「しおかぜ」 8000系 2000系  岡山〜松山・宇和島
「いしづち」 8000系 2000系  高松〜松山・宇和島
「ミッドナイトEXP高松」 2000系  高松→伊予西条
「ミッドナイトEXP松山」 8000系  松山→伊予西条






 1972年3月、山陽新幹線の岡山開業を機に、接続する特急の輸送体系が整備されて、四国にはじめて特急が登場した。キハ181系気動車により、特急「しおかぜ」が高松〜宇和島・松山間を結んだ。本数は3往復と少なく、同区間の輸送はその後もしばらくは急行が主役として活躍し続けた。1986年11月には、新たにステンレス車体のキハ185系気動車が投入され、急行の格上げにより「しおかぜ」は大増発されてほぼ1時間ごとの運転となった。

 1988年4月には瀬戸大橋が開通して、四国の特急列車は岡山への乗り入れが実現し、系統が再編成される。このとき、予算本線では、岡山始発の特急は「しおかぜ」の名称をとり、高松始発は新たに特急「いしづち」となる。岡山〜松山間は3時間13分で結ばれ、従来の宇高連絡船経由より1時間30分ほど短縮されて大幅に便利になった。当初「しおかぜ」は5往復、「いしづち」は9往復で、両列車あわせて予讃本線の特急は1時間ごとで運転されていた。

 1990年11月には、JR四国は新たに振子式気動車の2000系を投入して「しおかぜ」に投入し、岡山〜松山間は20分短縮して2時間48分で結ばれた。さらに1993年3月には予讃本線の電化がなされて、最高130km/hの8000系振子電車が投入され、岡山〜松山間のもっとも速い列車は2時間31分にまで短縮された。このとき、1972年以来走り続けたキハ181系気動車が、四国から消滅した。予讃本線のルートは平地でも建物が多くて細かいカーブが多いが、列車は体を傾けつつ、そこをさほど速度を落とさずにダイナミックな走りで進んでいく。

 「しおかぜ」はJR四国の最も重要な系統として整備が進められ、増発により、現在では、岡山で毎時「のぞみ」に接続して1時間ごとに運転されている。予讃本線が単線で増発が難しいなか、「しおかぜ」「いしづち」双方の1時間ヘッドを確保するため、大半の列車が宇多津駅で高松からの「いしづち」と分割・併合を行っているのも特徴である。なお、盆・年末年始の輸送ピーク時には、需要の高い「しおかぜ」の座席数を確保するため、「いしづち」は系統分離されて高松〜多度津間のみの運転となり、高松からの乗客は多度津で「しおかぜ」に乗り継がなければならない。瀬戸大橋線の開通当初は「いしづち」の方が本数が多かったが、現在では人気の高い「しおかぜ」のほうが増発され、「いしづち」は脇役的存在となっている。

 なお「ミッドナイトEXP高松」、「ミッドナイトEXP松山」は、ともに2001年3月に設定されており、その愛称のとおり、高松発は23時40分、松山発は22時40分と遅く、全席自由席で、深夜の帰宅客の便を図っている列車である。全国の特急の中では、夜行を除けば最も運転時間が遅い部類であり、経営環境 が厳しいなか、僅かな需要も 取りこぼさないよう努力するJR四国の意気込みが感じられる列車とも言える。

 
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