北海道の特急列車


 地平線まで見晴らすような畑、原始のままの湿原、まっすぐ伸びる道路。雄大な景観が広がる北海道は、特急列車も「内地」の本州とは一味ちがう。人口密度が低く都市と都市のあいだが離れているため、全国的に長距離特急列車が少なくなった今でも、北海道では4〜5時間走りとおす特急が多く残り、札幌から各方面への夜行列車も健在だ。電化区間が道央に限られるため、ディーゼル特急が多いが、JR北海道はスピードアップに活発に取り組んできており、高性能の新型気動車がエンジンをうならせつつ、広々した大地のなか、電車顔負けの豪快な高速運転を見せてくれるのも魅力である。

 現在は北海道の特急網は、道内で最大の都市の札幌を中心としているが、歴史をたどると、昭和50年代前半までは、青函連絡船を介した本州との連絡がもっとも重視され、函館が道内の特急・急行のネットワークの中心だった。いまでは、東京などから北海道へ行くときは、ほぼすべての乗客が飛行機を利用しているが、昭和40年代までは、飛行機は鉄道より2〜3倍以上かかる高価な乗り物で、丸一日かけて鉄道と連絡船を乗り継いでいくのが一般的だった。函館で本州からの青函連絡船の乗客を受けて、「おおぞら」(函館〜釧路)、「おおとり」(函館〜網走)といった、広い北海道を横断するスケールの大きな特急が運転されていた時代もあったのだ。

 特急車両は1961年以後、キハ80系が用いられてきた。1960年代以後、全国の地方非電化路線にも、幹線なみのサービスレベルの特急網を拡大した立役者であるが、キハ80系は出力が弱く、最高速度は特急としては物足りない100km/hにとどまり、上り勾配ではさらにひどく速度が低下した。耐寒設備も不十分なため、厳寒の北海道の冬での運転には、苦労が多かったようだ。1980年より、こうした問題点を改めるべく、性能を向上して高速化し、耐寒・耐雪設備も強化したキハ183系への置き換えが開始された。キハ183系化を機に、それまでの特急に連結されていた食堂車はなくなっている。1986年11月、キハ80系は定期特急運用から外れた。国鉄がJR北海道になってからは、キハ281系(「スーパー北斗」)、キハ283系(「スーパーおおぞら」)、キハ261系(「スーパー宗谷」)といった振子機能や高出力機関を搭載した新型車が続々登場し、以前の列車よりもずっと速く、快適な座席で旅ができるようになった。




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