2003.10.2.                                                                                                                                         面接

 受講訂正期間が終わってから二週間もすぎて,受けていてた。インタネットスクリ-ン英語の科目が閉講されてしまった。それで今日から受けることになった科目のmultimedia日本語の課題で、8年ぶりに日記を付けている。 今日は金哲先生の紹介で日本のDAIHENという會社の面接があった。釜山の事務所の所長が面接勘として來て、面接は全部日本語で行われた。あまり就職はしたくないけど、卒業してから何をするか計畵もないし、これから編入の準備をしようると考えても目標の大學に入るのは一年は十分かかりそうで、親には話せない。

 面接が終わって、金哲先生と少し話し合ってから、すぐmultimedia日本語の授業に入った。進度がけっこう進んだらしいんで、何もかもがまったくわからないので、班長に授業中、面倒をみてもらった。ホムペ-ジっていうのを今まで一度も作ったことがない。おまけに家のパソコンにはナモのプログラムもない。これからどうしたらいいかなー。でも、 學期が終わるときにちゃんと自分のホムペ-ジくらいは
作れるようになったら嬉しいと思う。

2003.10.3.                                                                                                      山登りと自轉車のバンゲ

 一年半以上ずっと出ている日本語の勉强會がある。私はこの勉强會の運營者なったばかりだ。この勉强會は每週の土曜日にだいたい60人ぐらいが集まってクラス別に勉强をする。勉强だけではなくいろんな目的でバンゲっていうオフラインの集まりが每週、何回ぐらいはできてくる。今日は休みの日でバンゲがふたつもあった。一應,弟をつれて山登りに行った。弟は私と十年の差があってまだ小學校の四年生だ。いっしょに行ってた人たちはみんな私の年上で弟をかわいがってた。

 そんなに險しい道ではなかったけど、けっこう長い道だったのに弟は不滿ななしに、よく步いて嬉しかった。山から降りてきて子供の大公園を通して行くところにホットドッグを買ってあげた。それが、だから、公園で遊ばなくまた私の約束の場所に行くのがすまなかったからだ。

  あと、行った所はサジクアシアド運動場だった。あそこで自轉車やロ-ラ-スケ-トを借りて、自轉車に乘れない人は講習を受けたり、練習したり、みんなが(25人以上集まった大バンゲだった。)とても樂しく遊んでいてた。私も高校二年生の時日本へ行ったときに自轉車に乘ってから初めて乘ったのだった。でも、幸にすぐうまく乘れるようになって講習は提げられた。夕暮れも過ぎて、氣がすむまで遊んだみんなは近くにある有名なそば屋に行った。おいしいのはもちろん、兩も多かった、また行きたい店だった。すごく疲れたけど久しぶりにお酒飮まずに健全に遊んだ日だった。

2003.10.4.

釜山で一番大きくて有名な祭りの釜山國際映畵祭はみんなが知っている。だけど、釜山國際映畵産業博覽會は知っている人がなかなかいない。私も最初は全然知らなかった。ソウルの新羅免稅店での實習が終わってから、やっとひまになって、釜山國際映畵祭のボランティアの募集に志願しようとしたら、期間が過ぎてしまったのだ。でも、あのホムペ-ジで釜山國際映畵産業博覽會でボランティアを募集しているのをわかった。書類も面接も無事に通過して、招請チ-ムに割り振られた。今日は空港の仕事だった。空港で、外國から來るゲストを案內する仕事だった。私は英語の通譯擔當のヒヨンと一緖にピケットも持って出口の前をずっと守っていてた。その時、今、釜山國際映畵祭のステップをやっている日本語の勉强會での知り合いの人にも會ったり、釜山國際映畵祭のボランティアさんたちとも友だちになったり、東京lab.の撮影監督と冗談をしたり(顔がわからない有名な監督だと知らせたり、明日から私が擔當するブ-スのゲストが在日っていうのもわかった)、實はこれが七時間の間のことだったからつ.ま.ら.な.かった。ゲストと同じシャトルバスに乘ってホテルに戾るとき橫浜フィルムカミションのさいとふじたさんと友だちになった。ボランティアの仕事が終わって、パラダイスホテルに努めている先輩に遊びに行って、9000オゥンもする生オレンジジュ-スを飮んで、先輩の車で家まで行ってもらった。明日、また遊びに行ってみるつもりだ。^^

2003.10.5.

 9時半にパラダイスホテルに着いた。朝からみんなが自分が擔當したブ-スの準備を手傳うため忙しかった。
私のブ-スの人たちは少し遲く、すごく重そうな大きなかばんをいくつも持ってきた。來たばかりにすぐか
ばんからカメラを出して組み立てるのだった。私が手傳うことなんか全然なさそうで,あいさつもできずに
ぼかんと立っていてた。やっとすき間ができてあいさつをした。"何か手傳うことでも.."と言ったら椅子を
ブ-スの中におっといて、"ここに座っていて"って言われた。機械の設置は終り、會社から持ってきたT-シャ
ツとジャンバ-があって、あれを賣るのは私の擔當だった。

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