多甚古村、たじんこむら
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村人のプロフィールと近況


 村人は播州赤穂で生まれました。現在の兵庫県相生市です。

 その時家族が住んでいたのは、大阪府高石市ですが、母方の両親が赤穂に住んでいたのです。

要するに母親の実家で生まれた、ということです。

 幼少の頃の村人はそれはそれは、とっても可愛い男の子でした。

 そんな村人も28才で結婚と言うことになりましたが、これがひょんな事から養子とい

ことで、現在の地に住まうこととなりました。

 多甚古村は静かな良いところですが、大阪府富田林市(20才の時引っ越し)に住んで

いた村人にとってはもの凄いカルチャーショック。とりあえずパッチと長靴を買いました。(笑い)

 だってね、大阪に住んでいるときは家の前からバスに乗れて、そのあとは地下街やら

アーケード歩くだけなので、冬は温かいしパッチも長靴も必要無かったのです。

 ところが、多甚古村では最寄りのバス停まで、なんと4キロもあるのです。

 おまけに標高400メートル。冬になると寒いの寒くないの。結婚した当時の家は

茅葺きだったのでよけい寒かったのでしょうが。真冬の朝ともなると台所にある

コップの水が凍っていたりで、室内温度氷点下。屋外ではマイナス10度前後。

 これはもう、村人に取っては驚異としか言い様の無いことでありました。

 そこで最初に買ったのが「パッチ」「股引」「ズボン下」なのです。

 その次が「長靴」現在でこそ道は完全舗装されましたが当時は地道だったのです。

 大阪では見ることの出来ない物ばかり。驚きの連続でした。

 でも、そんな多甚古村に住んではや23年。今では生まれてからずっと住んでいる

人間の様な顔をして暮らしています。

 「住めば都」というけれど、多甚古村には、大阪などの大都市では感じることが出来

無くなった素晴らしい物、自然の風や空気等が当たり前にそこにあります。

 人間や獣が。木や風や雨が一緒に存在します。ワラビやゼンマイ、蕗やタラの芽

アケビもあります。

 昔から日本人の周りにあったごく当たり前の物が、当たり前に存在します。

 一昔前の普通の風情、景色、原風景というべきものです。

 この素晴らしい多甚古村を一人でも多くの人に紹介したくてページを作りました。

 なお、多甚古村と言うのは本当の名前ではありません。

正式な名称は「奈良県奈良市誓多林町」(「せたりんちょう」と読みます。)です。




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