これまでに読んだ中でもっとも感動的なショービズ・インタビューの中で、ボーイゾーンのスターStephen Gately が今日、世界に向かって自分がゲイであることを告白する。
Stephen はソファに深くよりかかり、彼の人生を永遠に変える3文字を口にした。"I am gay" (僕はゲイだよ) 驚くべき成功を手にしたボーイバンドで6年間を過ごし、世界中の女の子にとってピンナップ・スターであるStephenはカミング・アウトするという勇気ある決断をした。 ソフトだが強く確信した口調で彼は言う。「これは今までの人生の中で最もハードなことだけど、でも僕らのファン、そして自分自身に対しても完全に正直になる義務がある。ファンにとって衝撃的なことだってことは分かってるし、多くの子が動揺するかもしれない。ただ自分はゲイであるって告白することが僕にとってどんなに大切なことなのかをみんなが理解してくれることを望むよ。」 Stephenがこの告白をする今現在、ボーイゾーンは「イギリスで最も売れているボーイバンド」のタイトルを手に入れた。 彼は言う。「今が僕が何者かを世界に言うべき時だと思う。ボーイゾーンのツアーはソールド・アウトだし、僕らはCDを何百万枚と売った。でも僕は、本当の自分になれるまで、その成功を楽しむことすら出来ないんだ。」Stephenの言うその「時」というのはまた、彼のバートナーに対する強い想いに負うところが多い。彼のバートナーとはオランダ人のEloy De Jong である。 二人は4年前、ロンドンのショービズ・パーティで知り合ったが、付き合い始めたのは去年の11月である。それまでEloy、26、はオランダのボーイバンド、コート・イン・ディ・アクトの一員だった。グループはヨーロッパと東南アジアのチャートのトップを位置し、世界中で400万枚のアルバム売上を記録した。そして解散し、それぞれがソロ活動を始めている。 Stephenは振り返る。「ギクで僕とEloyは何度も顔を合わせてて、そのうち仲良くなったんだ。でも去年僕らの気持ちは友情以上だってことにお互い気が付いたんだ。最初は見つかるんじゃないかってすごくナーバスになってたけど、でも僕らはこうなるべきだって分かってた。」 しかしながらその関係を秘密に保つ重圧は相当なものであった。Stephenは言う。「常に噂はあったけど、でもごく最近、昔ボーイゾーンと働いていた誰かが僕のプライベートに関する話を売ろうとしているって聞いたんだ。僕は誰かが捻じ曲げた真実を新聞に載せるよりも、ファンに僕とEloyの口から聞いてもらいたかった。大変なことだとは思うけど、でも僕らを最初から支えてくれたファンたちが僕の誠意を尊重してくれることを望むよ。そしてこれがボーイゾーンに何の影響も与えないことを約束する。僕らはこれから先、何年も活動を続けていくから。
Eloyも同意して頷くと言った。「僕はいつだってStephenの側にいるよ。僕らはこれを乗り越えるよ。僕らのファンのサポートがあれば、僕らにとって人生は素晴らしいものになるんだ。」 これまで彼らはその関係を秘密にするためなら何でもしてきた。Stephenは言う。「僕らはいつだって一緒にいたいのに、人に見られないように、一緒に移動したり、レストランやホテルに同時に到着したりすることが出来なかった。僕らのきついスケジュールもあってそのプレッシャーはすごかったよ。でも飛行機や車を二重に予約しなくちゃいけないとき、そのプレッシャーは耐えがたいものになっていったんだ。」 「これまで僕らは決してリラックスすることが出来なかったし、一緒に飲みに出かけたりといったようなシンプルなことを楽しむ事も出来なかった。もしこのインタビューをすることによって、そういった事が出来るようになるのであれば、全ての苦悩は報われるよね。」 他のボーイゾーンのメンバー、Ronan Keating (ローナン・キーティング)、Shane Lynch(シェーン・リンチ)、Keith Duffy (キース・ダフィ)、Mikey Graham(マイキー・グラハム)、そして彼らの妻やガールフレンド達は強い絆で結ばれたそのファミリーにEloyを暖かく迎え入れた。Stephenは言う。「みんな素晴らしかったよ。Eloyはみんなと凄くうまくいってるし。みんなEloyを僕らの家族の一員として直ぐに受け入れてくれてくれたよ」 Stephenはティーンエージャーの頃から自分がゲイであることを知っていた。彼は言う。「学校では女の子とデートしてたけど、でも15歳くらいまでには彼女たちは僕には違うって分かってた。僕はダブリンでも荒れた場所から来てたし、いじめには立ち向かってたから学校ではクラスメイトたちから尊敬されてたよ。もちろん僕が違うって気付いてた子もいたと思うけど、でも誰も口にしなかったよ。」 Stephenの問題は1993年にボーイゾーンのオーディションを受け、合格したときから始まった。彼は振り返る。「僕はゼッタイにポップ・スターになりたかったから、ゲイだって認めることは名声へのチャンスを逃すことだって思ってた。だから最初はバンドやマネージメントの誰にも言わなかったよ。正直言ってみんな疑ってたとは思うけど、でもみんないい人たちだから誰も問題にはしなかったんだ。僕は成功しようと一生懸命だったから僕の本当の気持ちを押し殺すことなんて小さな代償だったよ。その年齢の子だったらみんな同じ事をゼッタイすると思う。僕はうそはつかなかった。ただ完全に正直ではなかっただけだよ。」 やがてボーイゾーンが成功するにつれ、ガールフレンドについて語ることについてStephenが感じるプレッシャーは強くなっていった。何年もの間、特にこの12ヶ月、Stephenはやっかいな質問を巧みに誤魔化すようになっていった。 思い起こして言う。「この6年間本当に一生懸命働いてきたけど、一度だって心底リラックスして僕自身になれたことはなかったよ。僕は決して自分がゲイであることを否定したことはないよ。何度「相応しい人が現れたら落ち着くよ」って言葉を繰り返したか分からない。でもRonanや他のメンバーが家族を持ち始めると、説明するのはより一層難しくなったんだ。」 ボーイゾーンに入って1年後に、Stephenは自分がゲイであることを家族に伝えた。最初にStephenは姉のMichelle、24(訳注:27だったハズ)、に話した。彼女の反応は彼を驚かせた。彼は思い起こす。「彼女は笑って言ったんだ。”Steve、私はずっとそうじゃないかって思ってたのよ”」この勇敢な若者が勇気を振り絞って身内の全員に伝えるにはそれから1年かかった。彼は振り返る。「パパのMartinに切り出したのは地元ダブリンのパブで一杯飲みながらだったよ。言わなくちゃってずっと気を揉んでて、話の途中でいきなり「パパ、ねぇ、僕はゲイなんだ」って言っちゃったんだ。パパが僕を受け入れてくれればママもそうだって分かってたから。 最初パパは黙ってそこに座ってたんだけど、ニッコリ笑って”心配することはない。息子よ。何も恐れる事はないんだよ。私たちはみんなお前を愛してるよ。”って言ってくれたんだ。それ以上ないほどのサポートだよ。」 StephenのママMargaret、そして弟のTony(16)、兄のAlan(24)、そしてMark(28)もまた完全にStephenを受け入れてくれた。彼は言う。「何があっても家族が愛してくれるって分かるのは素晴らしいフィーリングだったよ。」家族に打ち明ける前はとてつもなく孤独だったことをStephenは認める。「次の日の新聞には何が載るんだろうって心配して眠れない夜も多かった。ガールフレンドがいないことで明らかに多くの噂が立ってたからね。ある朝目覚めて、ひどく落ち込んで逃げ出したくなったことを覚えてるよ。全て投げ出して全部忘れようってね。決断しなくちゃいけなかった。泣き崩れるか、あるいは立ち上がって前向きになるか。それが今僕がしてることだよ。このインタビューは僕が今までしたなかで一番前向きなことだよ。」 更に彼は言う。「僕はこの事に関して長い間色々と考えた。でも今は90年代だし、もしかしたら人々は僕を受け入れてくれるほど心が広いかもしれない。僕はゲイで今まで何人かとのロマンスもあったけど、でも今、生まれて初めて、愛する人と付き合ってるんだ。」 解散の噂は常に付きまとっているが、ボーイゾーンは新しいミレニアムも成功し続けていきそうである。それがStephenがカミング・アウトすることを決めたもう一つの理由である。「秘密を抱えながら将来の計画を立てることなんて出来ないよ。そして僕の告白が、10代の子供たちが、たとえそれが何であっても自分が抱える問題に立ち向かう助けになり、僕の両親のように彼らの両親にも理解してもらえることになればいいと思う。」 Stephenはこのインタビューが彼の人生を永遠に変えることを分かっている。そしてファンに対して心の底から訴えかける。「今日は僕の一生の中で一番大切な日だよ。今から全てが変わる。それは分かってるし、とても怖いよ。でも僕は以前と変わらないStephenだよ。歌う歌だって変わらないし。君たちはどんな時だって僕たちを支えてきてくれた。僕はいつだって笑顔を見せてきたし、これからもそうするよ。僕はがんばってきたし、みんなにサインもしてきたし、みんなの手紙に返事も書いてきた。そしてステージでみんなに相応しいパフォーマンスもしてきた。そして今、僕はみんなの支えが必要なんだ。みんなが僕を見捨てないってことは分かってるけど。」 |