911のセレモニー


9月11日には会社でも911の追悼セレモニーが開かれました。ニューヨークから遠く離れたアトランタで、なぜ仕事を2時間も中断してセレモニーをやらなければならないのか、私には納得出来ませんでしたが、おそらくアメリカ中で同じようなことをやっていたと思います。このセレモニーの前日には、ブッシュ大統領のコメントと一緒に、アメリカ国旗のバッジも配られたので、私もそのバッジを付けてセレモニーに参加しました。

セレモニーでは、牧師さんが追悼の言葉を述べたり、アメリカの国旗を半旗にしたりしましたが、アメリカの国歌を演奏するだけでなく、昨年の9月11日以降、頻繁に聞くようになったアメリカを称える歌なども演奏され、案の定「アメリカは正しい、アメリカ万歳!」の内容でした。私が嫌いな過剰なナショナリズムです。

テロで犠牲になった人達や遺族の方達に対しては、本当に気の毒に思います。でもだからと言って、その後アメリカの軍隊が行った軍事行動を肯定する気にはなりません。テロで犠牲になった人達を追悼する一方で、私はどうしても紛争の犠牲になったアフガニスタンの人達を思わずにはいられませんでした。私を含めて回りのアメリカ人達も、別に食べ物にも困らずに生活しています。アフガニスタン人達に比べたら、あまりにも恵まれ過ぎています。基本的にこの「恵まれ過ぎている」状況が、世界中の人達の反感を買う要因でもあります。その恵まれている国が、その豊かな財力をベースに軍備を充実させ、他の国に出掛けてそこにいる人々を殺していては、絶対に問題は解決しません。

戦争をこの世から無くす方法を考えたら、おそらく100個くらいノーベル賞をもらえると思います。そのくらい難しい問題です。たとえ世界を1つの国にしても、戦争は無くならないでしょう。国家間の戦争は無くなっても、民族間の紛争が無くならないためです。そこで、戦争を無くすには、教育のやり方を変えるのはどうだろうかと考えてみました。卓上の空論でしかないのは判っていますが、それについてちょっと書いてみます。

現在、教育はたいていの国で政府が管轄しています。それはどこの政府でも、自分達の国民を自分達に都合が良いように教育するためです。もし世界中の人たちが同じ教科書を使ったらどうなるだろと考えたりしています。世界中の子供達が同じ知識を同じ方法で学ぶとしたら? 世界中の文化の差が少なくなり、面白さがなくなるというデメリットはありますが、世界中の人達が共有する物が増えれば、それだけお互いの理解が促進されると思います。

もちろん同じ教科書と言っても、違う言語で書かれていると、その内容が言語によって若干変わってしまいます。そのため、教科書は1つの言語で書かれる必要があります。それはつまり世界中の人達が共通して使える言語を持つということにもなります。教科書なら子供の頃から使用するので、たとえそれが書かれている言語が母国語でなくても、比較的容易に習得可能だと思います。ただし、その世界共通言語を単純に英語に決めてしまうべきかどうかは判りません。個人的には、もっと発音が簡単で、文法がスッキリした言語を選択すべきだと思います。まあ、世界中で同じ教科書を使ったとしても、宗教がでしゃばってくると、あまり効果は期待できないかも知れません。私は無宗教なので、どうしても宗教を軽視しがちです。それでも宗教の存在と必要性は認めていますが。ただし、人の命を粗末にしたり、人を不幸にするような宗教は要りません。

宇宙から見たら、地球は1つの惑星で、資源だって限られています。そんな狭い所で人と人が殺し合う無益な戦争は、もう止めるべきだと思います。


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