JIMMY WINSTON、本名JAMES LANGWITHは1945年4月20日にロンドンはストラトフォード生まれ。栄光のスモール・フェイシズ(以下SF)初代オルガニスト。
彼はどんな人だったか?と尋ねられて一言で答えるなら「ロック界のいじめられっ子」。いじめられっ子とゆー枠の中なら、かのブライアン・ジョーンズとタメ張れる位の人です。
そんなJIMMY WINSTON(以下ウィンストン君)の悲運な青春時代とその後を辿って行きたいと思います。文献によっては諸説ある場合がありましたので、その辺は言及していきたいと思っています。情報、お寄せください。
バンドの要、スティーヴ・マリオットはモーメンツ、フランティックスとゆうR&Bバンドを率いていてましたが、あまりにもヘタクソが多いので新バンドを結成しようと画策してました。いつものようにマリオットが楽器屋でバイトをしてるとロニー・レーンがギタリストからベーシストに転向する為にベースを買いにやってきます。
そこで意気投合した2人は早速新バンドを結成する事になります。マリオットがギター、ボーカル、ロニーがベース、ドラマーにロニーのバンドでドラムを叩いていたケニー・ジョーンズを迎え、残るはオルガン奏者です。
そこで目をつけられたのがマリオットの楽器屋の常連でモーメンツ、フランティックスのメンバーだったウィンストン君。ウィンストン君は元々ギタリスト。悪友マリオットからSF結成に誘われます。
以下マリオットとロニーの会話。
マリオット「なぁ、ロニー。ジミーってヤツがいるんだけどさ、そいつにオルガン弾かせたらどうかな?」
ロニー「へぇ、ジミーってのはオルガン持ってるのかい?」
マリオット「いや、ヤツはモーメンツのギタリストでオルガンは持ってないし、弾けないよ。まぁ、オルガンは何とかして買わせるさ。それよりジミーの家はパブ経営してるんだ。ほら、ラスキン・アームズ・ホテルの中にあるパブさ。しかも楽器運搬用のバンも持っている。パブで練習も出来る、ギグも出来る、バンも手に入る。どうだい?ジミーを一応メンバーにしておけば一石二鳥どころか一石三鳥だぜ!!」
誘われた理由が音才ではなく付加価値だったウィンストン君。バンドやり始めの高校時代とかによくある話です。これは古今東西共通なんですね。いよいよSFの結成です。バンド名は「SMALL FACES」。ウィンストン君を除くメンバーの背が1メートル68センチ以下と低かった事(SMALL)と街の顔役(FACE)という意味を込めて。
守備よくウィンストン君にオルガンを買わせ、早速練習開始。とはいうもののいきなりオルガンなんて弾ける訳がありません。マリオットの指導の下、必死になって練習するウィンストン君。なんとか様になってきたところで、数曲のR&Bのカヴァをレパートリーにギグを開始します。
デビュー・ギグはシェフィールドの「MOJO CLUB」で行われ、2回目以降はジミーの両親がレスター・スクエアに新たにオープンさせた「キャバーン・クラブ」(ビートルズが巣立った同名クラブとは別)のハウスバンドとしてギグを続けます。
その荒々しいステージは噂を呼び、チケットは毎晩売り切れの人気を博します。その人気に目をつけたマネージャーのドン・アーデンはSFと契約。アーデンの手腕は見事で、デビュー・ギグからわずか2ケ月のスピードで1965年8月5日、デッカから「WATCHA GONNA DO ABOUT IT」をリリース、続いてTV番組「READY STEADY GO!」への出演でSFの人気に火がつくことになります。
あっとゆー間に時の人になったSF。ちょっとスター気分になったウィンストン君はこの頃に本名のジェイムス・ラングウィスからジミー・ウィンストンの芸名を名乗ってしまいます。これが幼少の頃からスター街道を歩んできたマリオットのカンに触る事になります。
マリオットは言いました。
「何だよ、ジミーのヤツ。ちょっと売れた位で芸名を名乗るとはスター気取りだね。だいたいロクにオルガンも弾けないクセに生意気なんだよ!」
因みにウィンストン君はマリオット、ロニーよりも1歳、ケニーとは2歳年長です。年長なのに無理やりオルガン弾かされたにも関わらずイジメられるのが、悲しい。
この頃からウィンストン君とメンバーの仲は悪くなって行きます。無視され孤立するウィンストン君。
ウィンストン君も「このままでは」と危機感を抱いたのでしょうか?オルガンは諦めたのか?「昔とったきねづか」のギタリストとしてSFに貢献しようと思いはじめます。練習ではディストーションを唸らせ、遂にはギグでも勝手に持ってきたギターをかきむしり、派手なステージ・アクションでマリオットより目立つようになってしまいます。
これが更にメンバーの気分を害する事になります。善かれと思ってやった事が裏目に、やる気が空回りしてしまったようです。
ただただ暴走するウィンストン君を眺めてるしかなかったメンバー一同。ロニーもケニーもウィンストン君の行動にはもううんざりだったのです。特にマリオットの怒りは凄まじいものであったでしょう。
続くシングル「I'VE GOT MINE」が全くの不発に終わると、アーデンとロニー、ケニー、マリオットは「やっぱ、ジミーか・・・」と考えます。
そんなある日、悲しい事件が起きます。
1965年11月2日、ライシアム・ボールで行われるギグにいつものようにウィンストン君が急いで駆けつけると、すでにオルガンの前には別の人物が座っていたのです!
彼の名はイアン・マクレガン。ロンドンでは名うてのオルガニストでウィンストン君とは「月とスッポン」な人です。
そう、何も告げずにウィンストン君はクビになっていたのです。しかもその日のギグでは実際に演奏はせずに、弾くフリだけをしたマクレガン。まさしく新メンバー、マクレガンの御披露目ギグだったのです。
ウィンストン君はその時、どんな気分だったのでしょうか?やりきれない気分だった事は間違いないでしょう。
マリオットは回想します。
「ジミーは何でクビになったかって?そりゃ、マックの方が音楽的に優れてるのは誰の目にも明らかだろ?それとジミーの持ってたバンが壊れちまったしさ。すでに用無しさ。あ、肝心な事忘れてたよ。(背が高い)ジミーがいるとSMALL FACESじゃなくなるからね!」
なるほど、背の高さも丁度いいマクレガンが加わって文字どおりの「SMALL FACES」になった訳です。
マクレガンがメンバーに加わって、ケニー・ジョーンズは次のように語ってます。
「ジミーがいなくなってマックが入った時は本当に嬉しかった。今までどれだけのものが欠けていたかよく解ったよ」
ウィンストン君がいなくなった続く3枚目のシングル「SHA-LA-LA-LA -LEE」は皮肉にも大ヒットします。
さて1966年、SFのデビュー・アルバムが発売されます。このアルバムはウィンストン君も4曲参加してるにも関わらず、ジャケット写真にはウィンストン君の姿はなく、メンバー紹介にも名前はありませんでした。ウィンストン君は「ないもの」として抹消されてしまったのでしょうか?悲しい。
バンドを追われてしまったウィンストン君。この悔しさをバネにして自らのバンド、JIMMY WINSTON & HIS REFRECTIONSを結成します。今をときめくSFの初代オルガニストとゆう事を売り込みの武器としてデッカから「SORRY SHE'S MINE」でデビュー。この曲はSFのデビュー盤にも収められている曲です。マネージメント上の都合でウィンストン君は元SF、だったらSFの曲をやらせようという事でウィンストン君が無理矢理カヴァさせられた。とゆう説もあります。
しかし世間はすでにウィンストン君の存在など忘却の彼方。シングルは全く売れずに、リフレクションズは電光石火に解散してしまいます。
しかしウィンストン君、負けずに次なる新バンドを結成します。その名はWINSTON'S FUMBS。1967年にRCAからシングル「REAL CRAZY APARTMENT」を発表します。後にも先にもこのシングル1枚こそがウィンストン君の全てなのです。(詳しくはディスコグラフィ参照)これを発表してなかったら彼はただの負け犬で終わっていたかもしれません。
しかしそれでも世間はまだウィンストン君の存在は忘却の彼方。これまた全く売れずに即解散してしまいます。時代が目覚めてなかったのでしょうか?
それからというものビッグになり続けるSFを尻目にウィンストン君は音楽シーンからひっそりと姿を消してしまいます。
1969年、SFからマリオットが脱退。事実上のSF解散。
数年後、ウィンストン君は何故かミュージカル「ヘアー」で全裸で暴れ回るといった役をこなします。一体、ウィンストン君に何が起きたのでしょう?ヤケになったのでしょうか。
1976年〜1977年、時代は巡ります。SFの往年の名曲「LAZY SUNDAY」と「ITCHYCOO PARK」がリバイバル・ヒット。それに呼応したのかSFが再結成され、2枚のアルバムを発表するとSFの名は再び世間に響き渡ります。ここで沈黙していたウィンストン君が再び動き始めます。SFの人気にあやかって再び脚光を浴びようと思ったのか突然シングル「Sun In The Morning」を発表します。これがどんな内容で、売れたのかどうかは不明です。恐らく売れなかったでしょう。時はパンク全盛期、オーソドックスなロックは既に時代遅れになってしまっており、SFですら過去の栄光だったのです。ましてやウィンストン君ならば。
その後、ウィンストン君の消息は不明です。
80年代中頃にフリーク・ビートの小ブームが起こり、リフレクションズ、ウィンストン・ファムズのシングルが再評価されます。リリースの枚数が少なかった事、内容の素晴しさから高値がつけられ全世界のコレクターから注目の的となります。大体ウィンストン・ファムズとリフレクションズが150〜200ポンド(3〜4万円)の激高値がつけられるようですが、76年のシングル「Sun In The Morning」は4ポンド(笑)えらい差です。
そして近年のSFリバイバルで再びウィンストン君の名は「初代SFのオルガニスト」という事で人々の記憶の片隅に残っている事でしょう。
ウィンストン君の悲運に終わった60年代、僕達にはもうカッコいいロックスターの伝説なんていらないと気付いた。神格化されたジミヘンよりジムモリスンよりシドヴィシャスより、ウィンストン君のイジメられ話の方がよっぽどリアルなんだ。大好きなルーツミュージックを演りながら潰えたロニー、死ぬ間際までパブにしがみついて唄ってたマリオット。彼等がどんなに人間らしい事か。俺がウィンストン君、SMALL FACESを愛する理由はそこにもあるのかもしれない。