最近の特急列車の話題や、その日のできごとなどを日記として書き並べるページ。 千葉への自転車旅(2003.12.23) 今日は快晴で、冬らしい澄んだ青空が広がった。遠くの景色までくっきりと見え、そう寒くもないので 快適だ。 「トレンクル」を持ってりんかい線に乗り、新木場から京葉線に乗って葛西臨海公園へ。広大な面積を 誇る公園で、海に沿って人口の松並木が作られ、東京湾の青色も鮮やかだ。ここから国道357号線に沿って 千葉の臨海部を走る。高速道路と併設された広く立派な国道で、交通量が多いが、 歩道も広いのでわりと走りやすい道だ。 ディズニーランドのそばを通り、浦安市から市川市に入ると、それまでの住宅地から工業地帯になる。京葉間の埋立地は、高度成長期の当初計画では、ほとんど工業地域になる予定だったはずで、その 本来の目的に沿った土地利用といえる。武骨な工場が続き、産業廃棄物や廃自動車などがうず高く積み上げ られている。化学工場もあり、国道357号線を往来する多数のトラックの排気ガスとあいまって、異臭が 感じられるほど空気が悪い。一刻も早く、脱出したくなる。再び景色が平和な住宅街に戻ったときは、 ほっとしたのであった。 船橋の巨大ショッピングセンター「ららぽーと」とスキードーム「ザウス」、野鳥が訪れる谷津干潟の 脇を走り、行く手には幕張新都心の新しいガラス張りの現代的な高層ビル群が迫る。ここから、花見川に沿って、内陸に向かってサイクリングロードを走る。すぐに景色は、湾岸の人間離れしたビル群や 工場群とうって変わって、平和な農村風景となる。しばらくは川沿いによく舗装道路が整備されていて、 思い思いにのんびりサイクリングを楽しんでいる人が多い。水田地帯に網のように走る高圧電線の 鉄塔が、いかにも郊外の風景を感じさせる。千葉県は、都心に比較的近いところでも、 鉄道網の合間に、かなり広大な農村地帯が残っていることがよく分かる。残念ながら舗装されたサイクリング道路は途中までで、後は砂利道となり、トレンクルには少々走りづらくなる。 京成線の勝田台付近から、国道16号線と県道を通り、千葉ニュータウンまで走る。広い田んぼの上に、 丸い夕日が落ちようとしている。水平線の向こうに、幻のように高層ビルが点々と 建つのが見えてきた。千葉ニュータウンは、開発状況も中途半端で、駅前はきれいに整備されて いるがガランとした印象の強いショッピングセンターと、広大な空き地が同居し、全体に荒涼とした 気配が抜けない人工都市であった。 「ムーンライトながら」の旅(2003.11.4) 東京〜大垣間を走る名物夜行列車「ムーンライトながら」に、久々に乗車した。一晩中座って夜の東海道を移動し、安くあがるものの、疲れが残る。社会人になってからは、自由に使えるお金は増えたが、休暇が大幅に減り、この列車からは足が遠のいていた。 列車は、祝日の月曜夜で人も少ない深夜の東京駅を発車する。乗客はやはり学生と思われる若者が多いが、高齢者などもおり、 多様である。深夜まで話し声が絶えない夏休み時期と異なり、車内はいたって静かだ。帰宅列車として湘南付近まで乗っていく客も、若干見られる。この列車は373系電車になってから だいぶ経つが、新しく清潔な感じで、座席のつくりもしっかりしていて快適である。併走する京浜東北線の通路に立つ疲れた帰宅客を見ながら、 旅に出るこちらは別世界の気分である。 横浜までは休日の深夜でも賑やかであるが、それ以降は、ホームに立つ人はほとんど見られなくなり、森閑としたホームに静かに発着する列車 はいかにも夜行列車らしい雰囲気になる。一部の車両が自由席として開放される小田原では、オフシーズンでも乗ってくる客が多く、 それまで半分弱だった乗車率は7〜8割まで埋まり、なかなかの盛況となった。列車は、山の斜面に立ち並ぶ湯河原や熱海の温泉ホテル群の灯火を見晴らしながら、 カーブの多い海沿いの線路をたどっていき、丹那トンネルを走り抜けてJR東海区間に入ると、それまでよりぐっと速度を上げ、甲高いモーター音とともに快走する。 一眠りして、列車は静岡に着いた。午前2時台だが、静岡で降りる乗客が意外に多いのがこの列車の特徴で、3分の1ほどは下車してしまう。次の浜松では停車時間が34分もあり、その間に寝台列車の「出雲」や「サンライズ瀬戸・出雲」が上り線に静々と運転停車して出て行く。また上下線とも、コンテナを多数連ねた長い貨物列車が、轟音を響かせ駆け抜けて行く。短編成のローカル列車ばかりになった昼間の東海道本線だが、深夜には創業時より続く大幹線の風格を残した長距離列車が多く、不断と別の顔を垣間見せる。豊橋でも34分停車。半分以上は空席になっており、体を横にして熟睡する客が多い。眠れなかった乗客も、ここまで来るとさすがにうとうとしており、ホームに人影もなく、時が止まったかのようである。 豊橋から先は各駅停車となり、名古屋行きの初列車としての使命を担う。眠っているうち、私の隣の空席も埋まり、続々と乗客が増えていく気配を感じる。名古屋の手前で目が覚めると、背広姿の客が通路にまで立っており、夜行客と同数くらいにまで通勤客が増えていた。寝ぼけた長距離客と、東京の朝と同じような緊迫した雰囲気の通勤客が共存しているのがこの列車の面白さだ。今や新幹線では2時間かからずに着いてしまう名古屋だが、非日常的な深夜の風景を経て6時間以上を要する列車だと、はるばる別世界にたどりついた気分になる。 名古屋からはまた乗客も減り、9両から6両編成になり、早朝の濃尾平野を駆ける。広々した平地を線路はまっすぐ貫いており、名古屋から一駅走ると、もう市街地の切れ間に田んぼが広がりはじめる。恵まれた線形で、名鉄との対抗関係もあるため、のんびりした東京の列車と異なり、駅間では120km/h近くまで加速し、軽快な車輪の音とともに快走する。高架の岐阜からは山が近くまで見え、長良川、木曽川の長い鉄橋を渡り、大垣に到着した。隣の西明石行きの普通列車に向けて、乗り換えのダッシュが繰り広げられるのは、昔から変わらない。 携帯自転車「トレンクル」を購入(2003.8.30) 自転車と電車との共存を目指して、ナショナルとJR東日本が共同で開発した、折りたたみ式の自転車「 トレンクル」を今日購入した。重さはわずか7.5kgで、ワンタッチでコインロッカーに入るほど小さく 折りたたむことができ、盗難や不法駐輪の問題もなく、普通の荷物と同じ感覚で買い物や食事のときに携帯することも可能である。 まず、車体が軽いため、ペダルを踏むと加速が鋭く、走行抵抗が小さいのでスピードも落ちにくく、 疲れない。 変速はないが、上り坂もスイスイと進む。車輪が小さいので、高速運転には向かず、安定性も20km/h くらいを超えると心もとなくなってくる。あと問題点としては、ブレーキの効きがあまりよくないという ことがある。それでも、総じて街なかを細かく乗るのなら、クロスバイクやマウンテンバイクよりも、 小回りが利いて疲労も少ない気がする。高速で街と街の間を走り続けるのには向かないだろうが、スピードさえ犠牲にすれば、軽くて疲れが少ないので意外に長距離も行けるかもしれない。今後の研究課題である。 走っていると、車輪が小さい華奢な外観のため、普通の自転車に比べ、歩行者や車に「軽く」見られていることが分かる。直前を遠慮なく横断され、自動車に道を譲られることもぐっと減った。本気で走れば かなりスピードが出る乗り物なのだが、他人から見た感覚はそうではないようで、慣れるまではこちらも 注意する必要があるようだ。 さて、最大のメリットである「輪行」であるが、これまでの自転車と比べ重さは1/2〜2/3くらいで、 階段の上下や乗換えの苦痛はだいぶなくなった。通勤電車の場合、普通の自転車なら、固定しておくために、座席に座らずそばに立っている必要が多かったが、トレンクルならば普通の荷物と同じ感覚なので、 大幅にストレスが軽減された。ラッシュの混雑時でも、持ち込みはあまり問題ないだろう。 総じて、非常によくできた機種である。ほとんど普通の自転車と別の乗り物というような感じだが、 都市間や山へ行くときは普通のクロスバイク、街なかを走るときはトレンクルと、使い分ければ有効 だと思った。おかげで、もっと気軽に自転車旅行に行こうという意欲が出てきた。 トレンクルは、自転車愛好者にはそのよさを評価されているようだが、むしろ、あまり 自転車に慣れていない一般の人にも 気軽に使えるような魅力を持っており、もっと新しい形の自転車と旅のスタイルが、広く普及することを期待したい。 「トレンクル」で水元公園、柴又へ(2003.8.31) 翌日はさっそく、「トレンクル」で小旅行へ出かけた。水元公園、柴又は、目黒の自宅から自転車で 走れなくはないが、途中は交通量の多い道が続く。かといって輪行するには短距離過ぎるし、電車も 混んで乗り換えが多い区間である。まさに、「トレンクル」の初旅行にうってつけと思ったのである。 水元公園は、古利根川の流れを残した湖、湿地が広がり、野鳥の集まる一帯もあるなど、かなり広い 公園である。広い水面の景色は、やはり人の心を和ませてくれ、多くの人が湖のまわりでのんびりと休日を過ごしている。柴又はそれほどじっくりは見なかったが、駅から柴又帝釈天に続く商店街の雰囲気は、 昔ながらのおもちゃ、和菓子、定食屋などが軒を連ね、古い看板や建物も残っていて、単なる観光化された名所といって切り捨てきれない魅力がある。 ここまで自転車小旅行を楽しんだ後、後半は鉄道の小旅行に移る。大きな自転車の輪行では、必要以上 の乗り継ぎは面倒で、もう自転車の行程が終わったら帰りたくなるところ。これも「トレンクル」だから こそなのだ。 北千葉の鉄道小旅行(2003.8.31) まず、京成高砂駅から、千葉ニュータウン方面へ向かう。ここは、京成本線、北総開発鉄道線、京成金 町線が集積する一大ジャンクションで、都営地下鉄や京急からの乗り入れ車もあり、多種多様な車両が 行き来し、鉄道ファンには見飽きないところだ。さらに、これだけの機能を持つ駅なのに構内はカーブしたホームが2本で狭苦しく、しかも金町線と京成本線は平面交差になっている。 金町線の上り列車が下りホームに入ってきて、その列車が引き上げると、同じホームを下り特急「スカイライナー」が通過、カーブのきついポイントを、窮屈そうにゆっくりと走り抜けていく。駅のすぐ東には大踏切が2つもあり、下がっていく遮断機の下を猛スピードで自転車がくぐり抜ける。こういうせせこましさは、いかにも昔の私鉄という感じで、当事者は使いづらいだろうが、見ていて味わい深い。 北総開発線の列車は、発車すると高架線に上がり、その先は半地下、地下区間が続く。一挙に近代的 な線路になり、先ほどの京成線とのギャップがまた面白い。掘割で無機的なコンクリート壁にはさまれた駅は、JR武蔵野線の駅を想起させる。北総のジャンクションである新鎌ヶ谷を過ぎると、千葉ニュータウンの区間に入るが、周りは荒涼とし、森林、水田と高圧線鉄塔の群れという、典型的な町はずれの景観になる。 線路の両側が、没になった成田新幹線計画や、高速道路の計画を見込み、広い草ぼうぼうの空き地になっているため、余計車窓の荒涼感が強い。多摩や港北のニュータウンほど、開発・入居が進んでいない せいもあろう。その核となる千葉ニュータウン駅は、近づくと水平線の向こうに高いビルとマンションが 何本かパラパラとあちこちに立つ風景で、日本というよりアメリカの郊外に酷似しているように見えた。 東京〜大阪の移動はやはり新幹線?(2003.8.9) 先日、大阪方面に新幹線で出かける機会があった。仕事を終えた後、東京駅を8時少し前に出る「ひかり」 に乗る。長距離列車としては遅い時間だが、続々と客がホームに集まってきて、列車は満席で混んでいる。まわりは同じように仕事を終えたワイシャツ姿の人々ばかりで、オフィスと同じような雰囲気であり、仕事が終わったような気にならないのは、 さすがに天下のビジネス路線・東海道新幹線というべきだろうか。 多摩川を渡ったあとの急カーブを過ぎると加速し、夜の灯がともったマンションや民家のすぐ脇を猛スピードで走り抜けていく。駅弁を食し、ビールを飲むとだいぶくつろいだ気分になる。やがて眠くなり、あとは大阪までほとんど眠ったまま過ごした。 近年は割引運賃の導入が進んだ航空のほうが鉄道より割安になるケースが多く、東京〜大阪間の旅客 は近年、だいぶ航空のシェアが大きくなってきている。しかし、細切れな乗り換えがあり、空港からのアクセスにも手間がかかる航空では、新幹線ほどくつろぐことはできない。3〜4時間程度の距離ならば、新幹線がやはり有利となるのではないかと感じた。 今年の10月には品川新駅が開業して東京の西部、南部からのアクセスはよくなり、同時に「ひかり」の多くが速い「のぞみ」に変わるとともに、「ひかり」は途中駅へいっそうきめ細かくとまるようになるなど、大きなダイヤ改正がなされて新幹線の利便性が大きく向上する。これにより、近年押され気味だった 航空との力関係も変わり、新幹線が盛り返すことを期待したい。 アメリカ見聞記(1)ニューヨーク (2003.7.14) 7月、故あってアメリカのニューヨークとデトロイトへ行く機会を得た。途中に観察した「交通」「街づくり」という観点に絞って書いていくことにする。まずニューヨークの マンハッタン島は、古い高層ビルが狭いところに密集する様が圧巻。日本ならば、新宿西口のように、高層ビルはまわりにスペースをゆったり残して建てるものだが、ニューヨークは密度濃く並ぶ 欧風の石造りの建物が、そのまま上に拡大した町並みになっている。 そのあいだを足しげく往来する名物の黄色いタクシーに乗れば、手軽に移動できる。運転手は、中米など移民の主たる職業だろうか。世界一高い日本のタクシーの半値以下である。車線数の多い街路が、碁盤目状にビルの間をまっすぐ切り裂いて伸びる。街路の多くは一方通行で、左右に荒っぽく曲がり、ぐいぐい車線を変えて走り回るタクシーの運転ぶりに都会の活気を感じる。 仕事の合間、セントラルパークを歩き、自然史博物館を見る。セントラルパークは都心にありながら皇居にも匹敵するような広大な公園で、起伏もけっこうあり、木々に囲まれた道は森閑とした谷間に降りて行く。本当にここから抜け出せるのか不安になってくるほどだ。マラソンやサイクリングは盛んで、平日の昼間でも市民が汗を流している。健康への関心は高いが、1リットルほどもあるコーラを軽々飲み干し(中には「ダイエットコーラ」を選んで気を遣っているような人もいるが、それでもコーラの巨大さは同じ)、巨大なビフテキを食べ、通勤も買い物も自動車、というのが多くのアメリカ人の日常生活でもある。日本では考えられないような横幅を持ち、バスや飛行機の狭い座席には到底はまり切らず、割り増し料金が必要と思われるような体躯の人たちも、男女問わず多く存在している。 公園を抜けたところの自然史博物館は、世界各地、とくにアメリカだけあって中南米の民族・文化史、歴史が充実。質量とも充実した史料に、ビジュアルで分かりやすい解説をほどこし、見るものをその世界に引き込む。わが国の博物館は斜陽気味で、欧米の主な博物館の展示と幅広い人気ぶりにはなかなかかなわない。本来は、仕事でこの街に来ていたのだが、異国の展示を眺めていると、もう頭が完全に心地よい「旅行モード」になっていく。 アメリカ見聞記(2)デトロイト(2003.7.14) ニューヨークから2時間、ミシガン州のデトロイトは、都市圏人口400万人。アメリカを代表する自動車会社のフォード、GMが圏内に本社を構える工業都市である。行ってみると、わが国の街では見たことのない、独特の都市構造になっている。まず、これだけの大都市なのに、鉄道や路線バスがほとんどなく、縦横に走る高速道路を使わなければ移動そのものができない。 郊外の家々は、優雅な別荘地のように、鬱蒼たる森の中に散らばっている。高級住宅地では、成金趣味とも思えるようなギリシャ建築をあしらったような巨大な邸宅が、ゆるやかな芝地と木々の間に散在し、田園調布などわが国の尺度でいう高級住宅地の何十倍もの敷地規模がある。 大雑把に言えば、郊外には白人の富裕層、都心近くには黒人で貧困な層が住み、後者の地域の治安は悪い。 一方、都心部は、かつての公民権運動時の白人と黒人の対立、治安の悪化などで、住民や自動車工場・研究所が郊外に流出してもぬけの殻となってしまい、廃屋と空き地が続く。欧米式の石造りの建物は構造が丈夫なので、使われなくとも朽ち果てず、窓などは打ち付けられたり割れていて、入口にはシャッターが下り、木造家屋の廃墟とは違った凄みがある。現在、都心部の人口は、最盛時の半分の約90万人。「廃墟マニア」には垂涎の景観かもしれないが、廃屋に凶悪犯などが潜んでいる場合もあるといい、恐ろしげである。 白人と黒人の人種問題、治安の悪化、臨海部の工場で行う重工長大産業から郊外の研究所を主体とする知識集約型産業への転換、都心へ大量の人を集める鉄道から幅広く分散した郊外間を移動できる自動車への転換といった要素により、アメリカの都市は多かれ少なかれ、都心が衰退する「インナーシティー問題」を抱えているが、デトロイトは自動車産業への依存度が強く、また人口に占める黒人の割合も高かったことから、それがとくに顕著に現れているようだ。 街の真ん中には新しいオフィスビルが建設され、なんとか都心に活気を取り戻そうという取り組みがなされてはいるが、街を支える自動車産業自体が成熟産業で今後の大幅な発展が難しいこと、住民の間でも「都心」と「郊外」を住み分ける意識が強いこと、郊外から都心の核へ人を集めてくる大量交通機関(鉄道)が整備されていないことなどで、この街の復興への道はなかなか険しいように思われた。 ニューヨークはさすがに大都会。都市圏人口は東京がニューヨークを上回っており、繁華街などを瞥見した限りでも、街としては東京のほうが大きいと思う。ただ、いうまでもにないが、国際的な政治、経済、文化の影響力では、東京はニューヨークには到底かなわない。一方、デトロイトは、アメリカの田舎都市という印象。このような街のほうが、日ごろなかなか触れることのないアメリカの素顔を垣間見られるともいえる。 長野・ビーナスラインを行く(2003.6.22) いよいよ夏が迫り、蒸し暑くなってきた。私は東京に住むが、長野は手近な涼しさを味わえる場所である。新宿8時2分発のE257系の特急「あずさ」は、臨時列車で空いていた。さほどスピードは出さず、揺れも騒音も少なくて余裕のある新型車両の走りである。新宿を出て約2時間、八ヶ岳と南アルプスの峰々にはさまれて、小淵沢付近を通るとき、車窓から涼しさが漂ってくるかのような心持ちになる。 茅野で下車し、バスで車山高原まで上り、そこで自転車を組み立ててビーナスラインを走る。茅野から美ヶ原の高原まで至る観光道路で、かつては有料だったが近年無料開放された。もう標高は1500メートルを越えており、風はさわやかである。景色も高山のもので、高い木はなく、黄緑色の草原の中に点々と赤いレンゲツツジが咲き、そのあいだを道路がカーブをきって先のほうまで伸びている。途中の八島ヶ原湿原は、枯れた植物が分解せずに長年堆積してできた静かな湿原で、山あいに平らな草地が広がり静かな趣だった。扉峠を過ぎて、急傾斜の狭い山道を下り、風がどんどん蒸し暑くなるなか、松本へ向かう。 帰りは高速バスで新宿へ戻る。バスは密閉された空間で揺れが大きく、快適さは鉄道に劣るが、値段はJRの普通列車なみで安い。さらに、自転車の輪行で大きな荷物を持っている身としては、停車駅ごとにドア付近の自転車が邪魔にならないか、倒れないかなどと気を使わなくてすむのがよい。バスならば、始発で床下のトランクに自転車を入れてもらえば、そのまま終点まで運んでもらえる。ただ、これまで遭遇したことはないが荷物が多い、トランクが小さいなどの場合、そもそも自転車を運んでくれないという可能性もゼロではないのだが。高原を満喫する間もなく、あっという間に日帰りで東京へ帰ってきた慌しい旅であった。 関西旅行の雑感(2003.5.6) ゴールデンウィークは、関西に出かけた。一見東京と似た大都会のようだが、独特の雰囲気を持っている。わずか二日間の旅だったが、気に留まった点をいくつか述べる。 旅をした5月4日は、甲子園で阪神対ヤクルトのデーゲームがあり、阪神が勝利。阪神は現在首位を独走しているせいもあってか、大阪界隈は阪神のユニフォームを着た人々が目立った。近年、サッカーのユニフォームを着た人々がずいぶん増えた代わりに、一昔前は子どもが皆かぶっていた野球帽などを見ることは稀になった。そんななか、この地のもはや信仰に近いまでの阪神人気を感じる光景は印象的であった。 週末とあって繁華街は新宿や渋谷と変わらぬような人出で混み合っていた。日ごろ行きなれた土地なら何も感じないが、知らない土地でこのような人の大群に巻き込まれると、なにやら恐ろしげな気分になるのは不思議だ。 大阪駅から徒歩10分の便利なビジネスホテル「ホテル関西」に泊まった。行ってみるとなんとラ○ホテルや風×店の並ぶ一角にあり、しかもそれらの店の看板にもまったく負けないような怪しげな巨大ネオンで、「ホテル関西」という案内が掲げてある。室数は700以上あり、独房のごとき狭く殺風景な部屋だが、都心の便利な立地のわりに値段は4200円と格安。なんとも関西らしい機能、実質、商売本位という感じがした。 帰りは近鉄特急で名古屋へ抜けた。連休とあって8両の長い編成だったが、満席でにぎわっていた。停車駅の多い「乙特急」で、途中駅での乗り降りが激しく、気軽に利用されているようだった。とくに、青山峠の前後の山岳区間は印象的。坂に強い高速電車の走行を前提に作られた路線であり、カーブが少ないが勾配は急になっており、ジェットコースターのごとく100km/h前後の高速で、ぐいぐいと緑濃い山間を上下する。JRの路線の山越えは、坂に弱い蒸機や貨物列車のため勾配をゆるくして山肌をぐるぐると巻きながら上るパターンか、あるいは最近の新線によくみられるカーブは少ないが長いトンネルだらけという形態のいずれかだが、そのどちらとも異なる独特の乗り心地であった。 東京〜房総、アクアラインの効果は?(2003.4.20) 週末、房総半島の南部へ、自転車を持参して出かけた。往路は「ビューさざなみ」に乗り、特急料金が100km以上乗ると高くなるので木更津で下りて、接続のいい普通列車に乗り換えて安房勝山で降りる。房総半島の茫漠たる山間部を自転車で走り回り、帰りは「マザー牧場」で有名な鹿野山から佐貫町に出る。ここから列車で東京に戻るのもよいが、自宅は目黒で西側にあり、総武本線では行くのが不便である。木更津で降りて、東京湾アクアラインのバスを使ってみることにした。 バスは木更津駅前のロータリーから出ており、品川や東京行きもあるが、もっとも本数が多くて待ち時間が短かった川崎行きに乗る。事前の座席予約は不要で、気安く乗れる。渋滞はなく、60分で木更津駅から川崎駅についた。浮島〜川崎間は高速道路の工事中で、この区間が完成すればさらに10分は早くなるだろう。 川崎からまた電車に乗り換えて、結局目黒の自宅までの所要時間はは、内房線の特急に乗った場合よりやや遅いが、JRの普通列車よりはやや早い程度であった。値段はJRの普通列車なみである。バスは普通列車より車内が落ち着いていて、必ず座れ、しかも普通列車よりやや早く着くので、それなりのメリットはあるようだった。 そして川崎というやや半端な終点ではなく、もともと房総方面への便がよくなかった渋谷や新宿を始発とした木更津方面へのバスがあれば、乗り継ぐ回数も減ってだいぶ便利になるのではないかと思った。せっかくのアクアラインなのだから、有効に使えるようなバスのサービスを期待したい。 |