俺も、俺の道しか歩けない… そういうの時、あいつの声は案外うるさかった。 「俺は、自分の演奏に満足できないから行くだけだ。クラシック音楽はヨーロッパの風土を知らない限り、最終的な理解は得られないと思う。君たちは、ヨーロッパへ行くべきだと思う。自分の完成させるべき音楽をそこで見出すために、少なくとも、俺はそう考えている。だが、君たちには君たちの考えがあるんだろう。」 あいつもわかっているようだった。俺は、もっと自分の力で、進めていきたかったから、ヨーロッパなんて行く余裕がない。だって、俺は姉も弟もいて、経済的にあいつのように恵まれていないから、そんなにわがままなことを両親に頼むわけはないだろう。 それは一昨日のことで、部活も入ったから、結局再びあいつと話さなかった。 …少し気まずかったが、お互いに何も悪いこともやらなかったし、昨日はいつものように練習を誘ったら、またいつものようについてきた。 「悪かったな。」 練習室で、あいつの耳に囁いた。あいつの前に、謝る言葉はいつの間にかくせになってしまったようだ。そして、俺達は仲直りした。キスで確認できた。そして…もう一回、もう一回、しっかり確認してきた。 今日は部活がない日。クリスマス・コンサートは来週のため、放課後はまずあいつや日野たちとアンサンブル練習にした。できるだけあいつと長く一緒にいるため、練習が終わってからわざわざ講堂まで足を運んだ。あいつと、二人きりで。何気なくあいつに何かを弾いてくれと頼んだら、「感傷のワルツ」が流れてきた。今日の彼は元気ではなさそう。過度の練習で疲れたのか。淡々と鬱いでいる音色…それは蒼い月のような瞳と一致している。技術を抜けば、曲は単に魂のないノートが虚しく響いたもの。聴くのは心を痛めるだけだ。 「どうしたんだか。お前らしくねぇな。」 「…いや、別にたいしたことではない。」 「うそに決まっている。何かあったのか。」 「何度も言うようだが、余計なおせっかいはやめてほしい。」 きた。あいつは何かあった時はいつも回りと距離を置く。自己保護モードが起動すれば誰でも入れない頑丈なバリアが張ってある。 「はっ…お前さ、あれだな。ちょっと休憩した方がいいかも。」 ほっといてはいけない。何故かそう思った。 「では、お言葉に甘えて、先に失礼する。」 今日のあいつは…変。怒ったわけがないだろう。慌ててあいつの後ろについていった。あいつは普段より早足で歩き、間もなくいつもの交差点に着いた。俺とあいつの家は別方向だから、しょっちゅうこの交差点で「じゃあな」と言って別々でうちに帰る。 「おい、なんだよ、お前。いきなり帰るなんて…」 仕方なく、あいつの腕を掴んだ。 「放してくれないか。学校の周りではみっともない行動をやめてほしい。」 「と言われても、ほっとけるわけないだろう。お前、なんかおかしい。」 「ただのストレスで何かおかしい。」 「なら、ストレス散発しに行こう。」 あいつの手を引っ張って、坂道に下りていた。 「 …わかったから、とにかく放してくれ。」 手を放して、二人は黙ったまま海岸公園に着いた。既に夕暮れになっていた。冬の海岸は風が強かった。あいつの髪は乱れていた。木の陰に潜んで、俺はうしろからあいつに抱きついた。制服のコートが余計に厚かったが、あいつの体を感じていた。 「 ちょっと寒いだろう。しばらくこのままで…」 「 あ…」 「 気に入った公園だぜ、ここは。緑があって、海の匂いがして、落ち着く場所だった。それに、子供やカップルの笑い声もよく聞こえる。いきいきしてさみしくはない。」 あいつの耳元に囁いた。ああ、あいつの空色のような髪に近づくと、あの独特な匂いがする。 「 さみしく…ないか。…誰にも、音楽の極みを求めるのが孤独だ。どんなに苦しくても音楽を続けるという選択しか俺には残されていない。」 「 お前、まさか…まだ留学の件で言われた言葉を気にしてんの。」 「 いや、留学していない今も音楽の道を歩む限り…音楽は俺のすべでだ。学校でも家でもとにかく曲の練習で、消音壁に囲まれる毎日だった。母はピアニストのことでなおさらだ。クリスマスなのに海外の演奏会で団欒にならない。聖夜も、日野たちとの演奏会が入って、特別な人と…いや、なんでもない。一人ぼっちのことを覚悟しただけで、嫌という気持ちなどはない。」 「なるほど。…俺さ、なんだかクリスマスを祝う気があるけどな…よければ今夜にしようか。」なぜか俺は少しほっとした。 「 いや、そういうつもりではないが…」 うつむいたあいつは可愛いとしか思わなかった。 「 もし頼るなら、俺にしておけよ。無理してるはずなのに何も言わないから心配でさ。」 「 そろそろ時間が…これから、送ってもらえないか。」 「 いいよ。喜んで。」 月森邸への道は知っている。密集ではない閑静な住宅街に向かい、空気がさらに冷やしていた。クラシックの新盤CDを話していて、いつの間にか着いた。 家は暗く見える。明かりがついていなかったから。優雅な洋宅だが、何か落ち着かないかと言うと、静かすぎで、冷たくて、暗いということだ。 「 もう着いたな。」 「 あ… 。すまない、 送ってもらわなければよかった。」 「 は?」 「 分かれる気持ちはこういうものなら、最初から始めない方が楽かもしれない。」 「 あのさ…」 「 何か。」 「 誰もいない様子だが、晩メジ、大丈夫だろうか。」 あいつの家に指して伺った。 「 余計な心配は無用だ。あれ以来レンジの使い方をちゃんと身に付けたから…」 眉をひそめたあいつを見てかなり面白かった。既に今春のことだったが、あいつが合宿の時にレンジさえ使えなかったことはよく憶えている。 「じゃあ、来客にお茶を出すくらいもできるだろうな。」 「まー…その通りだが。家族はそれぞれの用事でうちにいないが、ずっと玄関にいる気がないなら、中に上がっても構わない。」 あいつは俺に背を向けて、ドアを開けた。素直ではないやつだな。 初めて来たことではないが、しばらく客室のソファに腰を下ろして、うちに外食すると電話しておいた。部屋はさすがに雑物のない、毎日掃除しているような清潔感にあふれた。…しかし、やはり台所から響いた音が気になった。 「やっぱり、水でいいんだ。」 台所に行ったら、一生懸命電気魔法瓶を電源に接続しているあいつが目に入った。ほっとしたというか、あいつがお茶を出せるのは信じるが…。 「腹が減ってない?お前の晩メシはどこに置いといたか?」 勝手に冷蔵庫を開けて、高級そうなケーキなどはあったが、ご飯になりそうなものはなかった。 「…ひいきしているレストランに電話で注文すれば送ってくる。」 確かに。 「うまそうなステーキをみっけ!おう〜サラダ用の野菜も残ってる。大漁!大漁!つくっちゃっても構わないかな。」 「構わないが…料理がそこまでできるか。」 「任せとけって。あのな、何かを聴きたいけど、 CD とか用意してくれる?」 「あ、わかった。」 ステーキの焼き加減をミディアムにして、そして簡単にトマトパスタ及び和風サラダを作って出来上がり。料理を食卓に運んで、いつの間にかショパン名曲集が流れながら蝋燭まで用意していた。 「うちはステーキに赤ワインだが、口に合わないと白ワインもある。」 「未成年のくせに?まー、後ろめたいってやつだな。」 「飲食慣習の一つと思うが。」 いつだってあいつは真面目だった。実は俺…ワインを飲んだことがなかった。顔は大人っぱくて極たまにスーパーでビールや酎ハイを買って楽しんだことがあるものの、ワインというのは俺にまだ遠い存在だった。とはいえ、あいつの前に認めたくなかった。 「数日間早かったが、メリー・クリスマス!」 「…メリー・クリスマス。」 ワイングラスを上げて、月森と乾杯した。グラスを通して、珍しくあいつの微笑みが見えた。俺は安心した。昼に曇ったあいつの心はようやく晴れたような気がした。そのせいかワインも一層うまくて、一気に飲み干した。思い返せば、飲食慣習にこたわる両親がいれば、ワインはうまくないわけがない。 何杯を飲んだだろう。そんなに飲んでいなかったが、耳に流れているショパンの即興幻想曲は浮かんでいると聞こえた。蝋燭の光は朦朧で、あいつの顔は何よりも美しかった。 「あのさ、お前のこと…蓮って呼んでいい?」 「なぜ急に…」 「蓮。」 「つ、土浦…君は頬が真赤だが、もしかして…酔っ払ったか?」 「そんなわけないだろう。真赤って、蓮こそ頬が赤かったぜ。」 あいつは困った顔がしていた。 「梁太郎って呼んでもらいたいな。」 「…」 「な、呼んでみて。」 「…」 「蓮、やっぱり無理か。」 「…リョ…いや、君は大丈夫なのか。」 かなり眠くなってきた。気が付いたら、食卓で少し居眠りしてしまった。そのせいであいつの部屋に運ばれただろう。ベッドはふわふわで気持ちよかった。 「お湯でも持ってくる。君はこのままじゃいけない。」 「行くな!」 離れているあいつの手を思わずに掴んで引っ張った。 夢を見ていた。天使が身の上に落ちってきた。乗せた体重などで実感がする夢だった。 「行くな、蓮。」 「…君はいつだって強引的だな。」 「そばにいてほしい。」 あいつは反抗しなかった。俺は身を横たえると、あいつをベットの中に引き込んだ。 「俺にだって…」 「蓮?」 「俺にだって…同じ気持ちでいる。」 「蓮、俺は…寂しい思いなんかさせない。」 「つちぅ…」 何か伝えたがっているなら、唇で伝えよう。 乱れる吐息が理性を崩すようで、心底から溢れる思いを膨らませ、頭を爆発させるほどあいつがほしかった。 「蓮…」 「ゥ…」 「蓮、悪かったな。俺、もう止まらないんだ。」 「はっ…リョウ…リョウタロゥ…」 彼の華奢な体を優しい月光に晒させ、肌の誘惑が全身に走っていた。 「蓮…」 「はっ…やめろ、リョウン…はっ…」 「蓮…はぁ、蓮…」 「あっ、あん…ぁっ」
何度も聞かせてくれ。
恍惚の瞬間に頭は真っ白となり、その次は何か起こったのだろうかさっぱり憶えていない。ああ、割れるような頭痛に苛まれた。これはきっと神様から 下った 罰だ。だって俺は、不意にあいつを傷つけてしまって罪深いのだろう。 ずっとあいつの寝顔を見つめて…蓮は、汚されても愛しい。時間が止めればいいのに、なんだか音が遠くに鳴っているような気がした。 よく聴いているような音だと思えば、 それは…俺の携帯の着信メロではないか!今は何時だろう。慌ててジャケットを被って、客室に置いてある携帯を取ってくる。 ミスコール履歴、家から 3 回。あっという間に夜 10 時 45 分になった。走ったら最終バスに間に合うはずだが… 「もしもし。姉貴、悪い。食事の後に佐々木んちで DVD を見てさ、気が付いたらもうこんな時間になっちゃった。…あ、それはかばんに置いちゃって聞こえなかったんだな。…だから、今夜はあいつんちに泊まってく。明日は土曜だし。…はいはい、わかった。それじゃ。」 ショパンの曲がまだ流れている。 CD プレーヤーがリピートモードに設定されたのだろう。切なくて美しい「別れの曲」。まるで俺たちの物語を語っているようだ。しかし、別れるのがわかっても、その日が来るまで俺はあいつを寂しさから守りたい、という純粋な気持ちが湧いている。 「…土浦、帰らなくてもよろしいだろうか。」 ナイトガウンを着ている月森が降りてきた。 「起こさせたか。」 「いや、仮寝してただけで気にしなくていい。」 「さっきうちに電話を入れて泊まってくと言っといた。」 「あ。」 「とりあえずここに座ろう。」 自分の 座って いる ソファ の横を叩いた。 「言っておくが、俺は一人だろうとも平気なんだ。」 「あ、わかってる。」 わかっている。お前はどの程度の寂しがり屋だったのか充分わかっている。 あいつはただ大人しく座っていて、うつむいた。静かな部屋がショパンのノクターン第 2 番で満たされている。 綺麗な旋律で 「愛」や「恋」よりも「思いを馳せる何か」を語っているようだ。 「あのさ…その…体の方は大丈夫なのか。こういうのがお互いに初めて…だと思ってさ…」 「…あぁ。」 「無理やり乱暴のことをさせて、本当に申し訳ない。」 「謝るわけがないと思う。拒否の意志があれば、最初からこういうことを絶対させないと決まっている。」 衝撃的な言葉を聞いてあいつに視線を向けていた。 「蓮…」 「やはり…パジャマを用意する。こういう格好じゃ…目のやり場に困る。」 あいつは頬を染めた。 「目を瞑れば済むだろう。」 再びあいつの唇を奪った。アルコールの影響ではない。俺の意志で、あいつへ思いを伝えたかっただけ。ジャケットの中に潜入してきたあいつの手が俺の背中をつかみ、思いを思いで応じてくる。 夜は長い。俺達の間に生み出していた夜想曲はきっとショパンにも負けないマスターピースになると信じている。(おわり)
後記:この文章の時点は(2003年)12月19日(金曜日)でした。 ||: BACK :|| |