2006.08.05、ガザ南部のラファを空爆したイスラエル空軍ですが、この攻撃で2人のゲリラと2人の子供が死亡しました。
2006.08.03、本日もガザに侵攻したイスラエル国防軍は、ガザ南部の町ラファで作戦を行いました。各家々を回り、扉を蹴破りゲリラの捜索を行うのです。
戦車部隊が布陣している付近で、パレスチナゲリラが遊弋しているのを発見した国防軍は、アタックヘリによる攻撃でこれを撃退したという事です。この攻撃でハマスのゲリラ7人と、1人の少年が戦死しました。
2006.08.02、イスラエル空軍はガザ中部にある工場を空爆しました。ハマスが兵器工場としているからだそうです。一方、海軍も海上からの兵器密輸を取り締まるため、ガザのマリーナへ侵攻しました。
イスラエル国防軍は、ガザのゲリラは住宅地からロケットを発射してるため、攻撃ができないと言っています。
2006.08.01、今日、ガザからイスラエルへカッサムロケット5発が飛来し、一発が民家に損傷を与えました。この攻撃による被害者はいませんでした。イスラエル国防軍が侵攻しているのに、ゲリラは果敢にロケットを発射します。一体どうやって発射しているのでしょうか・・・。
2006.07.28、連日ガザ南部へイスラエル国防軍による空爆が続けられ、金属加工が可能な工場はターゲットにされています。ロケットを製作する事が可能だからです。今日、攻撃を受けた工場では9人が負傷しました。
ガザ北部戦線 : 今日の早朝、イスラエル国防軍の地上部隊がガザの北部地域から撤収していきました。5日間の作戦で30人のゲリラを倒したという事です。
2006.07.26、ガザ南部へ侵攻している作戦に付随して、ガザ北部へも地上軍が侵攻する作戦を行いました。この作戦はオペレーション・サムソンズ・ピーラーズ Oparation Samson's Pillars.”と命名されました。
ガザ北部の町ジャバリヤでは、侵攻してきたイスラエル国防軍の戦車に向けて対戦車ロケット弾が発射されました。イスラエル国防軍の戦車はこれに対し狂ったように撃ちまくったという事です。さらに、すぐさま現場に空軍の戦闘機が飛来し、爆撃を敢行したため、10人のパレスチナ人が死亡しました。
ガザ南部戦線 : 今日の夜明け前、イスラエル国防軍はハマスとイスラミック・ジハードのゲリラ掃討のため、市街地に侵攻するに当たり、住民への警告を行いました。戦闘機の示威飛行と携帯電話へのメール送を行いました。
メールには『ゲリラを匿ったり、武器を隠匿したりした者は容赦なく殺す。』と言う内容をもっと丁寧にして、パレスチナ自治区の携帯電話会社を利用して送られました。
そして、ハーン・ユニスの住民が避難した後、空爆が行われ、1人のハマスのゲリラと、1人のイスラミック・ジハードのゲリラが戦死したという事です。
2006.07.25、イスラエル国防軍はガザ南部の町ラファにピンポイント空爆を行いました。攻撃の前にこの建物の所有者に伝えていたという事ですが、爆撃によって7人のパレスチナ人が負傷しました。
2006.07.21、ガザに侵攻しているイスラエル国防軍はハマスのゲリラから対戦車ロケット弾を攻撃を受けたため、発射してきた家に対して戦車砲で攻撃を行いました。この攻撃で1人のハマスメンバーと3人の一般人が死亡しました。
ガザのムガジ難民キャンプへ攻撃を行っていたイスラエル国防軍は、今日、撤収し、国境付近まで後退したという事です。2日間による攻撃を受けたムガジ難民キャンプでは、15人のパレスチナ人が死亡したという事です。
2006.07.19、ガザのゲリラは密輸するのがとても大変なため、秘蔵していたロケット弾、カチューシャロケットを発射しました。過去に発射されたのも含めて、これで3発目だと思われます。今回は被害はありませんでした。
ガザ中央部にあるムガジ難民キャンプへ進撃したイスラエル国防軍の地上部隊は、空爆の援護も受けて、激しく攻撃を行いました。この攻撃によって6人のパレスチナ人(ゲリラも含むが市民も含む)が死亡しました。イスラエル国防軍側は5人の兵士が負傷しました。
2006.07.16、イスラエル空軍はハマス(パレスチナ)自治政府外務省の庁舎を再度空爆しました。この攻撃は夜の1時30分だったため、誰も庁舎にいなかったので人的被害はありませんでした。
2006.07.15、イスラエル国防軍はハマス(パレスチナ)自治政府財務省の庁舎を空爆しました。攻撃は早朝であったため、人的被害はありませんでした。
2006.07.14、ガザからイスラエル国内にカッサムロケット弾が飛来し、イスラエルの家に被害がありました。一方、ガザ内で作戦するイスラエル国防軍ですが、接近するトラックを発見した国防軍は停車を命じましたが、トラックはそれに応じなかったため、戦車の砲撃によってこれを破壊したという事です。この攻撃で運転していたパレスチナ人1人が死亡しました。
2006.07.13、イスラエル国防軍は深夜、ハマス(パレスチナ)自治政府外務省の庁舎を空爆しました。この攻撃は夜間だったため、人的被害は無かったという事です。
ガザのゲリラは連日、カッサムロケット発射し、イスラエルに対抗しています。イスラエル国防軍はロケットの発射を防ごうと必死ですが、侵攻作戦による効果は少ないようです。
国連ではガザに侵攻した件でのイスラエルへの非難決議がカタールによって提出されましたが、アメリカが拒否権を行使したため、採択されませんでした。
2006.07.12、早朝、イスラエル空軍のアタックヘリが、ハマスの幹部ナビル・アル・サミア宅にミサイルを発射しました。この攻撃でサミア氏家族9人が死亡したという事です。そして、負傷者の中にイザ・ディン・アル・カサムのトップであるムハンマド・ディーフ野戦司令官が含まれていたという事です。
2006.07.09、パレスチナ自治区ガザの北部で、カッサムロケットを積んで攻撃準備に向かっていたイスラミック・ジハードのゲリラに対して、イスラエル空軍の戦闘機がミサイルを発射しました。この攻撃で車に乗っていたゲリラ1人が戦死し、4人が負傷したという事です。
さらに数時間後にもロケットを積載してる車に対し、戦闘機がミサイルを発射しました。この攻撃でゲリラ1人が戦死したという事です。
さらにさらに、イスラエル国防軍はガザに掛かる橋を爆撃し、これを破壊しました。ゲリラがロケット弾発射ポイントへ移動できないようにするため、だそうです。
2006.07.06、ガザ北部で作戦を行ってるイスラエル国防軍ですが、この日の戦闘で国防軍のイェヒュダ・バゼル軍曹 Yehuda
Basel が戦死しました。サマーレイン作戦でイスラエル国防軍側は初の戦死者がでました。
2006.07.05、イスラエル国防軍はハマス(パレスチナ)自治政府内務省の庁舎を再び空爆しました。
2006.07.04、ガザ北部に布陣しいているイスラエル国防軍に接近しているゲリラを発見した上空で警戒任務に当たっているアタックヘリは、このゲリラを攻撃しました。この攻撃によってゲリラ1人が戦死しました。
2006.07.02、イスラエル国防軍はパレスチナ自治区ガザのガザシティーにある、ハマス(パレスチナ)自治政府ハニヤ首相のオフィスにアタックヘリが空爆を行いました。この攻撃時間には誰もオフィスにいなかったため、人的被害はありませんでした。
さらにイスラエル空軍はハマスが設立した自治政府治安部隊の本部も空爆しました。この攻撃で1人が死亡し、数人が負傷したという事です。
一方、ガザに侵入しているイスラエル国防軍地上部隊もゲリラと銃撃戦があり、この戦闘でイザ・ディン・アル・カサム軍団のゲリラ3人が戦死しました。地上戦では初の戦死者がでました。
イスラエルは『兵士を釈放しなくば、ハニヤ首相も殺す。』と脅しをかけていますが、ハマスは兵士を拉致した軍事部門のイザ・ディン・アル・カサム軍団と、政治部門は分けて考えてもらいたいでしょうが、誰もそんな事は認めません。そのため、ハマスのハニヤ首相も腹を決め、イスラエルに対して徹底抗戦を叫んでいます。
2006.06.30、イスラエル国防軍はハマス(パレスチナ)自治政府内務省(内務大臣はハマス)の庁舎を空爆しました。この空爆は深夜だったため、庁舎に誰もいませんでした。そのため、人的被害はありませんでした。
エジプトのムバラク大統領やシリアのアサド大統領が、ハマスが拉致しているイスラエル兵を返すように説得しているという事です。
イスラエルは例えスパイだったとしても、絶対に自国民を見捨てたりしないどころか、取り返すためならどんな犠牲をも払う主義です。ミッションインポッシブルでは『諸君らが死んでも当局は一切関知しない。』と言いますが、イスラエルは違います。侵攻作戦を行って国際非難を受けようとも、他国の大統領を動かしてでも取り返すのです。
2006.06.29、イスラエル国防軍はガザでハマスの幹部らを拉致しました。拉致したのはハマス内閣の閣僚3人も含まれています。
2006.06.28、ガザ南部に侵攻しているイスラエル国防軍は空港など主要な場所を制圧しました。さらに空爆も続き、発電所が破壊されたため、ガザは停電してしまいました。この変電所はアメリカの保険会社と契約していたため、損害はアメリカがかぶってしまう事になり、間接的にイスラエルはアメリカに損害を与えたという事になってしまいました。
さらにイスラエルは、地中海に面するシリアの保養地ラタキアにバシャール・アサド大統領が滞在しているのを確認すると、空軍の戦闘機が同地へ飛来し、大統領の頭上で数回に渡り音速突破を行いました。
飛行機が音速を超える時に発生する衝撃波(ドーンという音)で大統領を威圧し、シリアにあるハマスの支部を通じて、ガザのハマスに兵士を釈放させるように言え、との脅しです。
2006.06.27、イスラエル国防軍は、ハマスが国防軍の兵士を拉致した事を認めたため、アタックヘリがガザに飛来し、南部の町に掛かっている3つの橋を空爆し、これを落下させました。橋の空爆は、ハマスに拉致されている兵士を南部から他所へ移送させないための処置だという事です。
そしてついにイスラエル国防軍は、戦車を伴う地上軍をもってガザに侵攻しました。この作戦は”真夏の雨作戦”と命名されました。これはイスラエルのガザ撤退後、初めて戦車を伴った本格的な侵攻作戦となりました。
2006.06.26、ハマスはイスラエル国防軍の兵士1人を確保している事を発表し、彼は負傷しているが手当てを受け、生きている事も付け加えました。そして、イスラエルの刑務所に収監されている政治犯の釈放と引き換えに兵士を返すと要求を出しましたが、イスラエルは即答で拒否し、逆に兵士を返さなければガザに侵攻すると脅しました。
2006.06.25、早朝AM5時30分頃、ガザとの境界を守るイスラエル国防軍の野戦基地に対し、突如出現したゲリラが対戦車ロケット弾を発射しました。この攻撃でロケット弾が命中した国防軍の戦車1両が大破し、乗っていた戦車兵2人が戦死、1人が行方不明となりました。
ゲリラはガザから迫撃砲による援護射撃を受けつつ攻撃を行い、国防軍は大混乱に陥りました。ゲリラは戦車と同時に装甲車にもロケット弾を命中させこれを大破。さらに哨戒塔の壁にも命中しましたが、中にいた兵士は負傷したのみで、すぐに反撃に移りました。
銃撃戦の後、ゲリラは3人が戦死し、イスラエル国防軍は戦車兵の2人が戦死し、4人が負傷、1人が行方不明という結果でした。この行方不明となった戦車兵は、ゲリラに拉致されガザまで連れて行かれました。拉致されたのはギラド・シャリット伍長 Gilad
Shalitでした。
ゲリラがイスラエル国防軍の哨戒線を突破できたのは、ガザのゲリラの十八番であるトンネルを掘ったからです。ガザの民家からトンネルを800メートルも掘り進み、ガザとイスラエルの境界線を越え、イスラエル国防軍の野戦基地の手前に出口を作ったのです。まるでアメリカ軍を苦しめたベトコン戦法です。
この攻撃はハマスの軍事部門イザ・ディン・アル・カサム軍団とPRCが共同で作戦を行ったと発表しました。
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