− パックスジャパニカーナ −


The Operation Jonathan
エンテベ空港ハイジャック事件

PFLPによるハイジャック事件が発生します。イスラエルはPFLPの要求を拒否し、特殊部隊の突入で人質を救出しました。
この事件は舞台となった”元”親イスラエルのウガンダが
PFLPの味方をした事で、話がややこしくなりました。


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■ ハイジャック発生 1976.06.27(日)
12:20 PM 
テルアビブ発、アルジェリア経由、パリ行きのエール・フランス139便が離陸直後にコンタクトを失います。これが事件の始まりでした。

国会で会議中(イスラエルは土曜日が休日)だったラビン首相にこの事が伝えられると、イスラエルは緊急対策対策本部を設置し、あらゆる事故もしくは事件の可能性に備え待機します。もちろんハイジャックの可能性も考えられていました。乗客にユダヤ人がいることも確認されました。

実際にこのとき、銃で武装した4人のテロリストはロックされているコックピットのドアを手榴弾で爆破し、139便をハイジャックしていたのです。

14:00 PM リビアのベンガジコントロールに139便から連絡が入りました。それは燃料の補給とPFLP隊員の搭乗を要求するものでした。

14:58 PM ベンガジ空港に着陸した139便から1人の女性が解放されました。彼女は妊婦でありハイジャックのショックで危険な状態になっていたのです。そのためテロリスト達は彼女を解放しました。

21:50 PM 燃料を補給した139便はベンガジ空港から離陸していったのでした。

■ エンテベ空港着陸 1976.06.28(月)
03:15 AM
 (現地時間)果たしてハイジャックされた139便は長躯ウガンダのエンテベ空港に着陸しました。燃料はぎりぎりという状態でした。

イスラエルはウガンダに着陸した139便は次にどう動くかという事を検討していました。ウガンダのアミン大統領はリビアのカダフィ大佐の説得によってイスラエルと断交しており、ハイジャックの解決に協力してもらう事は懐疑的だったのです。

夜が明けるとアミン大統領が姿を見せます。もしかしたら大統領はハイジャックの解決に乗り出したのかも知れません。すると人質が飛行機から降ろされ、ターミナルビルへ移動させられていきます。そこで、アミン大統領の意図がわかったのでした。

なんと、誘導しているウガンダ兵の銃口は人質の方へ向けられていたのです!さらにアミン大統領が演説を行い、我々はPFLPを支持すると発表しました。

■ 最終通告 1976.06.29(火)
08:30 AM (イスラエル時間) 
イスラエルでは対策会議が開かれていましたが、何も建設的な話ができませんでした。なんせ、フランスとの協力でもたらされた犯人の情報は少なく、PFLPであるらしいという事が分かっていただけで役に立ちそうもありませんでした。

とにかく、政府は訓練を視察中の参謀総長を呼びだし、エンテベへの作戦を立案するように命令しました。

17:00 PM この頃、フランスから犯人の要求が伝えられます。PFLPはイスラエル、ドイツ、スイス、フランス、ケニヤに収監されているテロリストの釈放を要求していたのです。同時に、犯人の情報も入ってきました。PFLPとドイツのテログループ”バーダーマインホフ”であることが確認されました。

夕方 (現地時間) パリ大使館からテロリストに関する新たな情報が入ってきます。犯人は7月1日の午後2時までに要求がのまれないのであれば、139便を人質もろとも爆破すると通告してきたのです。

21:00 PM さて、イスラエルでは人質救出作戦考えるため、高級将校が集まり会議を行なっていました。その席上、かなり厳しいが一応3つの案が出ます。もう、それしかないという状況でしたが、さすがにその作戦は雲を掴むような案であり決定は行なわれませんでした。

作戦は決定されるに至らない状態であり、イスラエル政府は犯人の要求をのむ事もやむなしとの方向へ向いてゆきます。

そのころ、ターミナルビルに移された人質達は名前を呼ばれ、部屋を分けられていました。呼ばれた人々は全員ユダヤ人の名前であり、国籍はまったく関係ありませんでした。つまり、イスラエル人ではないユダヤ人も同じ部屋に監禁されたのです。

■ 最終解決方法 1976.06.30(水)
01:00 AM 
エフード・バラク軍情報部長官はウガンダに対する情報を躍起になって集めていました。エンテベ空港の様子、ウガンダ空軍の兵力などです。困難ではあるがエンテベ空港に突入し人質を救出する作戦を立てろと言われているので、たとえ1%の可能性であってもやるしかありません。

対策本部ではアミン大統領と親交のある人物を集め、ウガンダに電話をかけさせました。この電話でアミン大統領に人質の解放を頼み込もうという作戦です。この電話作戦は引き続き行なわれました。

19:00 PM ラビン首相は記者会見を開き、ハイジャックの状況を説明しました。そこで、記者の1人が『軍事作戦もありえるのか?』との質問に『まだ分からない。』と返します。

実際、作戦が可能かどうかまだ分からなかったのです。作戦を考えるようには命令したものの、情報が乏しく実行に移せる自信が無かったのです。

そんな中、フランスとドイツがテロリストの要求をのむと発表し、PFLPは人質を解放しました。47人の人質はパリへ送られます。この人質達の証言でテロリストの全容が明らかになったのです。この情報により現実的になりました。今まで3つの作戦が考えられていました。

 1.空挺部隊がビクトリア湖に降下し、ゴムボートでウガンダに入り、エンテベに突入する案
 2.直接、エンテベ空港に飛行機を着陸させ、テロリストを制圧し、人質を乗せて飛び立つ案
 3.ケニアからビクトリア湖へ入り、船でエンテベに突入する案

しかし、この作戦もすべてはアミン大統領との電話によって時間が稼げるかどうかによります。PFLPが指定した最終解決時間は明日です。作戦は依然、案件のままだったのでした。

■ 引き伸ばし交渉成功 1976.07.01(木)
12:30 PM 人質処刑まであと、1時間30分と迫ったクネセトに朗報がもたらされます。アミン大統領への電話作戦が功を奏し、アミン大統領がもう一度エンテベを視察することになり、PFLPは人質の処刑を4日の14:00まで引き伸ばしました。

ジョナサン・ネタニヤフ中佐は作戦を進めるに当たって各部隊から兵士を選抜しました。その部隊とはゴラニ師団、空挺師団そしてサヤレト・マッカルでした。しかし、依然作戦は決定していません。

夜になると、設計図や写真を元に人質が囚われているエンテベ空港旧ターミナルビルの実物大モデルが作成されます。これで突入部隊は訓練を開始します。

そんな中、解放された人質の第2便101名がパリに到着します。もちろんユダヤ人は含まれていません。

■ 突入作戦 1976.07.02(金)
14:00 PM 
実物大モデルを使い何度も突入訓練を繰り返し、戦術を練っていたネタニヤフ中佐でしたが、完全な奇襲を行なうためもう少しうまい作戦が無いかと頭を悩ませていました。

奇襲を行なうに当たり、闇にまぎれて強硬着陸した輸送機がターミナルビルに近づきすぎるとテロリストに奇襲がばれてしまいます。しかし、遠すぎても近づいているうちにばれてしまいます。ではどうするか。そこで考えられたのがウガンダ兵に変装するということでした。そして、アミン大統領のリムジンと同じメルセデスを用意し、アミン大統領が視察に訪れたかのように見せかけるという作戦になったのです。

作戦はと言うと輸送機が直接エンテベ空港に着陸し、飛び出した突入部隊によってテロリスト及びウガンダ兵を制圧、人質を輸送機に乗せ離陸するという作戦に決定しました。

■ 作戦開始 1976.07.03(土)
11:00 AM 
参謀総長は作戦内容を首相に説明しました。しかし、閣僚達はこういうことが起こる事は予想されており、何人かは作戦が始まっている事も知っていたのでどよめきは起こりませんでした。

参謀総長は最後に、『作戦決行はいつがよろしいか?』と訊ねると、首相は『午後1時過ぎだ。』と答えました。

13:20 PM 突入部隊とメルセデスおよびランドローバーを乗せたC−130ヘラクレス輸送機5機はテルアビブを離陸し、行動を読まれないように西ではなく南に進路を取りました。
      

23:00 PM 作戦現場に到着したヘラクレスはビクトリア湖からエンテベ空港にアプローチします。そして、着陸したヘラクレスのリアゲートからメルセデスのリムジンと護衛のランドローバーが走り出します。

それはさながら、アミン大統領専用車でありその護衛と思われました。そして、ライトを点けてターミナルに接近した車に、ウガンダ兵が敬礼を持って迎えます。

しかし、でてきたのはアミン大統領ではなく消音銃で武装したイスラエル兵でした。すぐさまガードの2人を射殺した突入部隊は、人質が監禁されているビルへ全速力で向かい攻撃を開始しました。訓練のおり、突入用に使ったドアが実際には存在しなかった、などのトラブルがありましたが、部隊はビル内に進入し、各部屋を制圧していきます。

この突入の時、ネタニヤフ中佐が狙撃され重傷を負ってしまいます。何はともあれ、着陸から3分で6名のテロリストを射殺し、旧ターミナルビルは制圧されました。コントロールタワー制圧班もロックされているドアを手榴弾で吹き飛ばし、中にいるテロリストを射殺しました。

ビル内で戦闘が続く中、残り2機のC−130も着陸し、搭載されていた装甲車で駐機してあるウガンダ空軍のMIG戦闘機を破壊します。

テロリストは全員射殺され、ウガンダ兵は逃亡、もしくは降伏しました。この戦闘中、ネタニヤフ指揮官が重症(後に死亡)、2人の人質が突入部隊の誤射で死亡しました。

着陸から1時間後、人質を乗せたC−130はイスラエルへ向けて離陸に成功し、最後のC−130もその39分後に離陸しました。これによりイスラエル軍による人質救出作戦は終了し、イスラエルに着いた特殊部隊は英雄として迎えられました。

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