![]() 東京と京都、大阪を結ぶ東海道は、古来より日本の最重要幹線である。戦前から1950年代前半までは、そもそも特急(「特別急行列車」)は、東海道・山陽・九州のルートにしか走っておらず、他の路線とは「格」が違う感があった。1956年に東海道本線は全線電化が完成し、1958年11月にはそれまでの客車列車から大幅なスピードアップを実現した電車特急の「こだま」が、東京〜大阪間に走り始めた。 しかし、在来線の複線のみで東海道本線の輸送力は不足し、その解消のための線増が必要となった。それも、単に線路を増やすだけでなく、新しい技術を導入した別線を建設することとなった。 こうして1964年、東京オリンピックの開かれた年に開業した東海道新幹線は、踏み切りのない完全立体交差、ゆるい曲線半径(原則として最小で2500メートル。在来線では最小300〜400メートル程度が一般的)、標準軌(レール幅1435ミリ。在来線の狭軌は1067ミリ)、自動列車制御装置ATCなど、それまでの在来線から独立した高規格を採用し、最高速度210キロ運転を実現した画期的な鉄道として生まれた。東京〜大阪間は6時間30分から3時間10分へと一挙に短縮されて、日本の心臓部であり世界でも有数の人口過密地帯である東海道を行き来する乗客は急増した。自動車や航空の発達により、世界的に鉄道は時代遅れの交通機関とみなされていたところであるが、新幹線の成功は、時速200キロ超の高速鉄道が現代の交通として十分役立つことを証明し、その後フランスのTGVの登場など、各国での鉄道高速化を促す刺激ともなった。 東海道新幹線は、ピーク時には東京駅を3分間隔で次々と発車していく。時刻表を気にせずにすむほど頻繁に列車が発車しており、自由席もあっていつでも気軽に乗れるのは、新幹線の大きな長所であり、日本の二大拠点である東京と大阪の間は、通勤電車なみの利便性で結ばれているのである。 このように便利な新幹線ではあるが、車両や駅の規格は新しい設計でどの駅も似ており、機能的な造りで面白みに欠け、車両のバラエティも乏しい。車窓も、高速運転を行うため地形が険しい山地や海岸部分などでは長大トンネルが多くて風景を十分楽しめないなど、旅の味わいには欠ける面が大きい点も否定できない。 BACK |