3)「わたしがレッドソックスを好きになったわけ」

   By ノマー渡辺

 わたしが初めてレッドソックスという名前を聞いたのは、多分小学生の頃でした。当時フジTVで週1回MLB中継があり、それを見て知ったのです。ただ当時は「赤い靴下なんて変な名前」ぐらいの印象しかなく、中継がなくなると自然と名前は記憶から消えていきました。。それから何年たち、再び耳にしたのは、レッドソックスファンにとって悪夢の1986年のワールドシリーズのニュースを見た時です。。メッツが元巨人のジョンソン監督と言うこともあり(グッデン・ストロヴェリーの活躍ももちろんのこと)、割と日本でも注目され、ニュースで結果が頻繁に流されていたと記憶してます。ただわたしにとって気になったのは、1塁ゴロをトンネルした一塁手はどうなるのだろうということだけでしたが・・・。
 そしてその頃大学生になっていたわたしは、自由になる時間と金ができ、日米野球を観戦したりアメリカに旅行したりしましたが、MLBにそれほど関心を寄せてはいませんでした。
 転機は90年に起きたのです。大学院に進んだところ、先輩に大のMLB好きな人がおり、その人に洗脳教育を施されてしまったのです。まずは26球団全部暗記から始まり、各チームの主要選手のことなど、単位とは全く関係ないテストを毎週のように受けていました。この頃初めてレッドソックスの名前の由来を知り、伝統を感じる様になったのです。そして夏休みにどこかホームステイしようとした時、「行くならMLBの球団がある都市に行け」との指令を受けました。旅行会社のパンフレットで探したところ、LA・NY・BOSTONの3都市が候補に。LAは以前旅行した時の印象があまりよくなく、NYに決めようと詳細を係の人に聞いたところNY近郊のNJにステイするとのこと。安直ですが消去法でBOSTONに決定したのです。その後ホームステイ先を決めるのに、自己紹介の手紙を書く必要がありました。普通の人は「自分はどんな人間で〜」の様なことを書くのですが、わたしは当時知っていたわずかなレッドソックスの知識を活用し、クレメンスの剛速球は凄いとかペーニャの座ったまま2塁に送球するのに驚いた等、自分のこととは全く関係ないレッドソックスのことばかり書きまくりました。その結果当然のことながらレッドソックス好きの家庭にステイが決定。場所はボストンから1時間程列車でかかるSALEMという街でしたが、ホストファミリーの親父さん(以下MIKE)は大のレッドソックスファン。「TEDはわたしの永遠のHEROだ。」というその人は、家に到着して家族の自己紹介が終わるやいなや、「明日レッドソックスの試合を見につれて行くから」と感動の一言。こうしてMLB初体験はいきなり訪れることに。
 翌朝、時差ボケと興奮で意味もなく5時に起床したのを覚えています。そんなこんなでMIKEと一緒にSALEMから電車に揺られ、地下鉄に乗り換えいざフェンウェイパークへ。試合開始の1時間くらい前に到着。駅からは凄い人の波。(今思えばまるで聖地巡礼の人々の様でした。)ダフ屋・露天のショップ・大きなグッズショップ等々見るもの全てが新鮮で、興奮しっぱなし。そしていよいよスタヂアム内に入りました。はっきり言って「ぼろい。」というのが最初の印象です。私の育った名古屋のナゴヤ球場にも似ている気がしました。通路も薄暗く人でごった返している所なんて特に。スタンドに降りると、やはり最初に目がいったのはレフトに高くそびえるフェンスでした。と同時にそこにスタンドがないと言うことにも大変驚かされ、MIKEに拙い英語で質問ばかりしていました。試合はデトロイト戦で(この年メジャーに復活したフィルダーがいたのですが怪我のため出場せず。その他モスビー・コールズ・シーツ等日本へ後にやってきた選手が出ていました。)正直言って試合内容は負けたこと以外覚えていません。ただ試合の結果より、1つ1つのプレー、球場の雰囲気、応援の仕方等全てに感動し酔っていたメジャー初体験でした。
 
Fenway Park(by matsudy)


 その後ホームステイ期間中3度フェンウェイに訪れ、家にいるときも殆どTVで試合を観戦。この1ヶ月ですっかり私はレッドソックス色に染められて行ったのです。学んだ英語も挨拶と野球に関するものばかり。私の人生に多大な影響を与えた、本当に意義のあるホームステイでした。
 こうなると日本に帰国後してからが大変。当時日本では最新のMLBの結果を知る術がほとんどなく、アメリカにいる時と180度変わってしまい、レッドソックス禁断症状に襲われたのです。処方箋は数週間遅れのBaseball Weeklyと時間だけでした。BSに入ったり洋書屋で本を探したりして、シーズンには実際に見に行くことで病気は快方へと向かい、今やインターネットなどもあり症状は完治しました。
 というわけで、私は大学院の先輩やMIKEという人間に出会えたことにより、MLBそしてレッドソックスが好きになり、現在に至っております。横浜のファンが優勝を38年間待ったように、私も何年でも待ち続けます。例え今年MOが抜け、将来NOMARが去ったとしても、レッドソックスというチームを応援し続けるつもりです。そうそう、ステイ先を離れるときMIKEが最後に言ったのは、「今年ワールドシリーズ一緒に見に行こう。その時は必ずボストンに来るんだぞ」 この年地区優勝は果たせましたが、結局負けてしまい実現できませんでした。
 それ以降MIKEとはクリスマスカードのやりとりをしているのですが、書いてあるのはいつも「今年こそチャンピオンになって欲しい」というようなことばかり、私も「ワールドシリーズを見に行こう」と書いています。今年も夢は実現しませんでしたが、クリスマスカードには同じことを書くつもりです。