只見線小紀行


 新潟県から福島県にかけて深山を行く日本屈指のローカル線「只見線」に、東京から日帰りで乗りに出かけた。高崎までは新幹線「あさま」号で、高崎からは上越線の普通列車に乗る。一眠りするうち、もう普通列車は山間に入っていた。並行する利根川には、前日の台風が降らせた大雨のため、濁流が渦をまいて流れている。終点水上は、谷の奥にあるためホームは狭くてカーブしている。ここで、長岡行きの普通列車に乗り換える。夏休み期間のみ、上越国境を直通する臨時列車だが、学生の旅行者が多くてほとんど満席で賑やかだ。長い新清水トンネルを抜け、土樽を出ると下り勾配の線路はぐるりと大カーブを描く。山あいにホテルやリゾートマンションの高い建物が目立つ越後湯沢を過ぎ、魚野川沿いの平地が開けはじめると、小出に到着する。

 只見線の2両編成のキハ40系気動車は、今どき珍しい非冷房車である。旅行者のほか、自動車免許を持たない学生の年代を中心に、案外地元の人も乗っていて、座席はよく埋まっている。走り出した列車は、静かな農村の谷間をゆっくりさかのぼる。沿線には派手なチェーン店の看板や大きなビルなどは皆無で、コンクリートの建物は学校と穀物倉庫くらいしか見当たらない。やがて谷は狭まり、列車は緑濃い林の間を進む。全開の窓から車内に、木々の香りがいっぱいに入り込み、バッタや蛾などもどんどん飛び込んでくる。長大な六十里越トンネルで、新潟県と福島県の分水嶺を過ぎる。暑かった車内には、一年中気温があまり変わらないトンネル内の冷たい空気が吹き込む。ずっと上り坂が続き、エンジンのうなり音は大きいが、列車の速度は上がらない。音だけが空回りして、前に進まずにトンネル内に閉じ込められているような錯覚にも陥るが、サミットを過ぎればエンジン音が軽くなり、列車は見違えるように快走をはじめる。

 トンネルを抜けると、山間に群青色の水をたたえたダム湖や、巨大な田子倉ダムの構造物が断続する。山深い中、1日に3往復しか列車の来ない無人駅に丹念に立ち寄っていく。ほとんど利用客はいないのだろうが、こじんまりしたきれいな待合室が整備されているところが多い。そんな駅にも、帰省のためか荷物を抱えて若者が降り立ち、ホームで待つ笠をかぶった老いた母親が、満面の笑顔で出迎える。

 谷が開けはじめて会津盆地に入っていくが、列車の速度は悲しくなるほど遅い。会津坂下のあたりで、遠くに会津若松の市街地を見晴らすところまで来ても、ぐるりと盆地の3辺を迂回し、さらに表定速度約30キロの鈍足ゆえ、会津若松に着くまでは40分近くを要するのであった。

 会津若松からは快速「ばんだい」と東北新幹線を乗り継いで東京へ戻る。磐越西線はカーブが多く、駅設備も古い路線であるが、只見線に乗った後だったため、455系電車の加速がひときわ鋭く、軽やかな走りに思えたのであった。



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