第3次中東戦争
6日戦争

■ 第3次中東戦争 6日戦争 1967年6月5日

 イスラエル
          V.S.
                アラブ連合軍 : シリア、エジプト、ヨルダン、イラク
イスラエルに対しての戦争を目論んでいたアラブ諸国に対し、イスラエルは先制攻撃を仕掛けます。これこそ”イスラエルの侵攻作戦、アラブの土地を食いちぎる”というところです。さて、この戦争の行方はどうなるのでしょう。

 

■ シリア国内の不安をイスラエルに向けて発散させる

さて第3次中東戦争前夜、パレスチナではPLOが組織され、イスラエルとパレスチナ人の闘争が一段階レベルアップしていました。
そんな中、シリアではクーデターが発生し政権が交代しました。そして新政権はPLOに触発されるように、改めてイスラエルとの対決姿勢を明らかにします。

早速シリアはゴラン高原にある陣地からイスラエルに対して砲撃を始めます。日本のように回りが海の国からは想像しづらいのですが、隣の国から大砲を撃ち込まれたらたまりません。
イスラエルはすぐさま報復攻撃に出ます。空軍の戦闘機がシリアの国境目指し発進すると、シリア空軍のソ連製Mig戦闘機もスクランブル発進しこれを迎え撃ちます。

両軍の戦闘機は国境付近で空中戦に入りました。そして、この戦闘はイスラエル空軍が勝利しました。シリア空軍パイロットの技量ではイスラエル空軍機を撃墜する事ができなかったのでした。

イスラエル空軍機は、シリア領内へ飛行し、首都ダマスカス上空を悠々と旋回しました。攻撃は行ないませんでしたが、ダマスカス市民にとっては悔しかった事でしょう。

そんな中、ソビエトKGBが怪しい動きを見せます・・・。 

 

■ ソビエトKGB、中東に暗躍する

ソビエト国家保安委員会KGBは最近落ち込んでいるアラブに対する武器の輸出を促進するため、イスラエルとアラブ諸国の緊張を高めなくてはならないと考えていました。そんな折、シリアがイスラエルに対し攻撃を開始したのです。KGBはこのチャンスを逃しませんでした。

KGBはシリアに対し、イスラエルが報復のために本格的な侵攻作戦を計画しているという情報を流します。シリアはこのKGBの讒言にアッサリのってしまいます。

さらにKGBはエジプトに対して”シリアとイスラエルが戦争に突入する。”と言う情報を流しました。イスラエルとの戦争にアラブのリーダーであるナセル大統領が遅れをとるわけにはいきません。エジプトもシナイ半島に軍隊を集結させます。

しかし、シナイ半島には第2次中東戦争以来、イスラエルとエジプトが事を起こすのを防ぐために国連緊急軍が展開しています。ナセル大統領はこの天下の国連軍に対し退去を要請します。国連軍はこの要請をアッサリ飲み引き下がったのです。これに気をよくしたナセル大統領はシナイ半島に軍を集結させます。

テル・アビブには続々とモサドからの緊急情報が入ってきており、イスラエルは予備役を召集し戦争に備えます。ところが、CIAの分析は違っていたのです。CIAはアラブはあくまで戦争を仕掛けないであろうという考えだったのです。

煮え切らない態度のアメリカと交渉していても、もう戦争は避けられないと判断したイスラエルは、先制攻撃を計画します。先制攻撃を行なうと国際世論に叩かれますが、ほとんどの将兵が予備役のイスラエルでは、国境での緊張が長く続くと本来の仕事にもどれません。このままじっとしていたら、イスラエルの経済まで破綻してしまうのです。

イスラエルの関係者はアメリカの行動に期待ができないと判断すると、テル・アビブに対してワシントン発緊急暗号電”ニイタカヤマノボレ06.05(交渉決裂、攻撃開始)”を打電します。 

テル・アビブに浸透しているKGBは、イスラエルが先制攻撃に出るという情報を掴みます。まさに作戦が当たったとほほくそ笑み、この情報をアラブ側に流さないということも忘れませんでした。 

 

■ 戦争勃発

夜明け前のイスラエル空軍基地から戦闘機が発進していきました。イスラエル空軍機は砂塵が巻き上がるかというくらいの低空飛行で、アラブ軍の空軍基地に近づいていきます。

アラブ軍の当直将校の耳に戦闘機の飛行音が聞こえてきました。すこし不審に思った将校ですが、イスラエルとの緊張状態の中で、連日自国の飛行機が飛び交っているので特に気にはしませんでした。

ところが、近づいてくるその音は明らかにMigのエンジン音でない事に気付きます。その直後、空襲警報のサイレンがけたたましく鳴り響きました。アラブ空軍のパイロットは、咄嗟に地上員と共に自機に走りだしました。しかし、敵機はすでに基地から視認できるほど近くまで来ており、パイロットはやむなく自機に乗り込む事を断念し、退避壕へと引き返します。

数秒後、爆撃機が飛来し、地上に並べてある虎の子の戦闘機に対し、爆弾をばら撒きます。こうして、アラブ空軍の戦闘機は地上に在るまま破壊されてしまったのでした。
突然の空襲にあっけに取られて空を見上げるしかなかったエジプト将兵は、攻撃を終えて退避行動に移る飛行機の翼に夜明けの太陽を浴びてキラリと光るダビデの星を見ます。

イスラエル空軍機は基地に奇襲の成功を打電します。”トラトラトラ(ワレ、キシュウニセイコウセリ)”を受信したイスラエル軍は機甲師団に進撃を命じます。

シナイ半島の国境を越えたイスラエル軍は、制空権のなくなったアラブ軍を簡単に撃退します。エジプト軍の士気は下がり、イスラエル軍は進撃を続け2日後にはスエズ運河まで達しました。

ゴラン高原でも同じ戦術によってシリア軍は蹂躙され、イスラエルにとって脅威であったゴラン高原の要塞は次々に破壊されていきました。制空権の無い戦いはこれほど一方的なのでした。

ヨルダン戦線でもイスラエル軍は進撃を続け、あっさりと現在のウエストバンクを占領し、エルサレムにある嘆きの壁を占領した部隊は感涙に咽んでいました。

イスラエルの勢いは、この3国を占領してしまいかねない状態でした。ソビエトKGBにとってそれは望むべき事ではありません。ここらが潮時だと判断したソビエトは国連による介入を上申しました。これが通り、国連は停戦のために介入したのです。

そして、エジプトとヨルダンは8日に停戦を受け入れました。この両国にとっては3日戦争でした。ヨルダンは、聖地を失ったにも関わらず戦争を諦めたのでした。シリアはといいますと、10日になってやっと停戦を受け入れました。やっとと言っても、6日の戦争でした。

この戦争の勝利によって、シリア領のゴラン高原、エジプト領のシナイ半島、そして、ヨルダン領のウエストバンク、さらにエジプトが守っていたガザ地区までも占領したのです。
この中でも、なにより東エルサレムにある、ユダヤ教の聖地、西の壁がイスラエルのものとなりました。ユダヤ人はイスラエル独立戦争以来行くことが出来なかった聖地へ巡礼に行くことができるようになりました。

この中東版パールハーバーでイスラエルが失ったものは国際的な信用ですが、得たものはそれ以上のものだったのでした。

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