東北新幹線が開業する前の東北本線は、特急の大通りであり、在来線としては限度いっぱいの列車本数が設定されていた。輸送力増強のため、1978年のダイヤ改正では、特急を15分程度スピードダウンさせる代わりに増発を行うという措置がとられたほどであった。1時間あたり最大で特急が4本、急行2本が走るというパターンダイヤを採用し、上野発でみると00分(主に仙台行「ひばり」)、03分、30分、33分が特急、06分、36分が急行の枠になっていた。これに上越・高崎線、常磐線の長距離列車が加わり、それらがひっきりなしに出入りする上野駅は、まさしく日本の東半分の主要列車を一手に引き受ける大ターミナルであった。
1960年代前半までは単線・非電化の細道が続いていた東北本線は、急速に近代化工事が進められて、1968年に青森までの複線・電化が完成し、線路改良により最高120km/h運転が行われ、在来線の幹線としては輸送力・速度とも最高水準に達していた。 新幹線が開業したいま、東北本線は2両編成の普通列車が1時間に1本しか走らないような区間も多く、新幹線開業前の華やかなダイヤとの落差はあまりに大きい。ただ長いホームと広い駅構内だけが、往時の面影を伝えている。 特急 1982年当時、特急列車は上野から仙台まで4時間15分、青森まで8時間45分で結んでいた。1978年に特急のスピードダウンが行われており、それ以前は上野〜仙台間が3時間58分(表定速度87.8km/h)、上野〜青森間が8時間15分(表定速度89.2km/h)であった。 車両は485系と583系を使用し、「ゆうづる」「はくつる」と「はつかり」は昼夜兼行で上野〜青森を長駆走破していた。 最も速い列車は、上野を夕刻に発車し青函連絡船の深夜便(1便)と特急「おおぞら」(1D)を乗り継いで翌朝に札幌に到着できる「はつかり」(1M)であり、途中で宇都宮、福島、仙台、盛岡の4駅にしかにしか停車しなかった時期もある。ちなみに、今も上野発札幌行の「北斗星1号」(1レ)は、かつての1M〜1便〜1Dとほぼ同じ時間帯を走っている。 1970年代前半までは、東京〜北海道の長距離客でも鉄道の利用が多かったが、国鉄の度重なる運賃値上げにより、その後急速に航空への転移が進み、1982年の時点では北海道まで鉄道で行く客はごく少数派になっていた。 |
はつかり みちのく やまびこ ひばり つばさ やまばと |
上野〜青森 上野〜青森(常磐線経由) 上野〜盛岡 上野〜仙台 上野〜秋田 上野〜山形 |
はくつる ゆうづる あけぼの 北星 |
上野〜青森 上野〜青森(常磐線経由) 上野〜秋田・青森(奥羽本線経由) 上野〜盛岡 |
急行 急行列車は上野〜仙台間で特急より1時間遅い5時間15分を要し、頻繁に走る特急の陰で目立たない存在になっていた。それでも、仙台以北では急行列車の比重が高く、仙台〜青森間を特急列車なみの高速で結ぶ急行「くりこま」や、複雑な分割併合を行い支線区にきめ細かく乗り入れるディーゼル急行が活躍していた。 |
いわて もりおか まつしま あづま ばんだい いいで なすの 日光 おが |
上野〜盛岡
上野〜盛岡(常磐線経由) 上野〜仙台 上野〜福島 上野〜喜多方 上野〜新潟(磐越西線経由) 上野〜黒磯・宇都宮 上野〜日光 上野〜秋田(奥羽本線経由) |
あぶくま くりこま たざわ きたかみ 陸中 むろね 八甲田 十和田 津軽 新星 出羽 |
郡山〜盛岡
仙台〜青森・盛岡 仙台〜秋田(田沢湖線経由) 仙台〜秋田(北上線経由) 仙台〜宮古(釜石線経由) 仙台〜盛 上野〜青森 上野〜青森(常磐線経由) 上野〜青森(奥羽本線経由) 上野〜仙台 上野〜酒田(陸羽西線経由) |
他の交通機関との比較 1982年には、東京〜北海道間では航空の利用が大部分となっていたが、東京〜東北北部では、時間がかかっても鉄道を利用する客が多かったようだ。なお東北・上越新幹線が開業していなかった当時は、東京から仙台、新潟へも航空便があったが、現在は廃止されている。 東京〜仙台間の比較 1982年
2003年
東京〜青森間の比較 1982年
2003年
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