1998

1・4  東京ドームで横浜ベイスターズの鈴木尚典外野手、三浦大輔投手をセコンドに従え、越中との一騎打ちに快勝。またこの日東急ホテルでの『97プロレス大賞授与式』での97年度MVPを受賞。

1・24  東京・渋谷のスポーツクラブで蝶野、武藤、天山、H斉藤のNWOジャパン勢が横浜ベイスターズの鈴木野手、三浦投手との合同トレーニングを敢行。

1・29  新日本プロ事務所で記者会見を開きNWOの裏部隊“アリストトリスト”の設立と、所属選手第一号選手、ビッグタイトンの新日本マット参戦を発表。

2・7  札幌中島体育センターで武藤と組み中西、小島を相手にIWGPタッグ初防衛戦。小島をはね折り固めで破る。

2・15  日本武道館でNWOジャパン・シングル・コンバット7。蝶野は越中と対決するが、エビ固めで破れる。

4・4  東京ドームで武藤と組み橋本、西村組を相手にIWGPタッグ王座防衛戦を行う。蝶野が西村を破り2度目の防衛に成功。

4・13  佐賀スポーツセンターで天龍と4年ぶりにタッグで激突。天山と組んで天龍、越中組と対戦するが、天山が天龍にフォール負け。

4・20  武藤が膝の手術のため長期欠場となり、新日本プロは武藤、蝶野組の保持するIWGPタッグ王座を返上扱いすることを発表。

6・3  大阪府立体育館でIWGPタッグ王座決定トーナメントが開催。蝶野は天山とのコンビで出場し、準決勝で佐々木、山崎を破り王座決定戦に出場決定。

6・5  日本武道館で天山と組天龍、越中とIWGPタッグ王座決定戦。天山が越中を破り第34代王者に返り咲く。

6・15  WCWマンデーナイトロ・ニューヨーク州ユニオンデール大会に天山とともに出場。カオス&レイジのハイボルテージに快勝。

6・18  WCW『サンダー』ペンシルバニア州フィラデルフィア大会でD・スミス、J・ナイトハートを相手にIWGPタッグ戦を敢行。反則負けでで初防衛に成功たが新日本プロはタイトル戦と認めず。

7・2  岩手県営体育館でS・ノートン、M・ウォールストリートと組み橋本、中西、小島と対戦。橋本をエビ固めで破る。

7・15  札幌中島体育センターで天山と組んで天龍、越中を相手にIWGPタッグ王座防衛戦。蝶野が天龍に敗れ、王座転落。

7・20  WCW『マンデー・ナイトロ』ユタ州ソルトレイクシティ大会にG・ムタとともに出場。A・ライト、ディスコ・インフェルノ組に快勝。

7・31  両国国技館におけるG1クライマックス・トーナメント一回戦で中西を羽折り固めで破る。

8・1  両国国技館におけるG1クライマックス・トーナメント二回戦で越中を羽折り固めで破る。

8・2  両国国技館におけるG1クライマックス・トーナメント準決勝で山崎に裏アキレス腱固めでやぶれる。

8・8  大阪ドームで藤波の持つIWGPヘビー級王座に挑戦。STFで勝利を収めIWGPヘビー初戴冠、第22代王者に輝く。

8・22  天山、H斉藤とともに横浜スタジアムに駆けつけ横浜ベイスターズを激励。鈴木尚典野手、三浦大輔投手にIWGP奪取を報告。

8・23  CS放送のサムライ!チャンネルで『蝶野&武藤の電波ジャック!〜アリストトリスト〜』と題した90分番組が放送される。

9・7  台湾における『ワールドプロレスリング』放送開始記者会見に武藤と共に出席。現地のファン、関係者から大歓迎を受ける。

9・10  大宮市体育館でWCW世界タッグ王座挑戦者決定リーグ戦がスタート。蝶野は天山とのコンビで出場。

9・19  愛知県体育館における公式戦で橋本、山崎に敗れ.優勝決定戦進出ならず。

9・20  前日の名古屋体育館で首を負傷し、この日の金沢大会より欠場。

9・21  この日大阪市内の病院で精密検査を受けた結果「椎間板脊椎症」と診断される。新日本プロは大阪府立体育館での蝶野のベルト返上を発表。

10・20  新日本プロ事務所で記者会見を行いNWOジャパンの分裂騒動の張本人でもある武藤に対し「除名もありうる」と警告。

10・30  東京・青山学院大学の学園祭『青山祭』で講演会に出演。

11・11  首の治療のためドイツへ渡る。11月21日に帰国。

12・5  横浜市内で開催されたベイスターズ鈴木野手、三浦投手のトークショウにゲスト出演。

12・7  天山、小島、ヒロ斉藤と共にハワイでのミニキャンプへ出発。出発直前には「武藤の保護者はごめんだ」とコメント。