1979年頃からユダヤ人を狙った攻撃を盛んに行っていたイスラーム聖戦機構と名乗るグループがありました。このグループは決して一つのグループではなく、いろいろなイスラーム原理主義過激派の若者がこう名乗っていました。大学生や教養のある若者が中心でした。
その頃、エジプトへ留学していたファティ・シャカキ氏は、ムスリム同胞団に入団します。しかし、その穏健路線に嫌気がさしたため脱退し、より過激な原理主義団体”ジハード”と関係します。 このジハードは後にサダト大統領を暗殺したグループです。この暗殺のせいでジハードへの取り締まりが厳しくなり、外国人のシャカキ氏も関係があると言うだけでパレスチナへ国外退去させられてしまいました。
こうしてシャカキ氏はガザに戻り、自身で原理主義活動を行うため、過激な学生を集めイスラームのグループを立ち上げました。
インティファーダが始まるとこれ幸いと攻撃を活発化させた結果、イスラエルに逮捕され2年間の獄中生活を送ります。
釈放されるとレバノンへ落ち延び、パスダランやヒズボラのバックアップを受ける事に成功し、シャカキ氏は組織を再編成し、ヒズボラによって訓練されたイスラミック・ジハードを組織しました。
ガザに舞い戻ったイスラミック・ジハードは活動を再開します。同じイスラーム原理主義組織のハマスも設立され、イスラエルと戦っていましたが両者はライバルでした。
しかし、パレスチナ自治政府が誕生し、両者共々大反対の立場をとると協力関係に移行します。
1995年にシャカキ師が暗殺されると、跡を次いだのはラマダン・アブドゥラ・シャラー博士でした。
しかし、シャカキ師亡き後のイスラミック・ジハードは勢力が衰え、ハマスに大きく水をあけられてしまいます。
バックアップはイラン、ヒズボラ、シリアです。 |