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Tsukitaro in London | ![]() |
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1994年初夏、ギリシャ出張の途中でロンドンに立ち寄りました。もちろんギリシャも良かったけど、まずはロンドンのページです。イギリスといえば、BBC(英国放送協会)。月太郎は小・中学生の頃にBBCの日本語放送を聞いていたことがあります。そしてイギリスといえば、ビートルズ。というわけイギリスは憧れの国、個人的「一度は行ってみたい外国」のベスト3にランクされていました。
短い間でしたが、とても充実したひとときを過ごすことができました。僕にとって初めての海外=ロンドンでの体験を聞いて下さい。
海外初夜 | ポールの観光ツアー | アビーロード・スタジオ | 背中が痛い!
海外初夜 1994/06/04 eveningこの日は13:35成田発、18:30ロンドン(ヒースロー空港)着。
直行便があまり多くないこともあって目的地であるギリシャへは直接行かず、往復ともロンドンで1泊でした。日本〜イギリス間の時差は8時間なので、実質約13時間の空の旅になります。移動中のバスの窓から見える、生まれて初めての外国の街並みにしばし感動も覚えたものの、着いたのが夕刻だったこともあり、ホテルに着いたらあとは寝るだけ。知人のポールさん(後述)に電話で連絡した以外、何もしなかった。
ホテルの部屋にガウンが置いてあったのにも感激し、思わず着流してしまった(笑)。あ、そうそう、夜の時間帯になってもなかなか外が暗くならなくて。これも異国情緒をたっぷり与えてくれました。
ポールの観光ツアー 1994/06/10 afternoon
本来の仕事(アテネで開催された国際海事展への参加)も終わり、再びロンドンへ。10日の朝は8:20にアテネを発ち、10:15ヒースロー空港へ到着。お昼前には Cumberland Hotel にチェックインできました。あとは翌11日のお昼まで自由行動、というわけで今回は時間もたっぷり。リバプールも脳裏をかすめたけど、どうやらここから1日で行くには遠すぎました。というわけで、聖地・リバプールは次回のお楽しみ。
さて普段は行き当たりばったりで全く計画性のない月太郎も、今回ばかりはロンドン初夜(6/04)のうちに手を打っていたのです。ロンドン郊外に住む知人のポールさん(Mr. Paul Davis=写真)に連絡を取り、ホテルで約1ヶ月ぶりの再会。
話は前後しますが、ポールさんはもともと僕の妹たちがイギリス旅行に行った際の知り合いで、彼はこの年のゴールデン・ウィークに日本を訪れたのです。日本在住の経験もあるポールさんも長崎は初めてだったそうで、僕と母がガイドになって長崎を観光したのです。したがって今回、ポールさんは僕のために「案内がえし」をしてくれた、ということになります。
ホテルで再会を果たしたあと、ポールさんは「外人ツアーへようこそ!」と言ってバスと地下鉄のフリーパス(写真)を僕にくれました。ポールさんがガイドを勤める「ロンドン観光」の始まりです。ダブルデッカーで移動、町中を歩いてイタリアン・レストランで遅い昼食。その時にCarnaby St.は通りました。でもアップル社屋(Savile row でしたよね?)のほうには行きませんでした。今更ながら、ちょっと足を延ばせば良かったと後悔しております。
しかし、日本人にもおなじみのロンドン橋やビッグ・ベン、バッキンガム宮殿など数々の名所をほとんど半日で見て回るという、信じられないほど充実した内容でした。ただパブで飲んだビールが膀胱に溜まり、トイレに行きたくなったのですが、夕方になって公園の公衆トイレは閉まってるしでかなり慌てました。それからロンドンの電話ボックスには日本同様「風俗関係」のチラシがベタベタ貼ってあり、感動した?僕は記念写真を撮ってしまいました。
アビーロード・スタジオ 1996/06/11 morning
ロンドン最後の朝。St.John's Wood駅からの道のりを、地図とにらめっこしながら歩いて、まずEMIのスタジオを発見しましたが、すぐ近くの交差点にある横断歩道があの「世界一有名な横断歩道」であるという確信が最初はありませんでした(ゼブラ模様も違ってたし、歩道に立っている標識も『ABBEY ROAD』のジャケットではフレーム・アウトしている)。スタジオ前で居合わせた、テキサスからの観光客(夫婦2組)に訊ねてみると、同じ悩みを持っている様子。結局「やっぱりあれがそうだ!」ということで、彼らの記念写真撮影が始まりました。
「旅の恥はかき捨て」という言葉は、テキサスにもあったのか。1人が靴を脱いで3人で横断歩道を何度も何度も往復。ご婦人1人が中央分離帯?でカメラマンを担当。(僕がシャッター押すから4人で歩いたら?と提案したつもりですが、通じなかったのかな…)車の量が増えてきた時間帯で、クラクションを鳴らされたりしながらもカメラマン婦人の「もう一回!」の声で撮影は続く。まるでアメリカの喜劇を見ているようで、とても楽しかったです。
彼らの愉快な撮影会が終わったあとでお願いし、自分も数枚撮ってもらいました。でもあのジャケット写真は路上から撮影されたもので、できあがった写真と見比べると、かなりアングルが違っていたのが、ちょっぴり残念でした。今度行く時にはまったく同じアングルで(できれば4人で)と思っていますが、はてさて、いつになることやら。機会があれば、リバプールも訪ねたいです。あ、そうそう、スタジオの近所にあるポールの持ち家もしっかり確認しました。
翌日は Abbey Road から戻ったあと、出発までのわずかな残り時間でEMI本社ビル(『PLEASE PLEASE ME』のジャケット写真撮影場所)を見てきました。立ち止まっている時、なぜか物乞いのおじさんに声を掛けられてしまいました。以上が、ロンドンでの2泊4日で到達できたビートルズゆかりの地です。残りは次の機会に、必ずや!!
背中が痛い! 1994/06/12最後の最後でとんでもない目に遭いました。帰りの飛行機で長時間横になれなかったせいか、日本に着く頃にはぎっくり腰のような症状に陥ってしまったのです。成田空港に着いて解散したのですが、重い荷物を抱えての移動の途中で何度か気絶しそうになりました。東京から長崎に戻るまでが大変長い道のりとなりました。