シリアは第1次世界大戦までオスマン・トルコの領土でした。連合軍はオスマン・トルコとの戦いのなかで、メッカの太守であるフセイン・アリー(ヨルダン初代国王の父)を味方に引き込む事に成功しました。その時の条件にフセイン太守はシリア、イラク、ヨルダンなどの一帯を独立させるという約束を取り付けたのです。
しかし、それはイギリスの嘘である事をロシアが暴露します。その一帯は大戦終結後にイギリスとフランスで分割するというサイクス・ピコ秘密協定があったのです。さらに、イスラエルにユダヤ人の国を作るという事もイギリスが自ら発表します。
すでにオスマン・トルコ軍を次々とやぶってエルサレムまで進撃し、アラブ国王を名乗っていたフセイン太守は怒髪天を突くといったところでしょう。
とりあえずそれを黙殺し、シリアへと進撃、これを陥落させます。軍団を率いた三男ファイサルはシリア国王に就任します。
ところが大戦終結後すぐにイギリスとフランスは秘密協定に基づいて、中東の占領地を分割し始めます。フランスの取り分であるシリアは、ファイサル国王が陣取っていましたが、追い出されてしまいました。その代わりにファイサルはイギリスの占領地となっているイラクを与えられました。
そして、シリアは独立宣言の1944年まで24年間、フランスの委任統治領となりました。 |