1998年12月著
私はいつも喋りすぎる。恐らくそれが故友人を作るのが得意でない。
私は貧弱である。それが故他人と対等に渡り合う為には喋るしかなかった、
ということを小さいころから本能的にやってきたのだと思う。
私は黙って耐える程強い子供ではなかったし、貧弱であることの屈辱を
カバーする為には、他人にアトラクティブな意味で注目される必要があった。
注目されることは、自分の存在理由を証明することであった。更に人一倍
凡欲は強かったから、”一人間として扱われる”では満足できなかった。
私はいつも悲しかった、ような気がする。今では悲しみは私の相棒のような
気までする。幼少時代ピアノを習っていたが、当時作曲したものを今思い
起こせば、それはいつも短調であった。私は1970年に生まれた。白黒
テレビの時代である。その頃日本の空は青かったのだろうか。天ノ川は見え
ていただろうか。ザリガニを捕まえることは容易だったし、たまには蛍を
捕まえることもできた。
小学校時代、通知表に教師からのコメント欄があったが、「感受性の強い
子供」と書かれたことがある。「感受性の強い」とは一体どういう意味
なのだろうか。影響を受けやすい子供であったことは確かである。ただし
それはそんなに単純ではない。あるものを自身で消化するには時間がかか
った。それはいつも他人より遅かった。そして一旦消化すると---それは
自分なりの消化であって、”理解”とは異なると思う---そのものに排他的
に影響される。捕り憑かれるといった方が適切なほどに。
世界名作物語シリーズとかいう平日の夕方や日曜の夜7時半くらいから
放映されていたアニメーションは私に大きな影響をもたらしたのではないか
と思う。その多くはヨーロッパが舞台であった。寒い気候、石の建物、
質素な食べ物。悲しい物語が多かった。悲しさは貧困と死へ至る病気に
加え、その厳しさのもたらす人々の冷たさが強くフォーカスされていた
ような気がする。
その中では大人と子供は根本的に違っていた。子供はイノセントであり、
多くの大人はその反対であった。そこに登場する子供達は彼らが悲しみの
中にいるということを理解していないかのようであった。私は悲しかった。
私は同情した。そして、彼らが悲しみを理解していようがいまいが共感した。
そして想像の中で私は彼らと同化していた。私はあの雪のちらつく石畳の
込み入った路地を堅いパンを抱えて一人で歩いていた。
私は空想家であったので、独りで幸せになることができた。悲しみが現実
世界で幸せに転じることはなかったから、空想の中で架空の幸せを創り出し
た。それは空想だから思いのままである。現実世界ではあり得ないような幸せ
に到達することができた。そして”理想の幸せ像”はどんどん肥大していった。
私はマントが欲しかった。しかし本物のマントを見たことはなかった。
日本でマントを着ることはあまり普通ではない。空想中でマントを着た。
現在ではあまり欲しいとは思わない。私は成長しある程度までは大人になって
しまった。一度大人になってしまうと、空想の中だけで幸せになるのは難しい。
現実世界の五感を通して得られるたくさんのことを知ってしまうと、それら
感覚で直接感じられる何かがないと満足できなくなってしまうのだ。
私は力が欲しかった。力があれば空想をする必要がない。力とは最終的には
物理的なものだ。我々が食し排泄し呼吸するという血の通った肉体を維持しな
ければならない限り、力とは物理的なところから離して考えられない。
だから私は物理的なところを超越した力に非常に憧れた。超能力。しかし残念
ながら1998年になってもその実用性はおろか存在すら一般的ではない。
誰も悲しみの中に生きたいとは思わない。また悲しみは共通する経験を通して
しか共有されない。とある集団か何かで特殊な境遇に育たない限り、共有でき
る悲しみを持つ人間に出会うことは簡単ではない。例えば、私や私の同世代
の周囲の人間は戦争を体験したこともない。しかし私には私の悲しみを共有
されることが必要である。それは自分の存在理由を証明することであり、それ
は大人になってしまった私に現実世界での幸せをもたらすこと、つまり悲しみ
が幸せに転化することである。
存在理由の立証方法は攻撃しかない。しかし攻撃をするための手段を習得す
るには私は色々なことに手を出しすぎた。その結果ひとつの手段も習得でき
ていない。あるいは、私は残念ながら天才ではないので手段を習得するには
自分の力だけではできないだろう。しかしながら、ある手段について攻撃が
可能なレベルに到達するまでの手解きを受けることもなく今に至ってしまった。
では、こういった「ヒマ潰し」的なことを考えないというのが違った根本的な
解決方法にもなろう。すなわち存在理由うんぬんなどは一切無視する。
しかし、それは悲しみ以上に悲しくないだろうか。劣等であることに諦めを
つけてしまったら今まで生きてきたことが無意味にすら感じられる。
保守的になるのはよくないかもしれないが、今までやってきたことを全て否定
してしまうのは恐ろしい。手遅れではないかという念から逃れられない。
1歳から30歳までの30年と30歳から60歳までの30年はまったく違う。
しかしそんなことを考えつつも、結局私はこうして攻撃の真似ゴトみたいなこと
をやっている。