Poitrine21 |
カズヤの記憶2000 |
★カズヤ役の下島裕司さん(zima)に訊いた、とっておきの『ポワトリン』裏話、その他! |
2000年8月5日 1st Q:『ポワトリン』でたったの2回(13話「秘密のニセ札工場」&14話「不思議な呼び笛」)しか監督されていない「三ツ村鐵治」さんって、いったいどういう方なんでしょうか?なぜ2回だけなのかその理由も・・・ |
zima: さすがはファン!いいとこ突いてきますね。三ツ村さんは俺ら(ポワトリンクラブの四人)の中でも話題騒然な人でしたからね。 まず何で二回だけかってことを答えると、簡単にいっちゃえば、パイトで言うところのヘルプですね。当時東映では、ポワトリンは第二制作部で作られていました(他には、世にも奇妙な物語とか)。三ツ村さんは第二制作の監督ではなくて、戦隊物やメタルヒーロー系を作ってる制作部の監督でした。確か、当時はウインスペクターをやってた監督だと思います。たまたまその時第二制作の方で監督が都合付かなくて三ツ村さんが呼ばれたんだと思います。 ちなみに、放送で見れば二回ですが、東映のテレビシリーズ物は二話づつ同時進行なので、俺らの中では一回きりの監督です。 その三ツ村さんが怖いの何のって、俺らはいつも、次はもしかしたらやつが?っておびえてましたよ、半分ギャグで。当時俺らの間では三本指立てて三ツ村が来るぜ、ってサインするのがはやってましたね。 二十何話からオープニング変わりましたよね、あのときもスタッフにオープニングの監督三ツ村さんだよって脅かされてびびってましたね。実際冗談で違う監督でしたけど。 きっと実際はそんなに怖くなくてちょっと厳しいくらいだったと思うんですけど俺らがネタにしてたら、怖い人ってイメージで定着しちゃったって感じですかね。 |
2000年8月9日 2nd Q:オープニングの監督さんって誰だったんですか?旧オープニングと新オープニングは、同じ人が監督されたのかその辺のことを是非 撮影時のエピソードなんかもよければ あ、エンディングも、新・旧をどなたが監督されたのか、それもついでに教えてください |
zima: OP&EDの監督ですか、うーん、はっきりとは覚えてないですね。 エンディングにいたっては俺ら全くノータッチ(映ってない)でしたからねぇ。 確か最初のオープニングは村山さんだったと思いますよ、定かではないですけど。後半のオープニングは覚えてないですね、メイン3人の監督ではない気がしましたが。 イヤ、申し訳ない、ガキんころの記憶では限界ですね。今までの質問にきちんと答えてた記憶力が奇跡に近いですからね。かなり細かいことまで覚えてる俺なんですけど、ちょっと今回だけは無理でした。 |
2000年8月11日 3rd Q:神様役の鈴木清順さんの印象なんかを・・・あの様なビッグな人が出演されているのが、今思えば凄いことだったなと改めて思う今日この頃です なんか『ポワトリン』という作品に箔を付けている感じしますよね |
zima: 清順さんですか? なにげに俺らとは接点がないんですよね。俺らと清順さんが共演してる場面ってありましたっけ? ロケバスでご一緒させていただいたことはあります。挨拶程度できちんとお話は出来ませんでしたが、不思議な感じのする方でしたね。その時の俺はすごい人だってことがわかってなかったですけど。 |
2000年8月15日 4th Q:それでは、今回はあのお二方、柴田理恵さんと斉木しげるさん、この方達の素の時の印象や面白いエピソードなんかを是非! |
zima: 柴田さんと斉木さんですね。 柴田さんは今やブレイクして超有名人ですけど、当時最初に会ったときは三軒茶屋のおばさん(いぱねまでしたっけか)やってた人と 三軒茶屋のおばさんの息子役になるのか?、と。実際共演させていただいてて、ものすごくいい人でしたね。あと、すごく綺麗な目してるかたでしたよ。 49話でしたっけ、俺がメイン軸の回ありましたよね、あの回クランクアップしたとき、柴田さんが「もしかしたらこれで終わりかもしれないね、お疲れさま。」って言ってくれたんですけど、僕は、「きっと最終回で一緒ですよ、さよならはまだとっときましょう」みたいなこと言ったのをよく覚えてます。結局、最終回で共演できなかったので、さよならは言わずじまいになってしまいました。ちょっといい話でしょ。 その後柴田さんにはシュシュトリアンと合同のパーティーの時お会いして挨拶させていただきました。 余談ですが僕、去年友達に誘われて「ウンナンの炎のチャレンジャー」のタイムリミットエレベーターって言うのに挑戦したんですけど、そのオンエアーがあった日の番組のゲストは柴田さんでした。これも何かの縁ですかねえ 斉木さんは、芸能人の方みんなが言いますけど、ものすごい物知りで、自分の哲学って言うのをすごく持ってる方でした。聞いててすごいおもしろいんですよ。当時大流行だったハンドパワーの話で斉木さんと撮影の合間に盛り上がったこともありましたね。当時は小学生でしたからパチンコ名人斉木しげるの腕は見れませんでしたけど(笑) |
2000年8月18日 5th Q:今回は、・・・えーと、あ、モモコ、前田利恵さんのエピソードを・・・どんなことでもいいので、印象に残っている面白話をお願いします |
zima: まああの子供のレギュラーメンバーの中で、劇団(事務所)が同じだったのは僕と彼女だけでした。 僕と彼女が東映児童演劇研修所。ケンジが、劇団ひまわり。シンスケが東俳で、タクトが東京放映。(付け加えるならば、「回想少年」も僕と同じ劇団でしたけど) しかも僕とほぼ同期でポワトリン以前も一緒でした、仲良くなったのはポワトリンからですけどね。 そんなこんなで、やっぱ「お彼岸ライダー」でしょ、彼女とのかなり強力な共演と言えば。正直かなり楽しかったですよ、あの話は、思う存分バク転したし(笑)何の因果か、今思えばあれでプティットと戦ったのが、俺の生まれて初めての立ち回りになるわけですね。その後アクションを目指すことになるとは・・・。 スタッフとかにかなり気の利く子だったのもよく覚えてます。最初は結構出番の少ない子でしたから、合間とかによくユウコと遊んでましたね。最初はよもや自分がヒロイン2号になるとは思いもしなかったでしょうけど。前にも書きましたけど、台本渡されて彼女も始めて聞かされてましたからね、プティットへの変身は。そしてスタッフの冗談でしょうけど、プティットのスタントを俺がやらされかけた・・・と。 まあここだけの話俺と彼女身長体重ほぼ一緒ですからね。イヤ、ファンの方、失礼。 |
2000年8月18日 6th Q:・・・ユウコ、花島優子さんのとっておきエピソードを 以前にも聖闘士星矢のテーマ曲入りテープをプレゼントしてもらってうれしかったと教えていただきましたけど、それ以外で、何かあればまた聞かせて貰いたいなと |
zima: お、もうメインディッシュですか?早いですね。 まあ前にも言いましたけど、同じ聖闘士星矢ファンでしたからよくその話はしましたね。しかも俺も彼女もキグナス氷河のファンでしたから。 まあ彼女のプライベートや、仕事上のいざこざ等は僕の口から公表するなんてのはしたくないんで伏せておきますけど。 多分みなさんの方が詳しいんでしょうけど、絵描くの好きな人でしたね。うーんとなんて言いましたっけ、終わってから出た本、オリュードでしたっけ?確かあれに彼女が描いたオリジナル漫画みたいの何枚か乗ってましたよね、何か羽生えたのが剣持ってるみたいなやつ(違いましたっけ)。あれ撮影の合間の待ち時間にも控え室(そんなたいそうなものはないので実はメイク室)で描いてましたよ。あの本に載ってるまさにあのページに色塗ってるとき俺横にいましたもん。 あとは帰りに一緒に古本屋行ったりとか、結構僕を弟みたいに可愛がってくれましたよ、懐かしいです。 あとは、シンスケがメイン軸の回(リーサルウエポンが何たらっていう話)で、ポワトリンと俺(”俺ら”だったかもしれないです)が土管みたいのの後ろに隠れてる場面があって、そこで、俺が真横にいて会話するカットで、たまたまその日変身時の化粧が濃くて、口が化粧品臭かったのを「姉ちゃん(当時俺らはそう呼んでた)口臭いよ」って言ったらえらい怒られたのをよく覚えてますね。 とにかく一年間一緒に仕事しましたからいろいろと細かいエピソードはありすぎるくらいありますよね。 ある日、その日の撮影が終わってメンバーみんなが行きつけだったラーメン屋によってから帰ろうって言って、そこでみんなで待ち合わせしてたんですけど、俺ら悪ガキ4人は日頃のことでスタッフに説教される羽目になり、ユウコとモモコをかなり待たせたあげく結局店閉まったっていうこともありましたよ。ちなみに撮影所裏門近くの「春来」って言う店です。今もあるのかなぁ、俺は”いつもの”って言うと俺用のグリンピースとネギ抜きのチャーハンが出てきたんですけどね、僕は特に常連で一週間チャーハン食い続けたこともありましたよ。あ、あんま関係ない話になってきちゃいましたね。 とりあえずこのくらいにしておきます、また何か思い出したら話しますね。 |
2000年8月20日 7th Q:次の質問ですが・・・ポワトリンクラブのメンバー一人ずついきましょうか では、リーダーのタクト、小林竜太さんについて何かあればお願いします |
zima: タクトと俺をつないでいたものはズバリゲームです。一緒にファイナルファイトをやった回数は数知れず。 他にも、当時ゲームセンターにあったゲームはほとんど彼とやりましたね。タクトは序盤かなり仲良かったですね、今はある事情で連絡は取れなくなりました。 彼は当時「ラ行」の発音がうまくできなくて、俺らはよく冷やかしてましたね。彼は吉祥寺に住んでて一回だけ遊びに行ったことがあります、家までは行きませんでしたけど。 正直年の差もあってか喧嘩は多かったですね。うーん、おもしろいネタがいまいち思い出せんですね、あいつのことに関しては、あいつすごく根がまじめだったから。 |
2000年8月23日 8th Q:それでは次の質問ですが、ポワトリンクラブの頭脳派、ケンジこと天間信紘さんのエピソードを是非 |
zima: 彼とは仲良かったですね、家にも何回も遊びに行ったし。 俺も彼も「パトレイバー」が大好きだったんですよ。プラモとかも一緒に買ってましたね。彼はヘルダイバー、俺は零式が好きでした。 そういや、ポワトリンが終わって3年後にあったときは格闘ゲーム好きになってましたよ、俺もそのころかなり格闘ゲームにはまってたんで早速思い出のゲーセンで対戦しました。当時の最新機種は餓狼伝説スペシャルでしたね。 ゲームの流行りもんってことで今頃は音ゲーにはまってんのかな、俺みたいに。 彼は今頃何やってんだろう。久しぶりにあいたいです。 |
2000年8月26日 9th Q:では、改めまして次のP質問を・・・ シンスケ役の山沢武久さんについて何かエピソード有れば教えてください |
zima: シンスケとはプライベートで一緒に遊んだりはしなかったですね。 ファイナルファイトではハガー使ってましたよ。 ポワトリン終わったあと役者やめて柔道始めたって聞きました。 そういえば高校時代、中学の時に彼の後輩だったって奴が同じ学年にいました。かなり怖くて強かったらしいですけど。 |
2000年8月27日 10th Q:今度は本田カズヤ時代の下島さんを語ってくれますか? |
zima: 自分のことを語るって恥ずかしいですね、今思うのは、あのときの俺は演技の事をよく考えてなかったです。ガキだからしょうがないって言えばそうかもしれませんが、台詞を覚えるのに精一杯で、自分で何やってるのか分かってなかったように思いますね。今見ると結構見れる程度ではありますけどね。 俺に関するエピソードで面白いのが一つ。始まったばっかりの頃第五話(俺がメイン軸)が始まる直前の時、台本をもらいに制作部の部屋に行ったときのスタッフとの会話: ス「下島君さあ、次の話ローラースケートで滑るシーンあるんだけど、滑れる?」 俺「はい、できると思いますよ。」 ス「あ、良かった、そんじゃあさ、バク転出来る?(半笑い)」 俺「出来ますよ」 ス「え!・・・・・・・、ホントにできるの?」 俺「はい、できます」 ス「よかったぁ、何だ、ホントに出来るんだ、どうしようかと思ったよ・・・・・、あ、はい、これ台本」 すでに印刷されたもらった台本にはしっかりと、”カズヤ、バク転する”の文字が・・・俺が出来なかったらどうするつもりだったんでしょう、その時スタッフは俺がバク転出来るの知らなかったはずだし・・・。 それ以来、バク転がネタにされるようになったわけなんですよね。 |
2000年8月31日 11th Q:こんどは、新井礼子役の田中麻世さんについてお願いします |
zima: 新井礼子でしたっけ、 かなり俺ら的にはやな役ですよね、頼むだけ頼んで自分はうごかんっていう。 実際あんまり現場で会うことはないんですよ、彼女とは、俺らはきたねえ廃屋とかできついロケなのに奴は公園のベンチとかですからねぇ。 だからあんまり接点はないんですよ。 でも一つだけ覚えてるのは、役の時はいつも髪上げてますよね、彼女、おろすとめちゃべっぴんですよ。 |
2000年9月5日 12th Q:今度は、ディアブル役の蛍雪次朗さんについてお願いします |
zima: ディアブルの蛍さんですか、またこの方も接点がありそうで少ないんですよね たいてい変身前は蛍さんじゃないじゃないですか、俺らが接するのはその変身前で、実際蛍さんと戦うのはプティットかポワトリンなんで。現場入りの時間も微妙にずれてましたね あ、でも、珍しく同じワゴンで待ちだったときがあって、たまたま、数日前にテレビで「病院へ行こう」が流れてたんですよ、その映画蛍さん出てたんでその話をしたことはありました。 |
2000年9月8日 13th Q:次は、村上ノリコ役の音無真喜子さんについて、なにかあればお願いします |
zima: 音無さんですね、予想通りというか、あの方とは特に接点がないんですよね、結局俺村上家の人じゃないし(笑)。 でも、ポワトリンが終わってすぐくらいに同じ第二製作でやってた「世にも奇妙な物語」の現場でお会いしました。 |
2000年9月9日 14th Q:それでは次の質問を・・・ 佐伯孚治監督、この人のことで何かありましたらお願いします |
zima: 監督はポワトリンの現場で初めてあった監督ですよね、そして最後の監督でもあると。 自分たちの中ではそんなこともあって、佐伯監督がメイン監督という意識が強いです。 凄く一生懸命な方で、たまに怖いところもありましたが、とてもいい監督でした。 |
2000年9月11日 15th Q:それでは次の質問を・・・今度は坂本太郎監督について何かあれば |
zima: あの人はエロかったですね。 どんなふうにエロだったかは割愛させていただきますけど(笑)。 とにかく3人の監督の中では一番距離が近かったような気がします。楽しい人だったし。 |
△ |