「スーパーまつかぜ」 キハ187系  鳥取・米子〜益田


 「まつかぜ」は、1961年10月、山陰初の特急列車として、キハ80系により京都〜松江間に登場した。山陰地方の人口が多くないことを考えると、かなり早い特急の設定であったが、運転開始後好評を博し、1964年には京都〜博多間を運転する長距離特急列車に成長した。最盛時は13両編成で食堂車も連結し、堂々たる一級の特急列車であった。

 しかし、山陰本線は線路規格の低い単線が続き、スピードは上がらない。「まつかぜ」は線路、車両の両面で改良はなされず、表定速度は60km/h程度と老朽化するキハ80系という1960年代そのままの姿で長年走り続けた。 その結果、航空や道路の発達、「やくも」等新幹線経由の特急の整備により次第に 旅客を奪われ、時代遅れの存在となっていった。1985年に米子止まりとなり、1986年には福知山線の 電化に伴い系統自体が廃止された。

 2003年10月、キハ187系気動車によりそれまで鳥取・米子〜益田に運転されていた特急 「スーパーくにびき」が、鳥取〜米子間の線路改良完成に伴う増発とスピードアップを期に、 「スーパーまつかぜ」と改称された。「スーパーまつかぜ」はグリーン車のないわずか2両の編成であり、客層も関西圏、山陰圏、 北九州をダイナミックに直結することを目的としていた往時の「まつかぜ」と異なり、鳥取・島根両県の 圏内ローカル輸送のみを目的としている。地味な装いではあるが、振子装置と高出力エンジンを装備した キハ187系は、それまでのキハ181系特急列車よりも鳥取〜益田間で1時間近く所要時間を短縮し、直線の多い鳥取〜米子間では表定速度90km/hを越える俊足であり、山陰の鉄道輸送を改善した功績は大きい。

 このように、時代に見合って大きく姿を変えつつも蘇った「スーパーまつかぜ」だが、鉄道ファンとしては、伝統の名門特急名の復活により、時代に取り残されもはや人々に忘れられつつある山陰の鉄道が、栄光を取り戻す契機となることを期待したい。


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