2002年9月
9月1日
札幌→支笏湖→千歳→羽田。
美味しいものを朝・昼とたらふく食べました。空港で食べたシナモンロールも意外に旨かったです。
9月2日
岩根圀和著『物語スペインの歴史』(中公新書、2002年)終了。間で数百年飛んでいるところが気になりましたが、スペインの歴史はある意味そういうものかも知れません。
何もアウトプットはありませんでしたが多忙な一日でした。
9月3日
慌ただしい一日。やむを得ません。自業自得ですから。
9月4日
殆ど何も考えずに一日が終わりました。さあ、明日から夏本番です。羽目を外しすぎないように羽を伸ばしてきます。
9月5日
NRT→AMS→BCN。多少遅れた以外は、きわめて順調なフライト。よく眠ることができました。
AMSでは、とりあえずハイネケンを一杯ひっかけ、つかの間のオランダ気分を楽しみました。どうやらこの空港で「入国審査」を受けたらしいのですが、特段はんこを押してもらうことなくEU諸国への入国が認められてしまいました。こちらが不安になるほどおおざっぱなパスポートコントロールです。BCNでは国内線扱いで何もチェックを受けずじまいですし。
バルセロナ市内に入り夜の街をぶーらぶら。結構遅くだったせいか日本人も比較的少な目で何とも外国気分が満喫できます。夕飯はLes Quinze Nitzへ。結構並びましたけど、それなりの味でした。ワイン(Rioja産)ハーフボトルは、時差ぼけの頭にかなり厳しく効きました。観光は明日から本格的に行きまーす。
9月6日
実質的な一日目。
今日は、朝っぱらから日本人の多さにウンザリ。とにかく、カサ・バトリヨから観光スタート。ルータ・ガウディを購入して、ガウディの足跡をたどりました。カサ・バトリヨ、馬鹿になりません。
次は早速サグラダ・ファミリアへ。建設中であることをここまで公然と見せている観光スポットもないのでしょうが、想像以上の複雑な内部構造に驚きました。よく矛盾なく一つの建物に仕上げたものだとただただ感心してしまいました。超天才か狂気の沙汰としか思えません。・・・階段で上り下りをしたため膝が笑ってしまったのは情けなかったです。
その後、徒歩でサン・パウ病院へ。すてきな病院でした。医療技術、についてはよく知りませんが、観光客が大勢やってくることが患者にとって良いのか悪いのか・・・。
グエル公園・ガウディ博物館へ。今回のバルセロナ訪問の一つの目的でもあるグエル公園。目標通り、ベンチでぼさっとしてきました。公園内のガウディ博物館はちょっと小さすぎです。
昼食はパエリア。米の芯が残っていたのが気がかりでしたが、そういうものらしいです。
で、グエル邸へ。内部の案内は結構丁寧にやってくれました(スペイン語+英語)。カサ・バトリヨほどガウディはやりたい放題はしていないようでしたが、屋上はやりたい放題(ガイドの弁)でした。
カテドラル等を見て回った後、ピカソ美術館へ。正直期待していなかったのですが、見応え十分でした。15前後の少年の絵とは思えないほどの哀愁漂う絵が数多く飾られていて、あまり知られていないピカソの一面、もちろんピカソならではの一面も、を垣間見ることができました。ラスメニーナスの剽窃は特におもしろい作品群でした(この辺で時差ぼけを実感)。
別にピカソを馬鹿にするわけではないのですが、ガウディに比べると多少はわかりやすいような気さえしてきました。
夕飯を取った後、海岸沿いをぶらぶらし、リキテンシュタインのスカルプチュアを横目に見つつ、タブラオ・コルドベスへ向かい、フラメンコのショーを見ました。よくわかりませんでしたが、ものすごく盛り上がっていたようです。ただ、観光客向けの店なので、時間通りに始まってしまったのが残念でなりません(^^;)。
9月7日
二日目の市内散策。昨日時間のロスが多かったことの反省を踏まえ、できる限り効果的にまわりました。
まずは、フィゲラス邸Bellesgurard。現在は個人所有とのことですが、観光客がわさわさやってくるのでさぞ暮らしづらいのではないでしょうか。内部を見ることができなかったのが残念です。その後、サンタ・テレサ学院Collegi de les Teresianesへ。幾何学的な模様が印象的でした。更に昨日入り損ねたカサ・ビセンスCasa Vicens。これまた個人所有で実際に生活しているというから驚きです(見学の途中でおじいさんが家から出てきて、観光客を物珍しそうに見ていました)。使い勝手がとても悪そうですし・・・。
ガウディ巡りもとりあえず一段落させ、次は美術館巡りへ。まずはその前にジョアン・ミロ公園でおっきなスカルプチュアと対峙。その後、大階段をてくてく上ってカタルーニャ美術館、ミロ美術館へ。世田谷美術館で見たミロ展がこの旅行の直接のきっかけだったので、何ともいえぬ思いを抱きながらミロ美術館をゆっくりゆっくり、楽しみました。
一日の最後は、近代美術館、動物博物館(再訪)を経由しつつ、カサ・ミラへ。思う存分曲がりくねった屋上・室内を不思議な感覚にとらわれながら見て一日が終了。夕飯はカサ・バトリヨちかくのCitrus。今日もよく飲みました。よく覚えていません。
9月8日
ちょっと早めにホテルを出てコロニア・グエルへ。何もない駅を降りたところで困ったなあと思っていたら、たまたまコロニア・グエルで働いている気のいいお兄ちゃんが同じ電車に乗っていたので、一緒にチケット売り場まで行きました。やっぱり何もない道をのんびりと15分くらい歩いて到着。ちょっとした住宅街みたいな感じなのですが、映画のセットにそのままなりそうな雰囲気。その中をぐるぐる回っておお目当ての教会堂へ。ガウディが途中でサグラダ・ファミリアに集中するため、ほったらかしてしまった教会堂ということで中途半端に増築がされてあっていかがなものか?と思いましたが、そこは最高傑作といわれるだけのことはあります。中ではステンドグラスから差し込むほのかな光に照らされたガウディの作品が人一倍輝いて見えました。入った当初は開門直後で4−5人くらいしか居なかったので静謐な環境だったのが良かったのかもしれません。
ちょっと夢うつつな気分になった後は市内に戻り、昼食にタパスをトライ。かっこはいいですが、要は立ち飲みの居酒屋さんに毛が生えたものです。お腹も満たされたところで闘牛・カタルーニャ音楽堂(見学ツアー)のチケットを抑えに。モヌメンタル闘牛場の周りにはダフ屋がうじゃうじゃ居ました。
夕方以降の予定を固めたところで、現代美術館、現代文化センターへ。後者ではガウディを巡る展覧会の最終日。それなりに賑わっていました。現代美術館は残念ながら改装中で3分の2くらいは見ることができませんでした。楽しみにしていたのにぃ。
本日の観光の締めくくりはカタルーニャ音楽堂。世界遺産に指定されているという立派なコンサートホールです。建物自体が芸術品なので、そこで演奏する人は相当のプレッシャーがかかるのではないでしょうか。ツアー中、パイプオルガンの音あわせでがちゃがちゃしていましたが、それでも何とも趣のある響きでした。期待以上のツアーでした。
最後に闘牛。英語のガイドブックにはバルセロナの人はあまり見に行かない、みたいなことが書いてありましたが、確かに観光客だらけでした。東洋人も目に付きましたが、隣に座ったアメリカ人女性3人組は、「動物が好きだからあんまり好きじゃないんだけどせっかくスペインに来たんだから・・・」と訳のわからんことをいって思う存分エキサイトしていました。でも彼女たちの一人がスペイン語がわかる人だったので、色々と解説してくれたので助かりました。しかし、平和主義者?な私には刺激的すぎました。とんでもなく残酷なんですもの・・・。
食事ものどが通らないかと思ったのですが、ワインを飲んだら吹っ切れました。4GUTSで絵を鑑賞するとともに良い夕飯でした(但し、牛は食べてません)。
9月9日
超早起きをしてフィゲラス・カダケス・ポルトリガットへ。今日一日、ダリ漬けになりました。
まだ暗い中、フィゲラスへ向け出発。車内放送も、電光掲示板も停車する駅を伝えてくれることがないまま徐々にフィゲラスへ近づきました。当初、居眠りをこいていたのですが、乗り過ごしては大変、と気合いを入れて駅に着くたびにここがどこであるかを確認しようとしましたが、暗いし、どこから駅が始まっているのかわからないし、本当に冷や冷やものでした。幸いフィゲラス駅は大きめだったので、自信を持って降りることができました(電車は2−3分早く到着したので、時間だけが頼りなら乗り過ごしていたかも・・・)。
まだ、活動開始前のフィゲラスの街をぶらぶらしながら、サルバドール・ダリ劇場美術館へ。卵が一杯乗っかった建物だったのですぐわかりました。美術館入り口前で朝食代わりのクロワッサンをかじりながら待つこと20分くらい、隣接する教会の鐘の音を合図に開館しました。図らずも一番乗り。決して熱狂的なダリファンではありません。
中にはいると、ダリの初期の作品から晩年の作品まで豊富な展示。巨大な作品から虫眼鏡を通さないと見えないような細かい作品までダリの魅力満載でした。ただ、どこまでふざけていて(言葉は不適切かもしれません。)、どこまでまじめなのか見極めがたく、展示品貸し出し中みたいな札が、作品なのか、本当に貸し出し中なのかちょっと迷ってみたり???いろんな楽しみ方ができました。地下にはダリのお墓もあり、ダリファンなら絶対に訪れるべき場所でしょう。併設の宝石館では、ハートの形をした脈打つアクセサリーの気持ち悪さにダリらしさを確認し変に安心してしまいました。
時間が多少余ったので、サン・フェラン要塞へ。現在も軍の施設と言うことなので、入るためにパスポートを提示しなければなりませんでした(面倒臭っ)。はえがぶんぶん飛んでいて不快でしたが、様々な戦争をくぐり抜けてきた廃墟はすごみがありました。鈍感な私でさえ、ヒヤッとするものを感じましたので、その方面に敏感な方には厳しい場所かもしれません。
午後には、今回の旅路の一つの山場であるカダケス・ポートリガットへ。フィゲラスからバスに揺られること1時間あまり、カダケスは絵によく描かれるような理想的な地中海に面した小さな田舎の村です。ポートリガットは更にひなびたところ。ダリの別荘があったという以外はおそらく何もないのでしょうが、その一つのためだけにずいぶんと(但し静かな)賑わいを見せていました。
ダリの別荘は徐々に建て増されたということで非常に複雑怪奇な構造でした。ウィットに富んだ部屋の作り、置物等、ダリの皮肉っぽい含み笑いが聞こえてきそうな所です。しかし、奥さんとの時間を本当に大切にしていたんだなということは、いやと言うほど実感しました。こういう夫婦になれると理想なんですが・・・。そもそも前提が・・・いつになることやら。
と、話を戻して、別荘見学後は、「記憶の固執 The Persistence of Memory」の背景の舞台となったような感じの海岸線を見にちょっと岩場にのぼってみました。何となくここかな、というところでしばしぼさっとして、なぜか満足。やっぱり単なるミーハーな人間にすぎないのかもしれません。
以上で、ポルトリガットを引き上げ、カダケスへ。海岸線から見るカダケスの街は本当にかわいらしい街でした。地中海の海岸線を歩きながら「繁華街」へ。それぞれが思い思いの過ごし方で誰もがのんびりしていました。こんなところで、せかせかしてもしょうがないです。バルセロナも相当ストレスとは無関係なところですが、カダケス・ポルトリガットみたいなストレスレスな環境で少なくとも2−3日くらいはゆっくりしたいなと思ったのですが、社会復帰ができなくなるかもしれませんので、諦めました。
最後に、バスの時間まで、とおもってカダケス美術館に行きました。全く期待していなかったのですが、ダリのカダケス・ポルトリガットでの生活を垣間見ることができ、また、ダリ直筆の別荘の設計図も確認でき、思いの外、大きな収穫を得ました。カダケス・ポルトリガットでは、多分、東洋人には一人も会いませんでした。ものすごく満足。
9月10日
日帰りでマヨルカ島へ。もう少しゆっくりしたかったかなと言うのが正直な感想です。
さて、マヨルカ島は島とは言え、空の玄関であるパルマデマヨルカ空港にはヨーロッパ各国からの直行便が飛んでいるなど、とても国際色豊かな土地でした。マヨルカ島が、というより、ヨーロッパの国々は昔から行き来が多かったので、国境が持つ意味合いが我々とはやはり違うのかもしれません。
午前中は、Chopin氏(ちょぴんくんではなくショパン先生)が不倫の愛を1年間はぐくんだ?田舎町バルデモサへ。山道をちんたらバスに揺られること30分(お陰ですやすや眠りました)、山肌に強引に建てたとしか思えない集落が現れた、と思ったら、そこがバルデモサでした。Chopinくんが隠れた修道院の一室にはChopinくん愛用?のピアノがおいてあり、ドイツ人(多分)とかイギリス人(これは確実にいました)とかフランス人とかが興奮していました。オーストリアの国旗が何気なく飾ってあったところが、さすが愛国者Chopinくんだ、と一人で納得してしまいました。考えてみればChopinくんの曲をろくに聴いたこともないくせに、本当にミーハーな人間は疲れます。
Chopinくんのお話を踏まえつつ、集落の中をぶらぶらしましたが、小さな静かなところですから、見つかりづらいのかもしれません。しかし、見つかったら逃げも隠れもできないところだなあと言う印象がありました。と、ここで日本の某ドラマ(97年放映)をふと思い出してしまったあたりが、私の限界かもしれません。
パルマに引き返してすぐマヨルカ島訪問の最大の目的であるミロ美術館に行きました。展示物は、バルセロナの美術館の方が数も質も上でしたが、なんと言ってもここの魅力はミロが実際に使っていたというスタジオがそのまま残されていること。絵が作成中であるかのようにスタジオ全体に雑然とおいてあって、雰囲気だけですが、ミロの発想の一端が垣間見られるような気がしました。たった一つの部屋だけでしたが、鮮やかな印象が残りました。
ミロの魔力にとりつかれたまま、パルマに戻る道すがらベルベル要塞に行きました。こんなところ、歩いていったのが間違いでした。乾燥しているとはいえ汗がだくだくでて止まりませんでした。何度も痛い思いをしているので、わかっているはずなのですが、某ガイドブックに本当にだまされました。
パルマ市内に戻った頃には疲れも頂点に達し、あまり観光する気分になれませんでした。とりあえず必須といわれるカテドラル、宮殿には行きました。カテドラルのなかにガウディの作品がありましたが、正直言って、暗くてよく見えませんでした。
マヨルカ島の締めくくりは、地中海に面した海岸線を散歩。ビーチではみなさんが思い思いの時の過ごし方をしていましたが、老若男女、あまりに開放的なので、最初はびっくりしました。純粋にビーチを取りたいだけなのに、何となく写真を撮るのもはばかられて・・・。
街に戻り、ビールを片手にアンチョビ・ムール貝を食べ、至福の一時を過ごしマヨルカを締めくくりました。
以上、きわめて短いマヨルカ島の一日でした。
9月11日
まさかこの日を海外で過ごすとは予想していませんでした。バルセロナも実質最終日です。
もはや観光をまじめにする気力も体力もなかったので、見残していたグエル別邸の門とか何とかの門とかをさっと見てまわった後、ビーチでぼさっとしたり、町中を単にうろうろしていました。というのも、今日は「カタルーニャ国民の日」のため、お買い物をしたくてもいっさい店が開いていないのでおみやげを買い求めることもできず文字通りのんびり過ごさざるをえなかったのです。
そんな一日でしたが、犬も歩けば棒に当たる、で思いもかけない収穫もありました。カタルーニャ州自治政府のお役所の前に来たところ長蛇の列ができていたのでついつい並んでみたら、普段は公開されていない役所の内部を見学させてくれるというありがたい企画が行われていました。見学中、どうやら政府の偉いさんが現れたらしく、バルセロナ人(カタルーニャ人?)は興奮していました。
その後、この祝日の一番のヒーローのスペイン継承戦争時に活躍したラファエル・カサノバ氏の像を見に行きました。綺麗に飾られていましたが、周りではずいぶん激しく演説をしている人が大勢居ました。その後、デモ行進みたいのが始まり、言葉は全くわからなかったので残念なのですが、どうもスペインからの独立を求める人たち「など」が集まっていたようです。中にはソ連の旗を持ってみたり、単にサッカーファンだったり、さらにはいわゆるSeptember 11を忘れるなとか言ってみたり、いやいやアメリカの攻撃は反対とかやってみたり、一旅行者にはとりあえず何かにかこつけて騒いでいるようにしか思えませんでした。ただ、もちろん、この地方にとっての9月11日の意味は計り知れないものがあるのでしょうから、あまりとやかく言ってはいけないのかもしれません。
いよいよ最後の観光、ということでどこに行こうか考えたのですが、グエル公園に行き再びのんびりすることとしました。夕暮れ時だったのですが、まだまだ人が多く、本当にいい雰囲気になっていました。感傷に浸る柄でもないので、頭の中をできるだけ空虚にするよう努力していたら、連日のハードスケジュールがたたったのか徐々に気持ち悪くなってきたので、本格的にグエル公園で休んでしまいました。お陰で気分もすっきりして、全てのスケジュールを締めくくることができました(むろん、帰宅までは気を緩めてはいけませんが・・・)。
今日はワインも控えめに、早寝(とはいえ1時過ぎ)。
9月12日
帰国のための一日。
AMS迄の便が空港警備強化を奇貨としてまず遅れ、さらにNRT迄の便は使用機材不調のため、2時間遅れ。さすがNWと提携しているエアラインは違うな、と妙な関心をしてました。3時間近くAMSで余ったので、色んな買い物をして随分と無駄遣いをしたような気がします。
ところで、AMSでもNRTでも麻薬犬に足許をくんくんかがれました。悪いことは一切していないのですが、犬がそもそも苦手なのでびくびくしていたら、犬をつれたおっさん、お姉ちゃんに不審そうな目で睨まれてしまいました。確かにオランダってそういう国なのかも知れないけど・・・。
行きも帰りも、機内で4食くらい出てきました。こんなものを真面目に食べていたら体をこわします。と思っていたら、帰国便で隣の人が綺麗に平らげてパンのお変わりまでしていました。ひたすら関心。
それは兎も角、預けた荷物の中のワインが割れずに無事で何よりでした。これから楽しむぞ〜。
いずれにせよ、おそわれるなど大きな支障もなく旅を終われたのはラッキーでした。
以上、夢の一週間も終了。
9月13日
2時間遅れで成田に到着。
今のところ時差ぼけは感じていません。ただ、深夜になっても眠くならないのでやっぱり時差ぼけなんでしょう。荷物の整理をしていたら、くだらんものが色々と出てきました。旅に出ると、ついつい無駄遣いをしてしまうんですよね。どう処理しますかねえ。
メールをチェックして、いきなり現実に引き戻されつつありますが、いつ社会復帰できるか。まあ、2週間くらいは無理かなあ? だって、懸賞に当たっちゃったんだもん・・・(^_^)v。
9月14日
町中へお買い物。なんか、歩いているだけで肩が凝りました。
最近活字を見ていないので本を読めなくなっています。まずいまずい。
9月15日
同期の結婚式のため名古屋へ。危うくのぞみに乗り遅れる=式に遅れるところでした。
名古屋らしい会場で何故か安心。ま、いろいろと学びました。
9月16日
熱田神宮+白鳥古墳を見てみました。ヤマトタケルを祀ってあるところとヤマトタケルのお墓だとのこと。
ちょっとはやめの昼にひつまぶし、ちょっとはやめの夕飯にみそ煮込みうどんを食べてかなり満足。
多忙な2週間でした。明日から大丈夫なんだろうか・・・。
9月17日
流石に2週間遊んだ後だと仕事らしいものがたまっていました。それなりに多忙でしたが、座れないほどではなかったので、たいしたことはなかったのかも知れません。単に要領が悪いだけですかねえ(^_^;)。
随分と環境も変わりましたし、これから年末に向け色々大変そうです。
9月18日
疲弊して10時頃には意識がなくなっていました。
9月19日
暇な一日。明日は飲み会です。
9月20日
朱建栄著『中国 第三の革命』(中公新書、2002年)終了。冷静な議論が展開されていましたが、若干中国よりかなと言う気もしました。バランスを取ることに注意をはかっていることはよくわかりましたけど。
しこたま飲んで良く覚えていません。
9月21日
すごい頭痛。
9月22日
天候不順も手伝って、一日寝て過ごしてしまいました。
9月23日
三鷹市美術ギャラリーにて開催中の「ミロ−マヨルカ島の光の中で」へ。つい二週間前のことが鮮やかによみがえりました。
帰宅後、DAIのCD/DVDを復・予習。ちょっとずつマインドを高めていっています。
三連休が続くと楽で良いですね。
9月24日
何故か鼻血が止まりませんでしたが、焼酎を飲んだらそんなことは気にならなくなりました。
一日中エクセル・パワーポイントと格闘していると、気が狂いそうになります。細かい作業は本当に苦手です。ふう。
9月25日
今日もエクセルと格闘。知的生産ゼロです。嘆かわしい限りです。
体調も徐々に悪化傾向。週末までに直るかな???
9月26日
深夜までテレビを見ていると、流石にふらふらしてきます。
青木昌道他編著『モジュール化』(東洋経済新報社、2002年)読了。知らないことが多すぎます。勉強しなくちゃ。
9月27日
仕事もそこそこに切り上げ、Do As Infinityデビュー3周年ライブへ。抽選で当たったものなので、運を随分つかってしまいました。ちなみに、並んで待っている間に景気循環学会他編『ゼミナール景気循環入門』読了。
コピーバンドの前座の後、ちょっと懐かしめの歌・10月30日発売の新曲などなんかを織り交ぜながらのプログラム。14曲を熱唱していたようですが、本当にあっと言うまでした。最後の方には長尾大先生も出てきて大変盛り上がっていました。生のYesterday
& Todayはしびれました。みんな聞き入ってしまったのか、歌い終わったときにはしーんと沈黙してしまいました。
コピーバンドも結構上手い人がいたので、負けちゃったらしゃれにならんなあと若干不安があったのですが、当たり前のこととはいえ流石プロですね。伴ちゃんの歌声はもちろん、Ryoさんのギターのテクニックのすごさに感銘を受けました。
最後は伴ちゃん一押し?の一曲Summer Daysで終了。とってもよかったです。
初めてライブを聴いたのですが、DAIは、CDで聞くよりライブで聞いた方がいいです。もっと色んな曲をライブで聴いてみたいです。
なお、渋公は20年以上前にドリフの全員集合を見に行って以来でした。あのころはもっと巨大なホールだと感じたものですが・・・。体だけは大きくなったと言うことなんですかねえ。
9月28日
雨が降っていたので傘を持っていったら、家を出て10歩くらいで雨が上がってしまいました。ありがちな展開に・・・。
9月29日
結構暑い一日。ちょっと歩いただけで汗だくです。
東京都現代美術館で開催中の横尾忠則展へ。思いの外、展示作品数が多く、全部見るのにかなり時間がかかりました。というより疲れました。60年代の作品から今年の作品まで時代ごとではなくテーマごとにまとめてあって、考えながら見ていたら頭も痛くなってきました。
町中をぶらぶらしていると、あらゆるところで秋祭りに出くわしました。時間の流れは速いです。
9月30日
蒸し暑い一日。天候ははっきりしてもらいたいものです。
今日は、最後の最後に、大人げなく、マジで切れてしまいました。反省はしているのですが、どうしてもこみ上げてくる怒りを抑え切れません。しかし、もうどうでも良くなりました。ふう。
今年も残り三ヶ月。悔いの無いように過ごしたいものです。