■ ソマリア内戦
1991年、アフリカの東に位置するソマリアで内戦が勃発しました。反政府軍の統一ソマリア会議は首都に攻め込みこれを制圧します。これで、以前クーデターで政権を取っていたバーレ大統領が追放されました。しかし、内戦は終わりませんでした。
政権を取っていたアリ・マハディ・モハメッド新大統領と、軍を率いるアディード将軍が仲たがいを起こし、内戦が激しくなりました。
内戦で国内は疲弊しているところへ、悪いことに旱魃が重なり飢饉が広まりました。赤十字や他のNGOが食料の供与を行なう活動をしていましたが、アディード将軍がこの食料を略奪し、効果が上がっていませんでした。
■ 多国籍軍出動
1992年12月3日、あまりの飢饉と内戦に国連が動き、多国籍軍が結成されアメリカ海兵隊が先陣をきってモガディシュの海岸にビーチング(上陸作戦)しました。(リストア・ホープ作戦)
アディード将軍の行動を抑えて、国民に食料の分配を行なうと言う作戦でした。アディード将軍はこれに対し、徹底抗戦で挑みました。アディード将軍の抵抗はすさまじく、この作戦が効果を上げる事が難しくなり、国連はついに国連軍を結成し正式にソマリアに攻め込んだのです。
1993年6月4日、完全武装した(つまりPKFではなく、戦闘体勢の軍)国連軍パキスタン兵がアディード将軍の武器集積場に強制立ち入り検査を行い、武装解除を迫ります。これに対して将軍は同じイスラーム教徒である国連軍のパキスタン兵を攻撃します。この攻撃で24人が戦死しました。
アメリカ軍はこれの報復として、ヘリからロケット弾攻撃を行ないます。この攻撃にキレた将軍は国連に対し!宣戦布告を行ないました。
国連軍が本気で攻め込めば、アディード将軍などはすぐに潰せるはずです。しかし、国連軍はあくまで、平和を守るためにソマリアに来たのであり、戦争が出来る装備ではありますが、積極的に戦争を行なう事はありませんでした。相手が民兵だからなのかもしれません。
そのため、アディード将軍との戦闘は決着がつかないまま繰り返される事となり、国連軍はじりじりと追い詰められていったのです。
なにより、アディード将軍を支持している人々がいると言う事が、重要であります。市街地では女性市民がRPGを発射したり、子供が銃を持っていたりと、国連軍も敵を攻撃する事が出来ません。
こういった、ゲリラ相手の市街戦では戦場と言う概念はすべての建物、すべての交差点が最前線だったのです。国連軍本部も民兵の襲撃を受けること数回に及び、さらにアメリカ軍もついに犠牲者が出ました。パトロール中の兵士が攻撃され、4人が戦死したのです。
■ アディード将軍 逮捕作戦
10月3日、アメリカ軍はついにアディード将軍を逮捕する作戦に出ます。特殊部隊が敵の本拠地に降下し、将軍を拉致してアメリカ軍の野戦基地に連れ帰ると言う作戦です。数々の特殊任務を(一応)こなしてきたアメリカ軍の秘密部隊デルタ・フォースにすれば、人質がいるわけでもないこんな作戦など朝飯前・・・のはずでした。
輸送ヘリ、ブラックホークに分乗した作戦部隊は、ターゲットのいる建物付近に降下します。
「こちらホーク1、降下開始!」
ホバリング中のヘリから兵士が次々にロープを伝い地上に降下を開始すると、敵は盛んに撃ってきました。地上に降り立った兵士はすぐさま反撃に出ます。
重機関銃チームが降下し射撃を始めると、敵の攻撃は緩みます。その隙にどんどん降下を済ませ、兵士は建物に突入していきます。
!! 「RPG!」
不意に自分に照準している敵を発見し咄嗟に叫んだパイロットは、次の瞬間対戦車ロケットRPGを構える敵の後方に発射による白いガスが噴射するのを見た!
「全員つかまれ!当たるぞ!」
降下の順番を待っていた兵士は、自分に向かって発射されたロケットが羽を開き、弾道安定のため回転を始めているのを見ながら、なにか自分が別世界からそれを見ているような、そんな感覚におちいった次の瞬間!
バーン!
「ヒットした!こちらホーク1、敵弾命中!高度維持不能!墜落する。」
「ブラックホークが墜落(ダウン)。繰り返す、ブラックホークダウン、ブラックホークダウン!」
僚機からの無線で墜落を知った司令部は救出を行なうため、地上に降下した兵士を向かわせます。こうして、アディード将軍逮捕作戦は頓挫し、救出作戦となってしまいました。
敵地のど真ん中に墜落したため、乗員を救出すると言っても地上兵達も敵に囲まれたままです。とりあえず、地上兵は墜落地点を制圧することに成功し、四方を固めて救出部隊を待ちました。
ところが墜落の連絡を受け、アメリカ軍野戦基地から出発した救出部隊も敵の攻撃に阻まれなかなか墜落地点までたどり着く事が出来ません。アメリカはやむ終えず、国連軍に救助を要請する事にします。実は特殊部隊が出動しているこの作戦はアメリカ軍独自の作戦であり、国連軍とは関係ありません。
そのため、国連軍とて危険を冒してまでアメリカ軍の尻拭いをする事は、決して快いものではありません。しかし、アメリカからの強い要請でUNと大書している装甲車を出し、アメリカ兵を救出する事にしました。もちろん、アディード将軍は国連軍に宣戦布告しているのでUNと書いてあろうが関係なく撃ってきます。
こうして国連軍の出動で15時間後にアメリカ兵は救出されましたが、犠牲となったのは銃撃戦で戦死した18人と捕虜1人でした。後に捕虜は解放されました。
■ アメリカ撤収、そして国連軍も
この事件は世界で報道され、惨殺されたアメリカ兵が市中引き回しにあっている映像が流れます。正義のアメリカがなぜソマリア人に憎まれているのかと言う問題が噴出し、アメリカはソマリアから撤退する事となりました。
結局、ベトナムのときと同じく、アメリカはソマリアで勝利する事が出来ませんでした。このブラックホークダウンのときだけでもソマリア人1000人を倒して、アメリカ兵の犠牲は18人です。
しかし、アメリカは負けたのです。戦闘に勝っても勝利をする事が出来なかった。このときソマリア民兵を指揮していたとされるアイマン・ザワヒリは、ベトナム戦争を研究しアメリカ軍に勝利したのです。
1995年には国連軍も同じように撤収し、ソマリアはまたも内戦が激しくなってしまいます。結局リストアホープ(希望の回復)は叶いませんでした。
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