家に着いてから、今日の出来事を相沢に教えた。 「雑誌のモデル?」 相沢が心底からびっくりした顔をする。 尾崎さんに抱きしめられたことは、もちろん相沢に言ってない。でも支障のない話は全部教えた。 「そうなんだよ。一度きりだって言われて、半分くらい騙された感じで連れて行かれてさ。僕をモデルに使おうなんて、尾崎さんもその周りの人たちも、いったいどういう目してんだろうね」 「モデルかぁ……」 相沢がまじまじと僕を見た。少しくすぐったくなって、僕は身じろぐ。 「なんなんだよ。じろじろ見ないでよ。とにかくさ、ああいう着せ替え人形みたいに扱われてバシバシ写真撮られるのは僕の性にはあわないから、もうやらないよ。疲れた疲れた」 「見たかったな、それ」 げっ、と思った。相沢まで何言い出すんだよ。 「素人の域、越えてないんだよ? その辺のメンズ雑誌の人たちと比べたら、全然レベル違うし、見てもしょうがないと思うけどな」 「いやでも、悟瑠だし。作り甲斐はあっただろうな」 「おまえまで、なに?」 みんなして過大評価しすぎだよ。まったく。 「でさ、その雑誌いつ出るんだ?」 「買うなんて言わないでよ。ちゃんと見本誌くれるんだから」 それから三週間くらい、何事もなく平和に過ぎた。 高永神無は、少なくとも家まで押しかけて来なかったし、尾崎さんともバイト以外では会わなかった。モデルの話は本当に一度きりだったみたいだ。 「はい、これ」 バイトに行くと、尾崎さんが薄っぺらい包みを差し出してきた。受け取った僕は開けてみて、中に入っている雑誌を取り出した。 「出来たんだ?」 「うん」 表紙は最近ドラマでも活躍している元モデルの人だった。期待するつもりはないけど、なぜかドキドキとして僕はページを開いてみる。どうせ隅っこの方にオマケみたいに写ってるんだろう。そう願ってるんだけど……。 手が止まった。 驚いて尾崎さんの顔を見る。何か思惑が成功したような笑顔がそこにあった。 雑誌に目を戻す。 ページ数としては三ページ程度。一ページ目に一枚がどかんと場をとって、見開きになっている二ページ目と三ページ目に数枚の写真が入っている。一番問題なのは、最初のページに書いてあるコピーと見出しだった。 「……尾崎さん?」 「はい?」 「このデビューした新人のような扱いはなんなんでしょう?」 「きみを撮った人が気に入ってくれてね、それから仕上がった写真を見て編集長も気に入ってくれたそうだよ。事後承諾のような形になってしまって申し訳ないと思ってるんだけど、見本誌をスポンサーに配布したら好評だったって。そのうちどこかのプロダクションから誘いがあるかもね」 「……冗談じゃないですよ」 はめられた。 最初っからこう扱うつもりだったんだ。 でも落ち着け。だからって発展するとは限らないんだ。誰も目に留めなければ、これっきりになるんだ。芸能界デビューする気なんて、さらさらない。 だいたい、もっとずっと前からモデルとして雑誌に出てた尾崎さんこそ、そういう誘いがなきゃおかしい。一雑誌にしか出てないから、なかなか目に留められる機会が少ないだろうけど、尾崎さんの方がよっぽどテレビとか似合う。 「今夜、雑誌発売記念に一緒に食事でもしない?」 「だめです」 即座に断わった。必要以上に尾崎さんには近寄らないと決めたから。 「何か用事でも?」 頷いた。少しの罪悪感が僕の心を突ついたけど、尾崎さんとはもう二人きりになっちゃいけなかった。 雑誌を見た相沢は、しばらく無言だった。 見たいと言ってたけど、この扱いには戸惑ってるみたいだ。 「なんか……これっきりって感じじゃないよな」 まだ次の誘いはない。だから僕は安心してたけど……。 「もし次があったら、断わるつもりだよ」 「ちょっともったいない気はするけどな」 ……もったいないって……そんな。 「これって一応、男に売る雑誌なんだろ? なんでこんなにアイドルみたいなんだ?」 「女性読者もたくさんいるんだってさ」 「なるほど」 納得してる場合かよ。 「とにかくねぇ、もうやらないから、こういうのは。むずがゆいって言うか、くすぐったいような変な感じで嫌なんだ」 「……俺としても、おまえに有名人になられちゃ困るけどな」 「え?」 いきなり相沢が急接近してきた。 唇が触れる。 「最近の有名人は、プライベートも暴かれやすいだろ? こんな風に出来なくなるかもしれない」 「なに言ってんの」 僕が笑ってると、相沢に倒された。 唇が重なる。 「……安心してよ。そんな簡単に有名になるわけないって。バカなこと言ってないで、おまえも気をつけてよ。女の子が放っておかないみたいだからさ」 「バカだな。なに言ってんだよ」 もつれ合うようにして抱き締めあった。何度もキスをした。 こんな瞬間に幸せだなって思う。 他のこと全部忘れて幸せになれる。 そして僕は本当に彼のことが好きなんだと再認識する。 ずっと永遠にこの腕が僕を抱き締めてくれることを願いながら、溶けてしまいそうな時間をふたりで過ごした。 しばらくすると、僕のところに二度目の出演依頼が来た。 「嫌だって言ったでしょう」 「そこをなんとか」 バイト先のファミレスで、僕の目の前で拝むように頭をさげているのは、他ならぬ尾崎さんだった。 「一度きりじゃなかったんですか」 ここは強い態度で出なきゃ、またズルズルと連れて行かれてしまう。 僕は頑として譲らなかった。 「今週中に連れて来てって頼まれたんだよ。きみの気持ちもわからないでもないけど、どうしてそこまで嫌がるんだい?」 「どうしてって……」 こういう形で目立つのがあまり好きじゃないからだ。 「僕じゃなくてもいいじゃないですか。女の子ウケするカッコイイ男なんて、いくらでもいると思うけど」 「きみじゃないと駄目なんだよ」 そんなわけあるもんか。 「僕の分、尾崎さんが出ればいいじゃないですか。僕よりもずっとカッコイイと思いますけど」 「きみにそう言われると、本気で嬉しいね」 ……しまった。褒めちゃいけなかった。 なるべく尾崎さんを「その気」にさせないように反らすつもりだったのに。 「とにかく、僕はもうやりませんからね」 「好評だったんだ。問い合わせがたくさん来てね。きみのプロフィール知りたがる人が大勢いた」 「尾崎さんにも来るでしょ」 「すでに公開済みだよ。さすがに居所は明かさないけどね。でもまあ、一雑誌のみだから、それほど騒がれはしないけど」 「そこ、さっきから何さぼってんだ!」 いきなり店長に怒られて、僕たちは慌ててそれぞれの仕事についた。 話の続きは帰り際に持ち越された。 「俺はね、芸能人になる気はないんだよ。他の雑誌からもプロダクションからも話が来たことはあるけど、全部断わってるんだ」 私服に着替えている最中に、尾崎さんが話はじめた。 僕は黙って耳を傾ける。 周りには、他のバイトの人も着替えていた。 「そういうの引き受けるのも悪くはないと思ってるんだけどね、俺のやりたいことはそういうジャンルのものじゃないみたいなんだ」 「……でも、尾崎さんそういう世界、似合うんじゃないかと思いますけど」 「きみだって似合うよ」 僕のことはいいってば。 「だからさ、必要以上に目立つのが嫌だとしても、俺みたいに最小限の仕事も出来るんだよって話なんだ。……どうかな。それでも出てくれないかい?」 「嫌ですよ。何回言わせるんですか」 尾崎さんが小さくため息をついた。 諦めてくれたかな。 尾崎さんが、腕時計を眺める。 「ついでだから、一緒にごはん食べに行くかい?」 「相沢が待ってるから駄目です。ごめんなさい」 「……そう」 胸が急に締めつけられた。これは、罪悪感? 尾崎さんの声に切ない響きが含まれてるように感じたから。 気のせいであってほしかったけど。 部屋の鍵を開けて中に入ると、真っ暗だった。 「……まだ帰ってないんだ」 電気をつけて、テレビをつけた。芸能人がにぎやかに喋っている。トーク系のバラエティ番組。 ふと、留守電のランプが点滅してるのに気づいて、ボタンを押した。 『俺だけど、今日遅くなるから先に夕飯食ってて』 急かされてるような相沢の声が出てきた。なんとか電話かける隙を作ったって感じ。 なんだろう、また誰かに誘われたのかな。 仕方ないから冷蔵庫を開けた。こんなことなら尾崎さんと食べに行った方がよかったかな。一瞬そんな風に思ったけど、すぐに打ち消した。 ふたりきりになっちゃいけないんだった。 簡単なものなら、自分でも作れるようになった。適当に作ってテレビ見ながら食べた。 なんだか空しい。 どうせコンパか何かに決まってる。無趣味な上に、友達少ない僕には、こういうときの時間のつぶし方がよくわからない。ただひたすらボーッとテレビを見て、そのうち帰ってくる相沢を待ってるだけだ。 時計を見た。十時を過ぎてる。 ひどい時には夜中に帰ってきたりする日もある。滅多にないけど。 何か暇つぶすものがないかと部屋の中を眺めたら、雑誌を見つけた。 僕の写真が掲載されているやつだった。 雑誌の中の僕は別人だった。 ツクラレタ被写体。 よりファッション的に。 より芸術的に。 前にどこかで聞いた気がする。モデルは素材だって。 ひとつの芸術を創り出すための素材。メイクアーティストとスタイリストとカメラマンやいろんなスタッフたちで素材をいじくってカメラにおさめる。 雑誌の中の僕は本物の僕じゃなかった。そんな風に化けることを楽しいと思う人もいるだろう。 けど、僕は何の感慨も覚えない。 めまぐるしく引っぱり回された印象があるだけで、撮影現場のことなんてよく覚えてもいない。 新鮮だったな、とは思うけど……。 雑誌を眺めたりテレビを見たりしてるうちに、十二時半を過ぎた。 相沢はまだ帰って来ない。 今度から相沢が駄目だって言っても、ついて行こうかな。 ガタ、と玄関先で音が聞こえた。 ハッとして僕は慌てて玄関に向かう。鍵を開ける音がして、外側からドアが開く。 一瞬、僕は凍りついた。 ドアから最初に覗いた顔は、高永神無だった。チラリと僕の顔を無感動に眺めて、ドアをさらに大きく開く。彼女の女らしい華奢な肩を相沢に貸している。 「……酔い、つぶれてんの……?」 「見た通りよ。飲ませすぎちゃった」 中に入ろうとするのを制して、相沢を引き取ろうとした。神無はそれを無視して、玄関をあがっていく。 「ちょっと、後は僕がなんとかするからさ。こんな時間だし、女の子なんだし、きみは帰った方がいいんじゃない?」 「こんな時間なんだから、泊まった方が安全だと普通は思うわよ」 「あのさ」 彼女の強引さに少し腹を立てながら、僕は言った。 「ここには男がふたりもいるんだよ? 普通もっと警戒しないか?」 「こんなとこじゃなくて、ホテルに連れ込めばよかったって今、後悔してるとこよ。あなた彼のただの友達なんでしょ? それともそういう忠告めいたこと言うなんて、あたしに気でもあるわけ?」 「あるわけないだろっ」 なんなんだこの女は。 「一度ふられたくらいで簡単に諦められやしないわよ。行くとこまで行っちゃえば、後はこっちのものじゃない? 相沢くんて真面目だし、関係作れば責任感じて結婚するタイプよ」 ズキ、と胸に鋭い杭が刺し込まれた。 思い当たることだった。 最初、僕を友達としてしか見られなかったはずの相沢が、いつの間にか振り向いてくれた。そのきっかけは、ふたりの間に関係が出来たからだ。 相沢がどの程度、僕に気持ちを傾けてくれているのかはわからない。そんなの、頭の中覗いたってわかることじゃない。もしかしたら成り行きのせいで、相沢がその気になっただけかもしれないなんて、何度も考えた。恋愛感情だって勘違いしてるだけかもしれないって、何度だって考えた。 神無がさらに続ける。 「だから、あなたちょっと出て行ってよ。こういう時、男友達って気をきかせるものよ」 無性に腹が立った。僕は神無の腕をつかんで、強引に立ちあがらせた。 「ちょっと! なにすんのよっ。痛いじゃない!」 玄関まで引っ張って行って、外に追い出した。鼻先でドアを閉め、鍵をかけて、チェーンをかけた。 泣き出してしまいたかった。 部屋にあがり、こんな時なのに寝てる相沢が憎たらしかった。だいたいなんで、飲み会にくっついて行くんだ。彼女がおまえに気があるの、知ってるだろ? 仕方ないからベッドの上に引きずって寝かせた。僕はしまいこまれてある掛け布団を引っ張り出して、クッションを枕にして床に寝た。 眠れそうな気配なんて、全然なかった。 |