私はオリンピックの人気というのは、基本的にナショナリズムに基づいていると思います。オリンピックを人類の運動能力の限界を競い合う場という見方も出来ますが、それなら各種目ごとに開催されるワールドカップでもその役割を十分果たせます。多くのオリンピックの観客にとって、自分たちの国の選手がどのくらい活躍するかが注目の的で、活躍してくれるのなら、選手は誰でもいいのではないかとも思えます。もしオリンピックに出場する選手達が、個人の名前だけをユニフォームに付けて、出身国については一切知らせないことにしたら、いったいどのくらいの人がオリンピックを見るのか疑問です。
私はナショナリズムを煽るというのは好きではありません。極端な言い方になりますが、過去に行われた戦争は過度なナショナリズムによるものが多かったと思います。(民族主義が原因だったものはもっと多かったと思いますが) オリンピックを一つのスポーツ・イベント以上の存在として重要視する態度は、主に社会主義国で行われてきた非人道的なスポーツ選手のエリート教育を助長するだけのような気がします。基本的に運動能力というのは国籍の違いよりも個人差の方が大きく、国同士で争うことは無意味だと私は思います。
一方、経済・軍事・テクノロジーなどで、自分たちは世界一の国だと信じている人が多いアメリカでは、オリンピックをそれほど重要視していないというのも理解できます。また、アメリカの選手が獲得する金メダルの数はとても多いので、日本に比べて金メダル1個の価値が低いとも言えます。
いずれにしろ、多くのアメリカ人にとって、最大のスポーツイベントはオリンピックではなく、プロ・アメリカン・フットボールの全米一を決めるスーパー・ボールであることは間違いありません。過去のテレビの視聴率がそれを裏付けています。