第5次中東戦争
ヨム・キプール戦争・ラマダン戦争

■ 第5次中東戦争 10月戦争(アラブ呼称) 1973年10月6日

 イスラエル
          V.S.
              エジプト、シリア (軍隊派遣 ヨルダン、サウジアラビア、モロッコ、イラク)
エジプトは周到な計画で、イスラエルと(有利な)和平に向けての大和特攻ならぬ最後の攻撃を仕掛けました。これこそ”エジプトの計略 シリアを躍らせ、虎口(イスラエル)に入りて虎子(和平)を得る”というところです。

 

■ 新大統領サダト、イスラエルとの単独和平を狙う

■ サダト大統領の決意
そう、最初から分かっていたのだ。戦争というものが人類の益にならない事など。お互いの若者を戦わせ何を得るというのか。最初から分かっていたのだ・・・。国民が幸せに暮らせる事こそ、国家の役割ではないのか。私は戦争より平和を、強い軍隊より強い経済を望む。

そして、私はほかのアラブには秘密にしたまま、イスラエルとの和平を決意した。それを悟られないためにも、来るべきイスラエルとの戦争を口にしつつ・・・。

■ サダト大統領の憂鬱
ナセル大統領が呼び込んだソビエト軍事顧問団は、ファイサル国王(サウジアラビア)やアメリカの要請に答え、退去させた。これにより、エジプトは東側よりだというイメージは払拭されるはずである。まずは、アメリカが出てこないことにはイスラエルとの和平は進まない。

しかし、なんと言う事であろう。アメリカはまったく動かないではないか。やはり、アメリカはソビエトとのパワーバランスが大事でありこの中東の人間のことなどは考えていないのだ。

■ サダト大統領の計画
こうなれば、もはやエジプト自身の力でイスラエルと和平に持ち込むしかない。しかし、いきなり和平交渉を行なったとしてもシナイ半島を返還させる事ができるであろうか?そればかりか、他のアラブから非難されるのは目に見えている。攻撃される可能性さえある。

ここは、ひとひねり必要である。・・・イスラエルを攻撃し、シナイ半島を力づくで取り返した後、和平交渉のテーブルにつくのがよかろう。イスラエルを叩けば他のアラブも納得するであろう。

イスラエルとの戦争にはシリアも必要である。さらに、ソビエトの新兵器。これも無くてはイスラエルとは戦えない。そして、私は一度決別したソビエトとの関係を戻し、軍事援助を受ける事に成功した。シリアのアサド大統領とも秘密利に会談し、共同でイスラエルと戦争を起こす事の同意を得るにいたったのだ。

もはや引き返せない、我がエジプトの命運はかかりてこの一戦にある。これでアメリカも動くであろう。

サダト大統領の回想ここまで

 

■ 戦争勃発

■ 国民総懺悔の日、ヨム・キプール
サダト大統領が秘密計画を練っている頃、イスラエルの情報機関モサドは当然ながらその情報をキッャチしていました。しかし、情報を収集するモサドは優秀であったが、それを活用する参謀本部がいけなかった。
参謀本部は、以前エジプトがソビエト軍事顧問団を追放した事でイスラエルとの戦争を諦めていると、判断したのです。ゴルダ・メイア首相もそれを信じ、戦時呼集をかけなかったのです。

そして、ユダヤ人にとっては国民全休日に当たるヨム・キプール、そしてイスラームのラマダン月が来たのです。そう、この日は誰もが働かず、家で祈りをささげるのです。公共機関はもちろん。バスや電車なども休みます。

そこへ、突如としてエジプト・シリア両軍がイスラエルに進撃してきたのです。スエズ運河を挟んで、エジプトとの最前線に構築された陣地、通称パーレブラインは、突如対岸から砲爆撃を受けます。

最前線の将兵はさすがに家に帰っていません。皆で、一年間の罪を償うための祈りを捧げているところへもって、この騒ぎです。神が彼らの罪を許さなかったのでも、エジプトのいつもの嫌がらせ砲撃でもない事は、すぐに分かりました。

なんと、対岸からエジプト兵が運河を渡ってきたのです。当然、それに備えて構築されたパーレブラインです。そう簡単には落ちない・・・はずでありました。

しかし、なんと言う事でありましょう。パーレブラインはエジプト軍にアッサリ抜かれ、イスラエル軍はシナイ半島を後退して行きました。これは、エジプト側にそれだけの準備があり、突破されてしまったのです。

そして、イスラエル空軍(IAF)が前線まで空爆に飛来すると、エジプトはソ連から供与されたばかりの新型地対空ミサイルSA6を発射します。このミサイルの追尾能力は高く、イスラエル空軍機は撃ち落され、空中戦ではとてもかなわないエジプト空軍ですが、これにより制空権を確保しました。

さらに地上戦ではこらちも、ソビエト製歩兵携帯型対戦車ロケット弾RPG−7が現れました。エジプト兵は砂丘の影からイスラエル軍の戦車へこれを撃ちこみました。これにより、シナイ半島はイスラエル軍戦車の墓場と化し、エジプト軍は前進を続けたのです。

一方、ゴラン高原のシリア軍も、装備は同じくソ連製の最新鋭兵器です。奇襲の効果もあり、イスラエル軍は一部の戦車師団が全滅するという被害がでました。ヨルダン川へと退却するイスラエル軍を追って、シリア軍機甲師団は追撃をします。イスラエルはヨルダン川を突破されると、自国領土へ侵攻される事になります。ここで踏ん張らねば、イスラエルの敗北です。

開戦から四日間、背水の陣をしいたイスラエル軍は、増援部隊の到着もありどうにかシリア最新鋭機甲師団を支えきっていました。

■ イスラエル反撃
奇襲による混乱から立ち直ったイスラエルは、アメリカからの武器供与を受けてついに反撃に出ます。まずは、ヨルダン川でシリア軍の攻撃を支えていた北部戦線から攻勢に出ました。

シリア軍の兵器がいかに最新鋭といっても、無敵という訳ではありません。イスラエル軍は巧みな戦術でソビエト製の戦車を撃破していきます。そして、シリア軍の攻勢も開戦5日目にして、守勢に変わってしまいました。

イスラエル空軍はシリアが固めているSA6の防空ラインを突破し、制空権を奪い返しました。そして、ついにイスラエル軍がシリア領内へ侵入したのです。これを支えきれないシリアは、エジプトに対して、イスラエルへの攻撃を強めるよう要請します。

しかし、エジプトは攻勢に出るそぶりを見せるのみで、大攻勢には出ませんでした。エジプトにはエジプトの事情があったのです。そう、あまり進撃しすぎると、防空ラインの恩恵を受けられなくなり、損害が増すばかりだからです。

サダト大統領はイスラエル占領など当初から考えていなかったのでした。そんなエジプトの事情は知らないシリアはますます迫ってくるイスラエル軍を見て、ダマスカス陥落も考え始めます。

と、ここでイスラエルの進撃は止まりました。それはシリア軍の抵抗によってではありません。ダマスカスまであと一歩というところで停止したのです。ソビエトに潜入するモサドからの情報が政府に入ってきたのです。ソビエト軍が出撃準備を始めている・・・と。

ソビエトが介入するとイスラエルもまったく持って無駄な戦争をしなくてはなりません。しかも、敵は超大国です。損害はただではすまないでしょう。このためイスラエル軍は停止したのです。

一方、シナイ半島のエジプトと対峙している南部戦線ですが、こちらでもイスラエル軍は攻勢に出ます。イスラエル軍は壊滅した機甲師団をアメリカからの供与もあり、再編成しシナイに送り込みます。こうなると、無敗イスラエルは強い。

最新鋭の兵器を使っているエジプト軍もゴラン戦線同様、イスラエルの戦術により次々と撃破されていきます。10月16日、今度はイスラエルがスエズ運河を越えてエジプト領内に侵入しました。そして、こちらでもイスラエルはカイロまで進撃する事はありませんでした。もちろんソビエト軍を警戒しての事です。

こうして、お決まりの国連安全保障理事会によって、10月23日、停戦の決議と相成りました。

 

■ ヨルダンの憂鬱

ヨルダンのフセイン国王は第3次中東戦争で大負けして以来、イスラエルと正面からぶつかる事を極力避けたいと考えていました。エルサレムを失った事が国王にはとてもショックだったのです。イスラエルの戦闘力を認識した国王は、戦争でエルサレムを取り返すことは諦めていたのです。

とはいえ、エルサレム自体を諦めた訳ではありません。占領下にあるエルサレムの公務員にはきちんと給料を支払っており、ヨルダンの国民である事を忘れてはいません。

そんなおり、この戦争が勃発します。フセイン国王はアラブの一員として、戦争に参加しなくてはなりません。しかしこれ以上、自国領土を戦争で荒らされたくありません。そして、兵力派遣という形で参加する事にしたのです。

パレスチナ・アラブ人はフセイン国王を腰抜けと思ったでしょうが、そういう訳ではありません。国王も苦しい選択だったのです。アラブが敗北した第3次中東戦争では、ナセル大統領に誘い込まれて参加し、一応イスラエルに打撃を与えた第5次中東戦争では、本格的に参加しなかったのでした。

貧乏くじを引き続けているフセイン国王ですが、今後ヨルダンの運命はどうなる事でしょう・・・。

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