日々の記録 1999年10月
1999年10月31日 日曜日
本日はカラオケ四線大会でした。恐るべきことに、朝の9時から始まって、大会が終わったのは夜中の0時30分。なんと15時間半も続いたことになります。その後、後かたづけなんかしたら、もう夜中の2時。大会中も、自分のパソコンを使って大会業務をしていたので片時も離れることができず、昼食時に30分ほど席を外した以外はず〜〜っと会場に座ってカラオケを聞いていたことになります。しかし夜中の閉会式までたくさんの人が残っているところがすごいです。さらに参加者のなかには車で5時間ぐらいかけてやってきた人もいる(当然大会終了後に帰る)というのがさらに恐るべしです。日系人パワーは底なしです。
1999年10月29日 金曜日
今日、昼間会館に行ったら、会館裏の中庭みたいなところに迷彩服の人達がたくさんいました。「おいおい、何事か?」と見にいったら、日本の運動会などでよく使うテントを建てています。文協のおじさんの話によると、日曜日のカラオケ大会には大勢の客が来るので建物内だけでは応対できないんだそうです。そのためこうやって屋外のテントで飲み物や食べ物を振る舞うみたい。「だから軍にお金払ってテント借りたんだ。」とのこと。さすがブラジル軍、小遣い稼ぎには抜け目がないんでしょうか。そして建てられたテントは濃緑色の軍隊用でした。
1999年10月27日 水曜日
今日は日本から来た、明海大学の森先生の後援会。テーマはふるさと創成。竹下首相の時に「ふるさと創成資金1億円」というのを各地に配りましたが、その時にできた「ふるさと創成会サン・パウロ支部」の招待です。この町のような小さな町をいかにして活性化させるかを研究している先生です。お話もそういった話しですが、日本人ブラジル人含めて熱心に聞いていました。ただ残念だったのは講演が平日の午前中にあったため、ふるさと創成を支える現役世代の人達があまり集まらず、お年寄りばかりの文化講演風になったところでしょうか。
- ブラジル案内にサン・パウロのアウトドアショップを追加。
1999年10月25日 月曜日
明日は日本から偉い先生がいらっしゃるので行かねばなりません。そして今夜は日曜日のカラオケ四線大会のプログラムの作成で夜なべです。カラオケのプログラム打っていて思ったんですが、知らない曲が多いです。よく目に付いた曲が「人形(おもちゃ)」や「花の時、愛の時」。題名を見ても曲を聴いても分かりません。日本でもカラオケスクールなど行っていたわけではないのでカラオケファン達が歌っている曲を知っているわけではないのですが、日本でもこういったカラオケが歌われているんでしょうか。
1999年10月24日 日曜日
今日は学校ホームページを作るために町の写真を撮りに行きました。住んでいると行っても自分の町の観光なんかあんまりしていないのでいろいろな発見がありました。今回の一番の発見は「お墓」です。町のはずれに墓地があるんですが、あちこちに日本語で書かれた墓碑がありました。たくさんの日本人の墓を見ると、今となっては日系人も少なくなりましたが、一昔前「日本人の町」で名を馳せた頃のことが想像できます。墓によっては渡伯年が書いてあるのもありましたが、大正2年や大正5年などブラジル移民初期のころの移民が多いみたいです。その中に眠る日本人の中の多くが「いつかは一旗揚げて日本に帰ろう!」と思いながらも志を果たすことなくブラジルの土になっていったということを考えるとすこし切なくなりますね。
- 世界の車窓からにリンスとサビーノの写真を追加。
- サンタ・カタリーナ旅行記はもうちょっと待って下さい。半分くらい書き上げました。
1999年10月23日 土曜日
今日もお世話になっているおじさんの別荘で釣りをしてきました。その後の夕食でなぜか銃の話になり、「あんたはまだ銃さわったことないの?じゃあ見せてやろう」ということでライフルやピストルをいろいろと見せてもらいました。
その時、弾丸も見せてもらったんですが、弾頭に穴が開いている弾丸がありました。しかもそのまわりは柔らかそうな金属。「もしかしてこれって当たった後、先が開くんですか?」って聞いたら「そう、ドゥンドゥンって言うんだ。」ってあんたそれダムダム弾やんか!ちなみにそれはピストル・ライフル共用みたいでした。一応狩猟用ということだそうです。その時見せてもらった弾丸の中では一番小さいやつでしたが「これが一番威力あるよ。一発当たればカピバラも死ぬよ。」とのことで、「悪い人はこの穴に水銀流し込んだりするけどね。」との解説も。
その他先が鉛になっていて、当たると先端がつぶれる弾丸とか怖そうな弾丸がたくさんありました。ちなみに全部市販品です。これを見て「ブラジルでは撃たれたくないな。」と改めて思ってしまいました。
1999年10月21日 木曜日
どうも来週日本からお偉いさんが来るらしい。今は懐かしき竹下首相のころの「ふるさと創世基金」のブラジル支部なるものがあるらしく、そこの招きで地域活性化の専門家が講演をするとのこと。ブラジルで二回行う講演の場所がクリチーバとリンスというところがすごいです。月とスッ・・・失礼しました、文協会長の政治力でしょう。そういった人が遠路はるばる訪れると考えると、ここは日本から遠いんですね。
1999年10月20日 水曜日
日本語学校ホームページ計画発動!学習発表会、お話大会と我が校の大きな行事が終わったので、念願の日本語学校ホームページ作成モードに入りました。生徒達に原稿を書かせ、今週末には町の紹介のための撮影に出かける予定。ただ、12月5日に日本語能力試験があり、その対策もあるのでそれほど時間は割けませんが、年内をめどに完成させます。完成の暁には日本の学校と交流だぁ!!
1999年10月19日 火曜日
新聞読んでたらサン・パウロ州で
リーシュマニアという寄生虫による病気がはやっているらしいです。よく読んでたら流行地として僕の住む町の名前があるやんか!!なぜか昼時から夕方になると顔のまわりをブンブン飛んでいる小さい虫「サシチョウバエ」が媒介するみたい。梅毒風の症状を起こすみたいですが、死ぬかどうかは不明。詳しい人に聞いたら「あんたはまだここに住んで間がないから大丈夫だよ。」とのことでした。でも心配だ!!そういえば、町なかにも梅毒風の潰瘍ができている人もいたような。ちょっと今日は一日おなかが痛かったんですが、「もしや!!」などと思ってしまう気弱な僕です。
1999年10月18日 月曜日
毎日学生寮で晩御飯を食べていますが、時間が早い。毎日6時前です。ほとんど入院患者状態です。6時以降授業がないときはそのまま夜まで何も食べない生活にも慣れましたが、夜学なんかがあるときはもたないのでホットドッグ屋によって帰ることになります。ホットドッグと言っても日本のそれよりも豪華で中身も豊富です。そこで毎回ハンバーガーを買って帰るんですが、これも日本のよりもおいしいです。肉にハムにベーコンにチーズに野菜にそのほかいろいろ入っています。ただ、ひとつだけ日本と同じものがありました。「おっちゃんは気前がいい」ということです。いつもおっちゃんというか若い兄ちゃんが作っているんですが、僕は常連さんということでベーコンやハムを2枚入れてくれたりします。今日はその人が作ってなくて若いお姉ちゃんでしたが1枚でした。そういえば、日本のお好み焼き屋なんかでも、毎回かよっているとおっちゃんはエビとか増やしてくれたけど、おばちゃんはそんなことなかったよなぁと思ってしまいました。
なお、サンタ・カタリーナ旅行記は現在書いているところですのでもうしばらくお待ち下さい。
1999年10月16日 土曜日
久しぶりに町ですごす何もない土曜日です。とはいえ昼から知り合いの家でトカンチンスの人が来たと言うことでシュハスコに呼ばれました。そこでしこたまビールを飲んだ後、釣りに出かけ、そこでまたまたしこたま飲んだ後、うどん会なる町の行事に出てきました。さすがに飲み疲れたのでジュースを飲んでいたら、通りかかる人みんなから「あら、先生今日はどうしたんですか?体の調子でも悪いの?」とか「あら、ビールがないじゃないですか?」と言われる始末。本当にすべての人から言われちゃったので最後はやっぱり飲んでしまいました。というか「先生かわいそうね。」とまわりから頂いたというのが本当のところです。生徒から「先生いつもビール飲んでるね。」と言われるのは慣れていたけど、町の人も僕のことを酔っぱらいと思っていたみたい。う〜ん幸せだ!!
1999年10月14日 木曜日
サン・パウロ&サンタ・カタリーナ旅行から帰ってきました。30度を超える灼熱と雪が降る寒さを二週間で体験してきました。さすがブラジル、気候もダイナミックです。なんか頭が旅行ボケしていて今日の授業はボーッとしたままでやっちゃいました。
- 世界の車窓からにクリチバーノス、サン・パウロ、ジョインビレ、ブルメナウを追加。