夜明け前のイスラエル空軍基地から戦闘機が発進していきました。イスラエル空軍機は砂塵が巻き上がるかというくらいの低空飛行で、アラブ軍の空軍基地に近づいていきます。
アラブ軍の当直将校の耳に戦闘機の飛行音が聞こえてきました。すこし不審に思った将校ですが、イスラエルとの緊張状態の中で、連日自国の飛行機が飛び交っているので特に気にはしませんでした。
ところが、近づいてくるその音は明らかにMigのエンジン音でない事に気付きます。その直後、空襲警報のサイレンがけたたましく鳴り響きました。アラブ空軍のパイロットは、咄嗟に地上員と共に自機に走りだしました。しかし、敵機はすでに基地から視認できるほど近くまで来ており、パイロットはやむなく自機に乗り込む事を断念し、退避壕へと引き返します。
数秒後、爆撃機が飛来し、地上に並べてある虎の子の戦闘機に対し、爆弾をばら撒きます。こうして、アラブ空軍の戦闘機は地上に在るまま破壊されてしまったのでした。
突然の空襲にあっけに取られて空を見上げるしかなかったエジプト将兵は、攻撃を終えて退避行動に移る飛行機の翼に夜明けの太陽を浴びてキラリと光るダビデの星を見ます。
イスラエル空軍機は基地に奇襲の成功を打電します。”トラトラトラ(ワレ、キシュウニセイコウセリ)”を受信したイスラエル軍は機甲師団に進撃を命じます。
シナイ半島の国境を越えたイスラエル軍は、制空権のなくなったアラブ軍を簡単に撃退します。エジプト軍の士気は下がり、イスラエル軍は進撃を続け2日後にはスエズ運河まで達しました。
ゴラン高原でも同じ戦術によってシリア軍は蹂躙され、イスラエルにとって脅威であったゴラン高原の要塞は次々に破壊されていきました。制空権の無い戦いはこれほど一方的なのでした。 ヨルダン戦線でもイスラエル軍は進撃を続け、あっさりと現在のウエストバンクを占領し、エルサレムにある嘆きの壁を占領した部隊は感涙に咽んでいました。
イスラエルの勢いは、この3国を占領してしまいかねない状態でした。ソビエトKGBにとってそれは望むべき事ではありません。ここらが潮時だと判断したソビエトは国連による介入を上申しました。これが通り、国連は停戦のために介入したのです。
そして、エジプトとヨルダンは8日に停戦を受け入れました。この両国にとっては3日戦争でした。ヨルダンは、聖地を失ったにも関わらず戦争を諦めたのでした。シリアはといいますと、10日になってやっと停戦を受け入れました。やっとと言っても、6日の戦争でした。
この戦争の勝利によって、シリア領のゴラン高原、エジプト領のシナイ半島、そして、ヨルダン領のウエストバンク、さらにエジプトが守っていたガザ地区までも占領したのです。
この中でも、なにより東エルサレムにある、ユダヤ教の聖地、西の壁がイスラエルのものとなりました。ユダヤ人はイスラエル独立戦争以来行くことが出来なかった聖地へ巡礼に行くことができるようになりました。
この中東版パールハーバーでイスラエルが失ったものは国際的な信用ですが、得たものはそれ以上のものだったのでした。 |