−パックスジャパニカーナ用語解説−
■ アル・アクサ・インティファーダ |
2000年に発生したインティファーダをこう呼びます。インティファーダとは1987年に、パレスチナアラブ人の人々がイスラエルに対して起こした暴動の呼び名です。 インティファーダは’91年に収まったとされましたが、2000年に再度発生してしまいました。このアル・アクサ・インティファーダは暴動といっても実際には’87年の時と違い、民衆が起こしたのではなく、ゲリラが起こしたものです。 アル・アクサ・インティファーダの発生した原因は、ずばりシャロン首相にあります。当時は首相ではありませんでしたが、最大野党リクード党の党首として、アル・アクサ・モスクのある神殿の丘を訪問したのです。 これは当然ながらパレスチナアラブ人を刺激し、暴動へと発展させてしまいました。ちなみに警備を担当しなくてはならないエルサレム当局は、訪問なんて止めるように泣いて頼んだのですが、シャロン党首は強行してしまいました。 そして、これのあおりを受けて、労働党のバラク政権はひっくり返り、シャロン党首が首相に当選したのでした。 |
最終更新日 2005.11.25 |
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