Attitude - December, 1999号

No Matter What



彼らは全ての女の子の夢であり、また彼女たちの母親の夢でもあった。突然、その中の一人がカミング・アウトした。そして何も変わらなかった。ボーイゾーンの一番かわいいメンバーが空港に向かう車のバックシートでAttitude (イギリスのゲイ雑誌)のMatthew Toddに語った。


1994年、5人のティーンエージャーが古いオズモンズのカバー曲と共にアイルランドから登場したとき、彼らが何曲かチャートを騒がせ、やがてボーイズバンドの墓に埋められる多くのTake Thatの後釜狙いの1つにすぎないと書かれたことは別に驚くべきことではない。元気でさわやかな顔、かわいい踊りそして当り障りのないポップが新たな領域を開拓することはない。しかしながら5年経ち、1500万枚のレコード売上を記録した現在、ボーイゾーンは国民的グループに他ならなかった。
もはやボーイではないボーイズバンドである彼らは、計画的に成長し、健全で、成長が楽しみなエンターテイナー、そして理想的な家族というイメージを打ち出していた。1998年、ハスキーボイスで歌いテレビ番組の司会者もこなすローナン(訳注:ボーイゾーンのもう一人のメインボーカル)が結婚し、子供をもうけたことによって、ボーイゾーンの3人目のパパとなった。他のバンドがアルコールやドラッグに溺れていくなかで、ボーイゾーンはスキャンダルとは無縁だった。小さなスティーブン・ゲイトリーでさえ、なぜか唯一残ったシングルであったが、ディズニー映画「ヘラクレス」の主題歌を歌い、世界最大の家族向け企業の一つであるディズニーの広告塔となっていた。
そして全ては突然起こった。今年の6月の初め、タブロイド紙にスティーブン・ゲイトリーのセクシュアリティーに関する真実を売る、といって近づいた者がいた。狂わんばかりのミーティングが重ねられ、スティーブンがサン紙の独占インタビューにおいて彼の真実を語るという結論が下された。1999年6月16日、「僕はゲイで僕は恋している」というヘッドラインが一面を飾り国中が息を呑んだ。彼に有罪判決が下され、協会の指導者たちは路上でボーイゾーンのレコードを焼き払うのだろうか?それともジョージ・マイケルの「それがどうしたんだよ」的な態度に慣らされた大衆はただそれを受け止め、何人かのティーンエージャーが涙を飲むだけで何事もなく終るのだろうか?
そして、最も楽観的なゲイのコメンテーター達でさえショックを受けたに違いほど、その反応は凄まじかった。非難する代わりに、若いファンたちは電話に走り、サポートのメッセージを伝えた。翌日のサン紙には8歳の子供のコメントまで掲載された。彼女は両親から「ゲイ」の意味を説明してもらわなければならなかったが、それでもスティーブンが好きだった。そう、これが11年前には同性愛者たちを若者の堕落、病気の媒介と書きたてたサン紙であった。
カミング・アウトの2週間前に発売された彼らのベスト・アルバム、By Requestはその前の週には2位から9位までのアルバムの売上を合わせたものを上回る売上を記録していたが、この間も チャートのトップにまさに不動の状態であった。カミング・アウトがレコード売上に影響する、という定説にも終止符が打たれた。
3週間後、ボーイゾーンはカミング・アウト後初めて公の場に姿を見せた。ロンドンのハイドパークで行われたパーティ・イン・ザ・パークに登場したスティーブンはその日、一番の歓声を浴びていた。父親たちは愛情を込めて口笛を鳴らし、母親とその子供たちは彼の誠実さを称える歓声を送った。一方、ティーン向け雑誌は彼への賞賛で埋め尽くされた。スマッシュ・ヒッツはカミング・アウト後初のインタビューを掲載し、彼のセクシュアリティー、そしてEloyとの関係について、どんなにこの二人の青年が愛し合ってるかに触れながらオープンに語った。革命的なことである。
今日、カミング・アウト後初の大人向けのインタビューを終えたスティーブンは、我々とのインタビューが終わり次第、ボーイフレンドの待つオランダへ帰っていく。彼は今でも愛すべき家族の一員というイメージで見られたがっており、話していてもガードが固く、あまり自分を曝け出すというようなことはしない。そして自分のファンが受け入れられないと思われるような事は口にしなかった。彼の発売予定のシングルは際どい政治的な発言になることはないが、Bright Eyes(テレビアニメシリーズのリメイク版、Watership Downの主題歌)はヒットするであろう。
そしてこれらがまさに彼のカミング・アウトをより一層重要なものとするのである。そのイメージと知名度の点において、ゲイトリーは、その子供のような単純さによって、Queer As Folk、ジョージ・マイケルそしてクリス・スミスの対極にある。彼らはみな同じようにポジティブでありながら、誰一人として、広い意味でもっとも重要な者たち、子供に到達することは出来なかった。8歳の子供たちがいまやゲイの意味を分かっているのである。子供たちにセクシュアリティに関係なく、誰もが異性を愛するわけではない、という考えがもたらされたのである。そしてそれは大した事ではなく、悪い事でもなく、邪悪なことでもなく、ましてや人と違うことでもないのである。来年にはセクション28(訳注:イギリスの学校における同性愛の教えを禁じる法律)が恐らく取り除かれようとしている今、皮肉にもスティーブンと圧倒的にポジティブなメディアの反応は既にその法律の存在を無意味なものとしてしまっていた。

−カミング・アウトによってどのように人生が変わった?
肩から大きな荷が降りたよ。もう自分が誰かを隠す必要も、Eloyを隠す必要もないんだもん、よりリラックスしてるし、それが自分自身の中でもより一層幸せに感じさせるんだ。多くの人にもそれを言われたよ。もちろんEloyだって人気バンド[皮肉にもCaught In The Act(訳注:「見つかっちゃった」というような意味)という名前のバンド]にいたから、彼も同時にカミング・アウトして、彼にとっても大変なことだったんだ。

−じゃあ彼は君のファンからひっかかれたりした?
(笑う)そんなことないよ。ファンはみんなすごくサポートしてくれたよ。ボーイゾーンファンはEloyにも写真とかサインを頼むし、彼のファンもみんな僕に同じだよ。僕たち二人にとってもスッゴクいい時だったよ。

−Eloyと付き合ってどれくらいになる?
(顔を輝かせる)大体13ヶ月くらいかな。彼がいてくれたから色んな事が耐えられたよ。彼はスッゴイいいヤツなんだよ。彼の心はゴールドで出来てるんだ。僕が知ってる中でも一番素晴らしい人だよ。それに彼はドキッとするくらいかっこいいんだよね。彼が6フィート3インチ(約190cm)で僕が5フィート7インチ(約170cm)なんだけど、ほんとにうまく行ってるし、二人でいっつも笑ってるよ。実際は知り合って4年半になるんだけどね。

−最初はどうやって出会ったの?
仕事でね。彼はドイツで人気で、僕がバンドと一緒にプロモーションしてる時さ。彼は僕のことを何も知らなくて、僕も彼のことを何も知らなかった。ただ、すっごくいい人だなって思ったんだ。で、その後半年に一回とかそれくらいでお互い顔を合わせて、すごく仲良くなったんだ。

−どうやって彼がゲイだって分かったの?また彼のほうも
(赤くなる)なんとなく分かってたんだよ。僕は一度だって「そうか、君はゲイなんだ。それで?」なんて言ったことないもん。フィーリングだよ。(微笑む)

−今は一緒に住んでるんでしょう?
(頷く)僕たちはオランダに家を持ってるんだ。彼が出身のアムステルダムのちょっと郊外にね。それから僕がこっちで働いているときのためにアイルランドにも家があるんだ。

−一緒にいるときにはどうやって過ごしてるの?
僕たちはクラブとかには行かないんだ。僕はクラブが大嫌いで、踊りになんて行かないんだよね。だから映画に行ったり、家でビデオを見てたりすることが多いね。ちょうど昨日の夜も、家でワインを飲みながら「パッチ・アダムス」を見てたんだ。それから、ジョーイって名前のシーズーの子犬がいるんだけど、二人で犬の散歩をしたり、普通の毎日のことをしてるよ。僕らはあまり出かけて夜中2時とか3時に戻ってくるってことには興味がないし、どっちかというと僕は早めに食事に出かけて、一杯ワインを飲んで家に帰ってくる方が好きなんだ。僕はあんまり90年代の人間じゃないかな、こういうことに関してはどっちかというと古いタイプの人間だけど、でもそれが僕で、僕は楽しんでるよ。それにこのライフスタイルはすごく忙しいからね。常にインタビューをしたり、飛行機であっちこっち行ったり、リハーサルしてたり。明日は一日休みなんだけど、多分起きたらトラックスーツとコートを着て、ビーチまでドライブして、ジョーイを散歩させてランチを食べるよ。ちょっとしたステキなことをするんだ。僕らは二人で一緒にいられる時間は大事にするんだ。仕事じゃない限り、僕たちはどこへ行こうと離れないよ。僕たちは一緒にいてホントにホントに幸せだし、素晴らしいよ。僕が常に求めていた全てなんだから。

−まるで結婚したカップルみたいだね。
(考える)えーっと、うん。普通のカップルだよ。

−一生のものだと考えてる?
そう願うよ。そうであって欲しいね。

−エンターテイメント業界ではゲイでいるのは難しいって聞くけど、君に関してはどうだったの?
僕が最初にボーイゾーンに入ったときのことを覚えてるよ。僕は自分がゲイだって分かってたけど、でも「あのね、僕はゲイなんだよ」って言うつもりはなかった。だってチャンスを逃したくなかったからね。

−もしそうしてたらどうなってたと思う?
その時は他のメンバーのことを知らなかったからね。彼らがどういう反応をするかって分からなかったし、彼らは僕をやめさせることだって出来た。でも今は違うって分かってるけど。

−バンドやマネージャー、また回りの人にカミング・アウトするのにどれくらいかかった?大変だったと思うけど。
そんなことはなかったよ。メンバーはずっと知ってたし、いつだってその事に関してクールだったよ。彼らは僕が毎日どんなに大変だったか知ってたから、「よくやってるよ。」って思ってたし。彼らもガールフレンドがいたり、結婚したりしたからある意味理解してくれてたし。

−理解って何を?ファンから隠れて関係を持たなくちゃいけないプレッシャー?
ううん、みんなはそんな事してないよ。僕らは隠さなくちゃいけなかったことはないんだ。僕の場合は、僕がそうすることを選んだんであって、他の皆は一度だって隠したりはしなかったよ。僕たちはボーイズバンドの境界線をいっぱい越えてきたよ。僕らのうち3人は子供がいるし、結婚してるのもいるし。こういうことって普通はあんまり起こらないことだよ。僕たちは多くのそういった決まりを崩してきた。お酒もダメ、タバコもダメっていったことをね。まぁ、そういった厳しいルールは僕らの場合無意味だったと思うけどね。

−それじゃどうやって他のメンバーにカミング・アウトしたの?
ただ座って、「ねぇ、みんな。言わなくちゃいけないことがあるんだ。」って感じだったよ。みんなすっごくクールだったね。

−それはいつの事?
ずいぶん最初の段階。大体ボーイゾーンに入って2〜3ヶ月後くらいかなぁ。

−彼らは心配した?彼らはそれがバンドの将来にダメージになるって思った?
ううん、全然。彼らはホントにクールだったんだから。僕らはほんとに素晴らしくうまく行ってたんだ。みんなは「信じられない。それだけ長くいてまだ一緒に笑ったり、ジョークを言ったり、お互いにガマンできるの」って言うけど、でも僕らはほんとに大丈夫なんだよ。まるで兄弟みたいな感じだよ。

−でも君達はみんな、成功して有名になりたいからボーイゾーンにいたわけでしょう。マネージャーとか周りの人たちから誰にも気付かれないようにしろっていうプレッシャーはあったと思うんだけど?
いや、みんな僕のしたいようにさせてくれたよ。実際メンバーはもっと早くカミング・アウトするように僕に言ってたし。いっつもみんな「あのな、ぜったいそのうちした方がいいと思うんだけど」って言ってて、僕は「ノー、まだその準備は出来てないよ。ホントにまだだって。」って感じだったんだ。みんなはぜったいもっとリラックスできるからって、「家族もファンも友達もいるし、それに僕らがいる。僕らはいつだって君の側にいるのに他に何が必要なんだ?」って。僕は状況がどっちに転ぶか、受け入れられるのか、まったくみんなから拒絶されるのか分からなかったから、すごくナーバスだったよ。

−君のセクシュアリティは公然の秘密だったって色々言われたけど、いつでもマスコミがこのことを発表できるっていうのはどういう感じだった?
この2〜3年はホントに大変だったよ。毎晩ベッドで「クソッ、明日の新聞には何が載ってる?僕の話かもしれない?」って考えるのはツラかったね。雑誌はいつでも僕が身を固めることを聞いてきたし、僕は「相応しい人が現れて恋に落ちたらね。」って言わなくちゃいけなかったんだ。「相応しい女の子」とは決して言わなかったよ、あからさまな嘘はつきたくなかったからね。できるだけ正直でいようとはしてたよ。他のメンバーみんなにガールフレンドがいるようになってからはすごいプレッシャーだったよ。みんな「君だけが残ったけど、どうして?」って言うからね。

−1997年の10月にAttitudeのインタビューに答えてるんだよね。。。
うん。それに僕らはスタートしたときから毎年G.A.Y.(訳注:ロンドン最大のゲイクラブ)でパフォーマンスもしてるしね。ホントにG.A.Y.では笑うし、僕たちみんな楽しむよ。Attitudeに関しては、ローナンが表紙を飾って本当にうらやましかったのを覚えてるよ。

−ごめんね。
別にいいけどさぁ。(笑う)僕はインタビューを受けるのは好きなんだけど、同時に特定の質問をされるのが怖かったんだ。ゲイと思われるオーディエンスが沢山いたのをいまだに覚えてるよ。彼らを忘れないってことが大切で、僕は出来るだけ正直に答えようとしたよ。

−インタビューの中で、今までに男の子を好きになったことがある?って聞いてるんだよね。君は「尊敬する人たちはいるよ、憧れるっていうか。。この業界の中に。でも好き。。。?かっこいいな、って思う人たちはいるとしても、それって違うことでしょう。ブラッド・ピットとかトム・クルーズみたいな俳優や、デミー・ムーアやメグ・ラインアンみたいな女優はみんな美しいルックスだと思うし。」って答えてるんだよね。今振り返ってみて、どう思う?
その質問は覚えてるよ。だって僕だけが聞かれたんだもん。インタビューが終って、みんなのところに行って「君達も聞かれた?」って聞いて、「聞かれない?僕だけ?Oh Shit!(激しく笑う)バレてる!バレてる!」って。僕は出来るだけ、言わないけど、一番いい方法で答えをしようとしたよ。

−で、君はブラッド・ピットやトム・クルーズが好きなの?
二人ともかっこいいけど(ちょっと険しい顔になる)、でも別に好きじゃないよ。

−多くの有名人がこの10年間でカミング・アウトしてきたけど、例えばマイケル・バリモア(イギリスのTV司会者)がカミング・アウトして新聞の一面を飾り、暫くはみんながその事を話してるって時は、君はどう思った?
本当に、本当に怖かったよ。でも気にしないようにしてた。ただこの業界にいて、ゲイで嵌められたって感じてる人は気の毒だと思うよ。とにかく本当にすごく気に病むことだし、みんなが僕みたいなわけには行かないからね。

−初めてカミング・アウトしなくちゃいけないって実感したのはいつ?
オランダにいるときで、事務所の人から「マスコミに話を売ろうとしてる人がいる」って電話をもらったんだ。僕は座って考えたよ。で、誰かが僕の話を売ってお金をもらうなんてヤだし、ファンに自分の口から伝えた方がいいって決めたんだ。もうそうする時だって思ったんだ。

−そのカラクリについては色々な憶測が飛んだよね。君は強要されたんだじゃないかって。。。
知ってる。でも結局は僕は誰からも強要されてないよ。僕が自分で決めたんだ。このことはいつ公表されてもおかしくなかったし、人は何でも言いたいことを言える。でも僕はみんなに僕の口から聞いて欲しかったんだ。最終的には全てが僕が望んだとおりに進んだし。僕は誰からも強要はされてないよ。

−まったく強要されてないの?
まったくね。サン紙は素晴らしかったよ。本当に僕を助けてくれたよ。実際全ての新聞がそうだったけど。僕らはとっても若いファンもいるし、新聞はあらゆるファンの層に対して思いやりのある書き方をしてくれたよ。

−プレッシャーが大き過ぎた瞬間っていうのはあった?
カミング・アウトするって決めた瞬間、突然泣きたくなったのを覚えてるよ。怖かったんだよね。でも、それから考えたんだ。「ここで泣き崩れることも出来るけど、立ち向かって強くなることもできる」って。で、僕はそうしたんだ。これは僕の1度きりの人生なんだ。明日にはバスに轢かれてるかもしれない。自分の人生を生きていかなくちゃいけないし、ベストを尽くさなくちゃいけないって。

−多くの人にとってカミング・アウトは難しい事だよ。。
医者だろうが、看護婦だろうが、学生だろうが、誰であっても難しいことだよ。ホントはそうあるべきじゃないのに。カミング・アウトの前の晩遅く、ホテルのベッドルームに座って僕とEloyはスカイ・ニュースを見てた。「明日の新聞です」って紹介された新聞の4紙の1面を僕は飾ってたんだよ。それって、なんて言うか、、、すごくショックだよね。僕はだたのダブリン出身の普通の若者なのに。どうしてこのことが世界中を駆け巡るの?ニューヨーク・ポスト紙にまで載ったんだよ。(訳注:The Japan Times紙にまで載っていた)戦争だって起こってるし、死にかけてる人たちだっている、悲惨な事が世界中で起きているのに、どうしてそんなことに目を向けて、世の中をよくしようとしないで、そういった事柄に注目するんだろう。人のセクシュアリティよりもっと重要なことがあるのに。

−パーティ・イン・ザ・パークに出たときは怖かった?
怖かったよ。でもステージに上がった途端、素晴らしい反応だったよ。あの時が、全て大丈夫だって思った時だね。歓声は耳をつんざくようで、みんなのサポートが本当にうれしかったよ。

−ジョージ・マイケルが授賞式のスピーチで、「”ゲイ・シンガー”というよりはただのシンガーに見られたい」って言ってたけど、彼の意味することが分かる?
(頷く)僕は普通の生活をしている普通の男で、たまたま好きになった人が同性だっただけで、僕はそれが間違ったことだとは思ってない。僕はフレンドリーだし、多くの人を助けてもきた。チャリティーに色々関わってきたりしてね。それが僕で、僕はそういう風に人から見られたいよね。

−みんなのリアクションがすごくポジティブだったことに驚いた?
あらゆる世代の人たちから手紙をもらったんだ。母親、父親、子供たち、男性からも女性からも。インターネットに寄せられたメッセージをまとめた大きな本ももらったし、いろんな人から電話ももらった。ジョージ・マイケルは事務所に電話をくれたし、エルトン・ジョンとディヴィッドからもお花をもらった。それからリリィ・サーベージ、グラハム・ノートンは手紙をくれたよ。全てがすごく僕にとって重要なことだったんだ。多分、僕のキャリアはそんなに傷ついてないんじゃないかな。。。(少し考える)もしかしたらファンが増えさえしたかも。。。

−ゲイの人たちは手紙に何て書いてた?
「君はほんとにゲイにとって、それから10代の子や大人であってもこれからカミング・アウトしようとしてる人たちに多くのことをしてくれたよ。」って、すごく感動したよ。物議をかもすようなことだったけど、いいこともあったよね。手紙は全部オランダに送ったんだ。毎朝起きると2〜3通に目を通すんだ。全部読むつもりだよ。広報の人が今日また別の箱を持ってきてくれたよ。

−スマッシュ・ヒッツのインタビューを読んだけど、女の子からの手紙で、彼女の友達がゲイであることによってイジメを受けて、自殺したって書いてある手紙をもらったじゃない?どう思った?
本当にショックだよね。そういうイジメは有得るよ。だから自分が信じてることのために闘って、強くならなくちゃいけない。たとえヒドイことをされても、そうしない人が他にたくさんいるんだから。

−学校ではゲイであることによってイジメられた?
ううん。僕は一番小さい子供の一人だったけど、みんなと仲が良かったよ。僕はラッキーだったね。

−ゲイの子供たちのお手本になるのってどういう気分?
(ちょっと考える。どうやらその発言によって書かれうるヘッドラインが頭の中をめぐっているようだ)基本的に僕は僕だから。ただのスティーブン、それだけだし、これからもそうだよ。他の誰にもなりたくないし。ただ僕は幸せになりたいだけで、ただどんな形であっても誰かの助けになれたらそれは素晴らしいよね。誰であっても助けになれれば、ぞくぞくするよ。

−ボーイゾーンに入って1年後に家族にカミング・アウトしたんでしょう?みんなの反応はどうだった?
その時は大変だったよ。最初はショックを受けてたよね。僕も受け入れてもらえないって考えてたくちだよね。成長する過程で、「これは起こりうることの中で最悪のことだ。どうしたらいい?」って考えてたけど、両親はクールだったよ。「愛してるよ。お前は私たちの息子だ」って言ってくれた。多分両親は悪い事ではないって分かったんだと思う。もっと悪い事はあるってね。

−ミレニアムはどうやって迎えるの?
オランダの家で両方の家族とディナーを食べるよ。僕の家族は飛んでくるんだ。Eloyはすごく料理が上手だからね。読むのは僕がやるけど、作るのは彼だ。(考える)それって便利だよね。

−なんか、もう全て手に入れたみたいだよね。
僕はすっごくラッキーで、恵まれてるよ。(間をおく)で、どうする?いい風に書く?表紙のヘッドラインにはなんて書く?

−分からないなぁ。もしかしたら「スティーブン・ゲイトリーなんて大嫌い、彼は全てを持ってる!」にするかも。 (彼は笑うと穏やかな表情を見せた)僕は全てのサポートが本当にうれしかったよ。今は来年が本当に楽しみなんだ。すごく忙しくなるだろうし、出来れば成功もしたいし。みんなが僕のすることを楽しんでくれればいいし、本当の僕をみてくれればいい。それが僕が望む全てだよ。



back