サーファーでもワカル魔術入門

 

 

 

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魔術的世界

魔術にせよ、密教にせよ、より効率よく働かせるためにはその環境を整える必要があります。マックOSがDOSマシンで働かないように、魔術もそれに沿った環境が一番本来の力を出しえるからです。
この辺りを一番端的に表現しているのが呪詛の類いですので今回は「呪う」ということからちょっと ハナシを展開していきましょう。
呪うという術式を支配するのは共似性とでもいうような法則です。
よく、双子同士が互いに影響を及ぼしあう等というハナシを聞きますが、呪うという術式はこれを人為的に作り出し、相手に影響をあたえるという方法なのです。
日本の丑の刻参りなどでわら人形に相手の髪の毛や爪などをいれ、五寸釘を打ち込むのは人形に髪の毛や爪を入れることで相手の雛型を作り影響をあたえることを意味しているのです。(髪の毛等には遺伝子というその人間の情報がはいっている)
西洋の黒魔術などでも小型の蝋人形に髪の毛や爪、血液、精液等をいれ、香を焚き染めた密室で呪いをかけます。これは術者が集中力を得るためだけではなく、呪いを与える相手との間に霊的な共通空間を作り出すことをも目的にしています。つまり、呪いをかけているその瞬間同じ空間で相手に攻撃をしていることになるわけです。これは日本の丑の刻参りでも同様で時間を限定し、他人に見られれば呪い返しがあるなどとして、制限を多く求める理由には宗教的倫理感もあるのでしょうが、制限を加え限定したワクを作ることで呪力を強くし術者自身にとってより強い霊的な磁場を作り出すためでもあります。
この場合当然ですが同一の宗教観(世界認識)であるほうがより効果的であることはいうまでもありません。
つまりは共通の約束事なのです。(ステレオタイプ-予定調和といってもいいでしょう)共通の認識と価値観があって初めて強大な力を発現しうるものなのです。
ある、アメリカ人が南米のインディオ(て、南米でもネイティブアメリカンて言い方すんのか?)の呪術に興味をもち、ある、シャーマンに(呪い医師とでもいうような部族のなかでも特別な力をもつ存在。本来的にはシャーマンではないがここでは便宜上そう呼ぶことにします。)教えを乞います。
そのシャーマンは事も無げにこう言い放ちました。
「おまえが所属している全ての世界を捨ててこれるのなら教えてもいい。だが、それでも習得できるかどうかはまた別のことだ。」
はじめはこの言葉の意味を修行の為の覚悟を意味しているとアメリカ人は考えたのですが、それはそれでいかにも彼ららしい発想ですがこの言葉はそれを意味したものではありませんでした。
呪術を習得したいといった時点で覚悟などあたりまえのことでできようができまいがそんなことは教える側であるシャーマンにとってはどうでもいいことなのです。
そうではなくて彼らの呪術を習得するうえで、アメリカ人がこれまで培ってきた世界認識と価値観が呪術習得での障害にしかならないということを意味しているのです。
我々もそうですが唯物観を主体にした理論的なものの見方はあくまでも我々の今の生活を送るうえで適しているのであって、所詮、先進国を自称している幾つかの国家でしか通用しないものの見方にすぎません。
で、当然ですがこの近代合理主義とでもいうようなモノの見方感じ方は呪術修行の障害にしかならないものなのです。
ひとつひとつの事例をその世界から切り離し、自分のなかに用意されている枠のなかに囲い込むように取り込み、それを分析し整理した後情報としてしまい込んでいくやりかたと、連続した時間軸のなかで全ての現象をマクロ化した世界認識で事象を飲み下すかのように受け止めようとするやりかたの差は感覚面に全く違った結果を生み出します。
見えるものが見えず、聞こえる筈の無い精霊の羽根音が聞こえるのは世界にたいする在り方の差によるものといってもいいでしょう。
特に日本という国は戦前と戦後でかなり変化してしまいました。
戦前の日本人は同じ日本人同士でごく当たり前に朝鮮系、中国系、南方系を見分けられたといいますし、家庭、村などの地域社会での自己存在認識もまるで違っていたようです。
個人という概念が希薄でごく自然に自分と世界を囲む妖怪をも含めた神々を認知していました。
時間の流れ方も区切られたものではなく連続したもので、誕生から死までの個的な時間ですら限定された確実な記憶として把握していなかったようです。
呪いはおろかまじない、狐憑きが当たり前に存在し、簡単なケガや病気はまじないでなおし困ったことがあれば純粋にそこら中にいる筈の神に祈り、お守りを肌身離さずもち歩き、山にはいればキツネや狸にばかされ、ごく狭い地域社会からあまりでることなく、その地方の妖怪や神々に見守られながら一生を終えるというのがごく普通のハナシだったのです。
この世界観や価値観の在り方はある、グルジェフワーカーによれば、グルジェフ的にはほぼ理想郷にちかい環境なんだそうです。
こういった社会形態を前近代的で不合理な呪い社会と決めつけるのは簡単なことなのですが、それでもちゃんと4000年程連綿と続いてきたヒトが暮らしてきた社会であり、アメリカとも戦争ができる程の力を60年程度で身に付けたわけですから科学、工業力の側面からみてもこの前近代的社会はさほど問題がないように思えます。
この環境はアメリカの戦後植民地政策によってかなりの部分が壊されてしまいましたが、ベーシックなものはまだ存在しています。
それは更にステレオタイプ化され簡略化されてはいますが潰え去ることはないでしょう。
魔術の世界認識はこういった旧世界のシステムを細分把握することで成り立っています。

もう少し分りやすくいえば魔術世界はマクロ的世界で曼荼羅等に象徴される事象の連続帯であるといったほうがいいかもしれません。
全てを大きく分類してそれから細かく分析把握しそれぞれを関連づけていくのではなく、その膨大なマクロ的な事象を丁寧に並べていくようなやり方だと考えてもらってもいいでしょう。
証明されていようがなんだろうが、力としてあるものは認めてその力をどうすれば取りこめるのかを積み上げてきたいわば直観を経験的に認知してきた科学の集大成といえばもう少し分りいいかもしれません。
従ってどういう原理で作用するかがわからないために、その力を発現させるためにそれがかつて発現したのと全く同じ環境を用意しなければならないこともまま、ありえるわけでひとつの術式を成立させるのにヘタをすれば1〜10年以上の時間がかかる場合もざらではないのです。
魔術等の術式や、密教などはそれを自分たちの世界システムに取り込み可能な限り簡略化したものだと考えて貰ってかまわないでしょう。
従ってその力の本質に迫りうるものとして術者の直観力が非常に重要な要素になります。
近代の魔術士達の多くがオカルト文学に精通し、その著作を自らの術式の参考文献としてあげるのはその作家達の直観的洞察力が多くの場合有効であり、(魔術と表現行為はある意味共通する因子が多く作家とされる人間の多くは無意識のうちに幽界に出入りして真理を垣間みるのだとする魔術士は多く存在します)作家のなかのあるものは明らかに幽界で霊的な力と接触し知識をえたと思える部分が見え隠れするからなのです。
ある一定の統一された世界観のなかで無数の約束事の上に成り立つものが魔術的世界の本来の姿でその約束事を理解しコントロールできる人間が魔術士であり、アデプトと呼ばれる存在なのです。

近代になって発達した神智学、人智学とよばれるものはこの100年であまりに様変わりした世界のために魔術というプログラムを書き換えているといってもいいかもしれません。
魔術世界のもつ感覚を一番簡単に理解するなら子供の頃の世界の捉え方や時間感覚を思い出して貰えればいいでしょう。興味のあることに一点集中でき成り立ちや理由などを理解しなくてもそのまま丸のみにするように取り込むことができて、時間の区切りがなくただ流れすぎていくようにしか捉えられなかった、平面に膨大に広がる世界観。夢と現実の区分けが曖昧で記憶は触覚や臭覚からもたやすく喚起されてしまいます。
感覚として魔術世界を理解するのならこういった感覚を想起すればそれなりには理解できるのではないでしょうか。


(子供の脳は頭蓋が完全には閉じられないために常に酸素過多な状態にあるといわれ、この状態は大麻をやっている状態とかなり近いものといわれています。)

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