第2次中東戦争
スエズ動乱

■ 第2次中東戦争 スエズ動乱 1956年10月29日

 イギリス帝国 フランス共和国 イスラエル
                       VS
                                新エジプト共和国
スエズ運河をエジプトで国有化すると宣言したエジプトに対して、スエズの利権を譲りたくない株主のイギリスとフランスがイスラエルを誘ってエジプトに侵攻しました。

これこそ”西側先進国、ナセルの鼻を叩き折るというところです”アラブの英雄と西側諸国の戦いはどうなることでしょう。

 

■ 動乱勃発の原因・・・ナセル増長す

エジプトは革命によって親イギリスの国王が退位し、ナセルが国家元首になりました。ナセルはエジプトをイギリスの影響から完全に独立させ、エジプト人によるエジプトのための国家を作り上げようと考えます。

そう、前国王の血筋はエジプト人ではなく、マケドニアの傭兵ムハンマド・アリーだったのです。

まず最初にナセルが行なったのは、スエズ運河に駐屯するイギリス帝国軍の撤退を要求する事でした。イギリス帝国軍はスエズ運河の安全保障として、以前にも撤退要求がなされているにもかかわらず、居座っていたのでした。しかし、今度はナセルの要求をのみました。

そして、ナセルはイギリス軍の撤退を見て、スエズ運河の国有化を宣言します。イギリスとフランスの所有する株式をエジプトが摂取するという法案がエジプト議会を通過すると、両国は激怒します。

たしかに、ナセルは少し強硬にやりすぎのような気もしますが、国際的に非難されるほどでもありません。イギリスとフランスは少しエジプトから摂取しすぎていたようでした。

とはいえ、これを受け入れるほど女王陛下はお人よしではありません。フランスもプライドにかけて自国の利権を手放すわけにはいきません。

ナセルは西側や東側のどの大国との同盟にも組しない!アラブはアラブだと言う、アラブナショナリズムを過激に発展させた独自の考えでアラブのヒーローとなったのでした。これはナセリズムとも呼ばれ多くの信者を作りました。

さてさて、このアラブの英雄ナセル大統領、どこまでアラブの権利を確保できますか。そして激怒した両国はどう出てくるのでしょう。

 

■ 帝国、姦計を仕掛け、半島に星はきらめく

■ 姦計
イギリス帝国とフランス共和国は一方的に奪われたスエズの利権を奪い返すため、作戦を練ります。もちろん、両国が攻め込んでエジプトを占領する事などは簡単です。

しかし、それでは侵略戦争となってしまい、国連から制裁を受けるとこになり、女王陛下の威信を落としてしまいます。

そのため、少し手の込んだ作戦を立案しなくてはなりませんでした。そこへ、現れたのがエジプトの敵であるイスラエルでした。

ナセル大統領は、元々スエズ運河を通行できないイスラエルがインド洋にぬける唯一のルートであるティラン海峡を軍艦で封鎖したのです。

イスラエルは憤った!これだけでイスラエルとエジプトの戦争になりかねません。そんな状態のイスラエルにイギリス帝国が近づきます。

そしてどうやら利害が一致したようです。3国は秘密理に作戦を練り、スエズを取り返すためのすばらしい作戦を考えたのでした。その作戦とは・・・。

■ 作戦
作戦の内容は、まずイスラエルがティラン海峡の件でエジプトに侵攻する。当然エジプトと戦闘になります。イスラエルはガザを突破し、シナイ半島へ進撃する。そこへ、フランスとイギリス帝国が介入して、両国軍の兵力引き離しを行なう。

この時点でエジプトはスエズ運河より東で戦闘を行なっている。このエジプト軍に対し兵力引き離しのため、スエズ運河の西に撤退する事を要求する。

当然エジプトは自国の領土(シナイ半島)から撤退する理由はないとして突っぱねる。

そこをフランス、イギリス帝国両軍が言う事を聞かないなら力ずくでと、エジプトに侵攻して、平和維持のためと称してスエズに駐留する。という内容です。

■ 開戦
1956年10月29日、この作戦が発動され、イスラエルは国境をこえエジプト領内に攻撃を加えました。ナセル大統領は非同盟主義とはいえ、実際にイスラエルと対峙しているので兵器は必要です。そのため、ソ連から対イスラエル戦用の兵器を購入していました。

しかし、イスラエルの戦闘力にはかなわず、シナイ半島を蹂躙されてしまいます。そして開戦から24時間もたたないうちに、絶妙のタイミングでイギリスとフランスが介入します。

両国は”エジプトはスエズより西に撤退し、イスラエル軍との距離をとるべし。この要求を受け入れないのであれば、戦争によってスエズが危険にさらされる事になり、国際的な損害を防ぐため、武力によって鎮圧する。”と通告を突きつけます。

これに対しナセル大統領は激怒し、通告をつき返します。これで、イギリスとフランスの目が光った!なぜか両国の軍隊が地中海に展開しており、ナセル大統領が通告をつき返した次の日には、エジプトに対して攻撃が開始されます。怪しいくらいすばやい反応です。

■ スエズ運河閉塞作戦
さすがに、ナセル大統領は敵の思惑に気がつきます。それを知ったら誰でも怒り狂うでしょう。とはいえ、この3国相手に正面切って戦っても勝ち目はありません。ここらへん、ナセル大統領は頭がよかった。

怒りに任せてぶちキレても意味がないので、ナセル大統領はスエズを通行不能にするという実力行使に出ます。これこそ、スエズ運河閉塞作戦です。運河に船を沈め、航路をふさいでしまったのです。

イギリスは攻勢を強め、11月5日、帝国空挺師団がスエズに降下し、スエズは落ちるか!?というところまで来ました。もはや、イギリス帝国、フランス、イスラエルと戦争をしているようなものです。

■ イーグルの介入、そして停戦
そこへ、ナセル大統領には天の助け、アメリカが介入してきます。実は3カ国連合軍はアメリカは自分達の味方をするというよみがありました。なんせ、敵はソ連の兵器を使っているエジプトであり、いわば西と東の戦争です。

ところが、予想に反しアメリカはこの暴挙を強く非難します。これが効いて、連合軍は国連による停戦を受け入れます。

イギリスとフランスが1956年11月6日、停戦受諾。イスラエルも8日に受諾します。イスラエルはシナイ半島をかなり占領していたのですが、撤退を要求する国連の決議により、撤退しました。

こうして、スエズ運河をめぐる動乱は幕を閉じ、ナセル大統領は運河を国有化する事に成功し、先進国を撃退した事により、またしても英雄の株が上昇しました。

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