股間ハンター うさぎソフト |
「股間ハンター」という題名だけでもう駄目なゲームの香りが漂ってくるが、実際駄目である。というより言ってしまえばやるだけのゲームである。だから当然シナリオなんてない。エンディングまで、Hシーンを延々発生させるだけのゲームである。一応幼なじみ、巫女さん、などといういかにもな設定を持っているキャラがでてくるけれども、なんせシナリオがなく、Hシーンにはいればそんなものは全く関係なくなってしまうので、意味がなかったりする。よって、こういうゲームはエロの部分だけで評価しなくてはならないが、これがまた難しい。一応色々と考えられているのであるが、CGは同じCGを使ってというパターンが多いし、Hシーンの声もなんだか同じせりふをよく喋っていたりするからである。まあ、でも一応、色々とシチュエーションは考えているし、CGもそんなにまずくはないと思う。 個人的には、なんだか訳の分からないうちにHシーンに入っているようなゲームは好きである。笑えるし、それが、ある意味エロという物について率直なアプローチであるからである。つまりAVやエロ本に限りなく近い。普段はシナリオ云々とか偉そうに言うけれども、ここまで行くと逆に気にならなくなる。このゲームのパッケージを見た人でエロ以外のものを求めて買う人はいないであろうし、そうなれば、あとはAVをレンタルビデオ屋で借りるのと同じ感覚である。パッケージのCGをみて興奮しないなら、絶対に手を出すべきではないともいえるけれども。 |
ぱちもそ 創美研究所 |
最近は「○○えもん」がはやりなのかはわからないが、パロディものが少々でている。考えてみれば、いくら人気があったといっても、「エヴァ○ゲリオン」や「セーラー○ーン」を見ていない満18歳以上の人はいるだろうが、ことに「○○えもん」を見ていない人はいないといってもいいぐらいである。海外でブラックジョークのネタにされることが多いのはなんといっても有名人であるが、それは、皆が知っているということに他ならない。生きている間に「○○えもん」と関わらないということはもはや不可能である。よって題材として最も適しているということになろう。 ただこのゲームは下地といえる部分だけを拝借しているだけで、中身は全く違った展開を見せる。当たり前といえば当たり前である。あの世界を単純に18禁の世界に置き換えてみるのは多少の無理がある。構図としてはおもしろいかもしれないが。未来から来たロボットをが出すアイテムを使って、女の子にHしようとするのが中心になるかと思ったけれども、実はそんなシナリオは少ない。色々とアイテムがでてくるけれども直接的に使用するということが少ないのだ。それにタイムパラドックスの説明も一応加えてあるし、未来からなぜやってきたかという事もシナリオによってははっきりする。そういったところはすごく評価できると思う。 ただし、オープニングとその後の主人公の性格が変わりすぎたり、ヒロイン格のキャラの態度の変化が急激である。それぞれのヒロインのエピソードを絡めるために無理が生じているような感じを受ける。それも未来からのロボットのご都合主義が片づけているのかもしれない。それのせいか結構馬鹿な流れ(語尾を好きに変化させてH)もあって、そういうのが好きなのであれば買っても良いと思う。 |
ぶっかけ天使 シルキー&ミルキー Evolution |
エロゲーもだんだんと特殊化してきているというか、ジャンルが詳細になってきている。昔と違って普通にHシーンがあるというだけではユーザー側が満足しなくなってきているということである。で、アダルトビデオほどではないが、様々なジャンルが生まれてくるといえる。痴漢ものも最近よく出るし、鬼畜系はCGを使用するPCのゲームならではともいえる。それでこのゲームは「汁」である。なんせ題名からして「ぶっかけ」といっているから。これは、「汁」と対象にしたゲームと言い切っていいと思う。 主人公は精液の量の多さで彼女もできず日々平凡に過ごしている。そこになぜか天使2人(女)がやってくる。堕天使がこの町の特別な女の子をねらっている。その堕天使を追っかけているということである。そして、天使たちが下界で生きていくのには精液(エナジー)が必要であるというわけだ。ぶっかけをする下地がこうなのである。こんなノリで始まるわけであるから、シナリオなんてものはないに等しい。だいたい、そんなことを目的として作られていない。シナリオはぶっかけのシチュエーションを作るためだけにある。一応天使達や、堕天使に追っかけられるヒロインのエンディングはあるけれどもとってつけたようなものである。裏のパッケージのCGを見て、これなら買ってもいいと思わない限りは買わなくてもいいのではないかと思う。 |
ドリル少女 スパイラル・なみ Evolution |
製作者側が実際にどう考えているかなんて、ユーザーには伝わらないのが現状なのだから、「ドリル」を前に出してきた作品を広告なんかでみたら、これはギャグ路線であると思ってしまうのも無理はないと思う。実際、そう考えて買ったわけであるから。ところが、この作品、普通の育成ものなのである。そのうえ、できは悪い。イベントが起こらない。メインの戦闘に関する数値がいいかげんなので成長させている意味がわいてこない。Hするためにはパーツを買わないといけないのに、育成コマンドにそれがある。くそゲーとはいわないけれども、シミュレーション要素を付け加える必要がまるでない。確かに単純にゲーム性ということだけを考えれば、アドベンチャーというジャンルを取るよりも、シミュレーションというジャンルを選択した方がよいのだろう。特にマルチエンドを採用すれば、選択肢まで意味なくスキップされるメッセージより、数値が顕在化しているために、プレイヤーが積極的に関わることができる点は意味がある。しかしそれも逆に繰り返し作業が長々と続くようになるという面ではデメリットでしかない。 ただ、ゲーム性うんぬんはともかく、売れるものを作ろうとしているのはわかる。あらゆるコスチュームを用意して、エンディングも用意しているのであるから。そこだけを取り出してプレイできるのであれば、買っても損はしないのかもしれない。 |
Bilieve Forte |
大昔、といってもエロゲーというものにとっての大昔であるが、そのころははっきり言ってシナリオはそんなに重要ではなかった。そういう感じがする。きれいなCGというものが重要だった。今から思えば内容は薄いシナリオばっかりである。それだからこそ、「同級生」がある意味衝撃的だったわけであるから。 というのも、このゲームのシナリオをやってみて、昔をおもわずおもいだすほどのできであったからである。昔の、それも10年前くらいの、いわばドラゴンナイト1とか、DPSの初代とかのレベルの話である。とはいえ昔は限られた内容であるが、うまくまとめていたりしたものである。それに、ユーザー側も、それほど気にしていなかった。少し面白い話にHシーンが付いているというところで満足していた気がする。ところが、今はシナリオを重視するようになってきている。いかに面白いシナリオかというところに注目が集まっている。「To Heart」や「Kanon」などのヒットのためとも言える。(私見ではあるが、これらのゲームも、本当にシナリオが良いというゲームではない。別の因子がヒットの原因であると考えている)。 このゲームをとってみると、はっきり言って、ろくなシナリオが付いていない。下手に悲劇ぶっているだけに始末におけない。まず、最初に状況説明がなさすぎる。ネタばれになるが、鬼の力の説明がまず不十分。それに主人公を取り巻く人々がどういう人間かも書き切れていない。15年前にガキの口約束の婚約を信じていたり、あって二日ぐらいで主人公を好きになるキャラがいたりと、シナリオのブラックボックスのなかでのご都合主義が多すぎる。妹が出てくるけれども、Hする時になって、実は血がつながっていないというのはもうやめにしていただきたい。だいたい、ずっと探偵として駅前で張っていて、妹を今の今になるまで見つけられないのがおかしい。実際ゲーム上では毎日学園に駅前を通って通学しているようであるから。最後のシナリオがさらに恥ずかしいシナリオである。殺された人はどうでもいいのか。悲劇ぶっているのでよけいにつまらない物に見える。個人的には人の死を扱ってシナリオを盛り上げるゲームは嫌いである。死は意外と身近にあり、考えるほどには近くにないからだ。死を感動的に書く、それは死の一面を取り出して、強調しているだけにすぎない。結局そこで出てくるのは死の形骸化であるから。自分の都合で人をばんばん殺してそれを悲劇的に味付けしているのはいただけない。とまあ、書き出すときりがない。ただ、メッセージスキップの機能が付いているので、これを使いながらCGをみて終わりにするというのが正しいプレイのような気がする。 |
SeeIn 青 AliceSoft |
アリスソフトにいえることは、ゲームの作り方が上手だということだ。つまらないキャラ設定やCGで勝負するのではなくゲーム自体の魅力で勝負できる作品を作り出す。この作品もアリスソフト久々のアドベンチャーだけれども、普通の選択肢だけで終わるものにせず、作品の世界観に何とかプレイヤーを引きずりこむという作りをとっている。一例としてあげると導入部とかの描きかたがきちんとしている。だから説明的なセリフがあざとくない。実際ゲームの世界は異世界なのだから、少しでも変わった世界観を描く限り、説明はあったほうがいい。いまではいきなりアンドロイドが出てこようが、ネコ耳メイドがでてこようが、ユーザー側が簡単に受け入れてしまう面があるが、やはりそれは通常世界にのっとっていればおかしいものである。フィクションだから何してもいいというのは逆にプレイヤーに対して失礼な話であろう。その上きちんと物語の構成がねられている。きっちり「起承転結」があるのだ。そのため、アリスのゲームははずれが少ない。長年ゲームを作りつづけてきた強みではないだろうか。 ただし、作りが上手ということと、面白いということは別なのである。その設定などの背景がきついのか、どうも食い足りない作品なのである。ゆうなれば細かくまとまっているだけの作品に見える。日にちに応じて、物語が進んでいくだけのゲームに見える。主人公の設定が優等生過ぎるのかもしれない。そのためか、二流の小説を読んだ後の読後の感覚が付きまとう。面白いけれども、何も残らないというやつである。その面白さも、2,3日すれば忘れてしまう。書き足りないというよりも書きすぎているのかもしれない。その割にはHシーンはてを抜いている。凌辱シーンを見る、見ないの設定をユーザーに任しているのは画期的だけれども、そのシーンがはっきり言って付け足しみたいな出来である。どうでもいいのなら最初から入れなければよい。中途半端は消化不良を起こすからである。とはいえこのレベルでゲームを作ることができるメーカーが今、何社あるのだろうか。そう考えると一定以上の評価をしてもいいのかもしれない。 |
淫内感染〜午前3時の手術室〜 ZyX |
最近このシリーズが売れているのかわからないけれども、個人的な意見として、「淫内感染」シリーズはおもしろい。それも本筋のアドベンチャーの方ではなくて、アクションなどででた場合はおもしろい。キャラの使い回しといえばそうであるが、このシリーズに出てくるキャラクターがそんなに人気があるとは思わないのでかまわない。新しい設定を作るのが面倒くさいからこうして作っているという感じである。今回はアドベンチャーパートで病名を割り出し、その手術をパズル風にしている。時間の制限があるから結構難しい。時間が迫って患者の脈拍数が落ちてくると、結構ハラハラするものである。 欠点といえば病名は最初から決められているため、一度割り出せば難易度が変わっても、一緒であるということ。エロがおまけというかご褒美だからあるいみ面白いので、簡単ならすぐに飽きてしまう。あと、そろそろ主人公が看護婦などに悪戯する展開に飽きがきているということである。パターンが同じなのでそれが面白い人にはいいがさすがに飽きてくる。あと、鬱陶しいアニメーションがついていること。今回はまだスキップしやすくはなっている。 結局楽しめるかどうかはその人による。ゲーム自体が面白くないと意味がないとは思うが、お涙ちょうだいのいやらしいシナリオだって、それを欲している人には有効だし、エロシーンさえあればいい人たちだっている。エロだけでなく、パズルも含めて楽しみたいという人は、かってもいいのではないかと思う。 |
俺の巫女さん エヴォリューション |
世の中には巫女が好きな人がどれくらいいるか知らないけれども、それだけでゲームが作れるのだから、商売になるぐらいはいるのだろう。ただ、AVでは見かけないから、もっぱらゲームの側に偏っている嗜好であることは間違いない。ただ、やはりそこで問題なのは巫女服に反応するか、巫女という設定に反応するかと言うことになるのではなかろうか。 このゲームで考えてみると、完全に巫女ですといえるキャラは一人しかいない。なんせ主人公は着ている服を変化させる能力があるのだ。それで別に誰でも巫女服を着せることができるということになっている。主人公はこの能力を使って、自分だけの巫女を見つけるという目的を果たそうとする。つまり巫女服を着てくれる女の子と出会う単純な恋愛アドベンチャーである。そう考えると、先ほど挙げた例でいうと、この主人公は前者のほうではないか。要するに服に欲情するといえる。つまりは職業そのものに欲情するのではなく服に欲情の元があることになる。考えてみれば相手にとっては失礼な話であるが、ゲームならではの言いくるめとでもいうか、恋愛ものに特有のご都合主義といおうか、そんなところをリアルに書いてもおもしろくないのか、ほとんど無視されている。若干シナリオには結びついているけれども。 あと、恋愛ものにしてはすごくシナリオが淡泊である。あっという間に終わる。一部難しいシナリオがあるとはいえ、かなり食い足りない部分がある。シナリオも流れで平気にHするし。考えてみれば、あの鬱陶しかった「少女サーカス」の鬱陶しいシミュレーション部分をのぞけばこういうことになるということである。だから、深みなんてないのである。巫女が好きとか、巫女服だけでご飯が何杯でも食べることができる、なんていう人以外は対しておもしろくないと思う。 |
全自動最終処理人形クルルちゃん A2 |
むかしの子供たちの楽しみとして紙芝居があった。紙芝居のおじさんは空き地に集まっている子供らにおもしろおかしく声音をつくりながら、一枚ずつ絵をみせては、みなを語りの世界にひきこんだ。当時の人々は貧しいと同時に豊かだった。確かにそういう時代があった。 時が流れて、TVが行き渡り、ものは産まれると同時に消費され尽くした。インターネットで情報が瞬時にやりとりできるようになった二十世紀も末、かつての紙芝居の形式をとりいれたゲーム「全自動処理人形クルルちゃん」が、喪われた少年時代をよみがえらせ、プレイヤーたちの心を揺さぶることとなる。・・・んなわけあるかいゴルァ! というわけでちょっと珍しい紙芝居形式のゲームである。作者(本業は漫画家らしい)が無声映画の弁士よろしく、話をすすめていくからだ。まず語り(ナレーション)ありきで、CGは紙芝居のようにスライドしながら出てくる。ここまでされたらシステムがヘボいと言わず、あの紙芝居のおじさんが思いだされてもおかしくないだろう。だからこれをノヴェルとよぶには無理がある。 ストーリは単純である。近未来メガロポリス・オオエドの発明家、白髪源成博士はマペットとよばれる自動人形をつくりだした。はやい話、性処理ロボット。そこに主人公役の若者と、ヒロイン役の少女が奉公にやってくる。かれらとマペットの生活をコミカルにしたてあげている、といえば大体予想がつくのではないだろうか。 しかしたやすく予想がつくと困ってしまう。エロを元にしたドタバタ・ストーリーをこえるものはない。主人公が色気を出して女の子にちょっかいかけると、マペットが阻止して、さいごにはギャフンといわされる。その連続にすぎない。すべて笑いがエロな部分へと、当然のように帰着してしまっている。これは語り手がいることからあるていど推察できることだけれども、それにしてもひどい。 また、どうやら作者は分岐をつくればそれで恰好がつくものだ、と勘違いをしているらしい。分岐と言っても、一般的なアドベンチャー・ゲームの選択とは性格が異なっている。ふつう主人公といえば、プレイヤーが感情移入しやすいようになっていて、その間にはつながりがある。けれどもこの主人公は、あくまで「お話」のなかの主人公役といったもので、プレイヤーとの親近感が欠落している。つまり、分岐は、単にこのあとのストーリーがどうなるかだけのモノで、われわれがアドベンチャーで行うような、能動的にえらぶ類のものではないのだ。アドベンチャー・ゲームはしかるべき理由があって分岐をもうけている。一方で、ノヴェルに分岐があるのはいかがなものか。しかも内容はどれも同じようなエロコメときている。 たとえばメーカーの労力削減で、コンテンツの少なさをカバーするために、分岐をふやして内容が水増しされることがある(接ぎ木と言う)。水増しは、プレイ時間の短さをまぎらわせる役割も果たす。プレイヤーに回り道をさせる、いわば時間稼ぎである。(ちなみにアドベンチャー・ゲーム隆盛の一因はここにある。)実際、「クルルちゃん」では、選択肢をたがえても、後で話が重複する箇所がある。たとえば、これがもしふつうのアドベンチャー・ゲームだったら、選択肢は直接プレイヤーの意志や話の展開と関係してくるので、分岐によって生じる多少の水増し(内容重複)は許容できる。が、プレイヤーおいてけぼりの紙芝居風ノヴェルではそうもいかない。分岐を増やすのは無意味なことだし、適当につくったと陰口をたたかれてもしかたがないのではなかろうか。それならば、漫画家として一本道のストーリーで堂々と勝負するほうが、いさぎよい態度とは言えないだろうか。 よい評価はできないが、むしろ、作者が一昔前のアニメや特撮ネタをまじえながら、語り手として話をもりあげようと奮闘する姿が泣ける。わざわざ紙芝居形式にしたこと、そして語りに一昔まえのアニメネタ・特撮ネタをまぜたことは、設定にあわせて古ぼけた雰囲気をだすためだったのかもしれない。だとしても、あたらしいものが瞬間的に消費される時代にあって、今更そんな手法が一片の感興も懐古の念も与えようはずがない。いわんや消費をや。 紙芝居屋さんが子供たちの娯楽である時代は終わった。だいいち、紙芝居はおおぜいで、がやがや見るのがたのしいのだ。せいぜいコミケで客寄せ用のディスプレイ・サービスになるていどのゲームを、わざわざ数千円も払ってひとりさびしくパソコンに向かって観たいと誰がおもうだろう。しかしそれは天声人語風に言えば、貧しさと豊かさを失ったからなのだが。 |
いただきじゃんがりあん すたじおみりす |
脱衣麻雀の面白さは難易度と脱衣の量の兼ね合いである。つまり、金銭を賭けて行われるようなゲーム性の高いものを題材にしているのであるから、勝ったときの脱衣は完全にその勝利への褒美ということになるのである。勝負というものに対する興奮なら、実際に打つことにかなわないのだから、脱衣麻雀の面白さは、必然的に脱衣というものに寄りかかってくることになる。それも、暇つぶしなどでゲームセンターでやる脱衣麻雀ではなく、高いものでは10000円近くするゲームを購入するのであるからよけいではなかろうか。こういう書き出しをするのには訳がある。ようするにこのゲームはそのバランスがとれていないのである。 実家のファミレスの経営がピンチなので、ヘッドハンティングにでる主人公とその妹。そこで麻雀で勝ったら引き抜くことができるという設定である。一応、なぜ脱ぐとかそういうところはクリアしている。しかし、前文に書いたように、そこらあたりのバランスがいまいちよろしくない。何となくテンパイになってくれない。それ以上にあがれない。別にこっちが初心者というわけではない。それならそれでコンピューターがあがりそうなものだけれども、それもない。どちらもあがらずに17本場までいって、そこで止めてしまった。さすがに何回もそういうことはなかったが。いかさまでコンピューターの打ち方を見ているとひどいものであった。あがらないのも当然だ。 あと、脱衣シーンは実はなく、勝負がすんでから一度にHシーンがやってくる。だからよけいに疲れる。なんか達成感が少ないのである。さらに変に登場キャラクターが狙っている。幼なじみや妹(ゲーム最後で義理とわかる)というお約束キャラや、なぜか一人主題歌つき(歌は5秒と聞くことができない酷いもの)のコスプレ女とか、麻雀で駄目だったところを何とかしようとしているように映る。おまけにマルチエンディングなので、違うエンディングを見るにはほぼ最初からやり直さなくてはいけない。時間がとにかくかかるゲームである。 確かに脱衣麻雀はすぐ終わるものが多いし、難しくしすぎると、初心者ではできなくなるということもある。ただ、やはりバランスは大切である。脱衣麻雀で脱衣や麻雀が駄目だと感じたらそこで終わりである。唯一の救いはアドベンチャーパートのギャグは元ネタがわかると結構おもしろかったことだけである。これも、わかりにくいだろうので、救いにならないのかもしれない。 |