アレルギーについて 1998年12月著


私はアレルギーという持病を持っている。アレルゲンが何かはわからない。
調べたこともない。ただし、牛乳がダメとかスギの花粉がダメとか明確かつ
単純なものではないと思われる。具体的な症状として現れるのは、大きく三つ
の病気、すなわち喘息、アトピー性皮膚炎そして鼻炎である。あと、アレルギー
性結膜炎というのもある。現在は動物を飼わない生活をしているが、たまに
他人の家などに行ってそこの猫などをいい気になって触ったりすると目が痒く
なり腫れて…ということになる。ただし、その猫などとも一緒に住み始めたり
すると、すぐに耐性ができるようだということが自分の肉体の経験上言える。
(他の人はどうかわからない、あくまで私の場合)

私は幼少時、喘息に良い、ということで水泳クラブに通った。これは迷信や
プラセボ効果ではなく、実際かなり有効であったようだ。物心がつくようになって
以来、喘息で苦しんだ記憶はあまりない。加えて、水泳そのものも人並み以上
に上手になった。(ただし、好きではない)喘息が止まると、次に相手をしなくて
はならないのは鼻炎であった。小学校中学校高校とずっと鼻炎持ちであった。
これはいつも季節の変わり目にやって来る。経験者ならわかると思うが、これ
もまたツライ病気である。”試験”などのある所で長い時間じっとしていなくては
ならない時、こんな時にこそ鼻炎は一番活発に私を攻撃してくれる。鼻水、
頭痛、酩酊感。風邪のようなものだ。何ごとにも集中できなくなってしまう。
ところが不思議なことは、これが休憩時間になると、ものの10秒でどこかへ
行ってしまうことである。この鼻炎に加えて、ごくごく軽いアトピー性皮膚炎の
症状とが併発していた状態が長く続いた。

アトピー性皮膚炎のその真の地獄に見舞われたのは大学に入学してしばらく
してからであった。ある日、左手の親指がむしょうに痒くなった。一週間後、私
は全身血だらけであった。5分ごとに起きる発作は私に眠ることを不可能と
させた。耳はちぎれ、眉毛は抜け、顔はケロイドのようになり、着ている物は
全て血みどろで、全身から血の臭いがただよう。シャワーを浴びる時が凄か
った。熱湯を浴びることで全身は強烈な痒みに襲われるのだが、これをどうし
ても止められない。痛みと違って痒みというのは我慢できるとか、我慢する
とかいった種類のものではないのである。すなわち、痛みは何をしようと痛い
のだからただ我慢するしかないが、痒みは”掻く”ということができるからだ。
熱湯のシャワーを浴び、その発作に全身は自分自身で”削られ”る。その時、
全身からは大量の出血(骨が見える程まで掻き毟るから)があるが脳はなぜ
か”痛み”の信号をださない。そして発作が収まると、その時初めて脳は痛み
の信号を私の全身に送るわけだ。毎回叫び狂う痛みである。発作の為、眠り
につくことができず、体が消耗の限界にまで達した後初めて眠ることができる。
その後目が覚めると、瞼を開けることができない。リンパ液が凝固して目を
接着剤のように塞いでしまうからだ。手探りで洗面台まで行き、ぬるま湯で
これを溶かして初めて”目”が使えるようになる。耳も同様である。体中の多く
の皮膚を削り取ってしまってあるため、身に付けている服がその代わりとなっ
てしまっている。はっきりいえば、服が体に貼りついてしまっているわけだ。
ただし皮膚の感覚は異常なまでに敏感である。手触りのサラサラした木綿の
Tシャツ等をじっくり見てもらうと、その表面に顕微鏡レベルの毛が見えると思う
が、これが発作を誘発してくれる。何度か死に近づいたようなときもあった。
40度前後の熱で床に臥し、痒みはもはや過ぎ、顔の皮膚は全部無くなって
しまい、上下口唇はその存在が確認できないほどになり、両耳は下から中
ほどまで千切れかかり、顔全体の大きさが二倍近くまで腫れあがった。眉毛も
全て無くなった。すなわち一見火傷患者のような状態になり、2日程意識のあ
る状態と無意識状態をうろうろした経験がある。当時私は独り暮らしをしていた
が、救急車を呼ぶこともしなかった。その時私は死に向かっているような感覚
を憶えたが、それはそれほど悲しいものでもなく、実に穏やかなものであった
からかも知れない。当然だが、私の外観は希望が無い状態になっていた。
それを誰にも見られたくなかった。

私の体験上ではアレルギーの症状というのは一度にひとつしか現れない。
重度のアトピー性皮膚炎で半狂乱になっている時は喘息も鼻炎もない。ところ
で、アトピー性皮膚炎のその本当のところを体験すると、鼻炎などというのは
つらいうちにまったく入らないということを強く言わせていただきたい。鼻炎の
つらさなぞ天国である。また喘息は皮膚炎にひけをとらぬかあるいはそれ以上
につらい。死に直接近いのは喘息である。呼吸できずに窒息死してしまうの
だ。私の父親は若い頃、喘息の発作で週に1,2度救急車を呼ぶ、という経験
があったという。

私の28年間の人生の内、最も私に脅威であり、最も鮮明な記憶と共にある
のはこれら三つのアレルギー症状のうち、アトピー性皮膚炎である。そして
以前程ではないが、今だにこの忌々しい病気は私と共にある。アトピーという
のは”原因不明”という意味である、という話を聞いたことがある。アレルギー
症状のある人間を近くに持たない方は、これらの病気は幼児ないし、子供の
ものと誤解されているかもしれない。40歳になっても50歳になっても、これら
は発病する。そして、高齢の発病は子供よりも症状がひどい場合も多い。
ある医者に相談したところ、60歳まで待ってくれ、と言われた。彼は申し訳
なさそうに”申し訳無いが、根本的処置方法が現在はまったくない”と言い切
った。すなわち、医者による処方は治療というよりは、症状を抑える処方であ
る。ただし、彼曰く60歳を過ぎると症状は落ち着き、またその発病も激減する
ようである。

アトピー性皮膚炎とは非常に醜い病気である。他人に言えない秘密もたくさん
できる。そして、この病気は”精神状態”と非常に深い関係がある。肉体的に
も疲れ、特に精神的にマイナス思考になっている時この病気は猛威を振るっ
てくれる。悪循環である。この病気を持つとただでさえ人間嫌いの傾向に陥り
やすくなるのに(自分の醜い姿を他人に見られたくないが故に、他人を避ける
ようになるから)、それによって精神はもっと内にこもりがちとなり、暗い性格
になる。そして病気はいつまでたっても快方に向かわない。ところが、何か
良いことがあったりして、気分が上を向き、社交的になったりすると、この病気
は(消滅することはないが)大分私に対して友好的な態度を見せるのだ。
つまり、精神的なストレスがこの病気の大きな原因(直接的な原因ではなく
ても間接的に)なのである。

そういうわけで、私はこの病気に対する考え方を変えた。これは先ほど述べ
た、死に近づいた時からの復活の時に始まった。そして、また先に述べた
医者の言うことも肯定的にとらえる努力をしている。すなわち、根本的治療
方法が無いというのであればしょうがない、と考えることにした。そして、この
病気と”付き合う”という考え方に切り替えたのである。これによって私は通常
生活が可能になるまでに回復した。

最後に、もしこれの読者の方で同じくこの病気に苦しんでいる人がいたら
だが、私は”断食”等の集中治療プログラムについては書籍を参照しただけ
で、その実際の効果がどれほどのものかは、私の肉体をもってはわからない。
ただ、私の意見ではそれらのプログラムは通常の社会生活を放棄しなけれ
ば参加できないし、その療養生活も長期に及ぶ可能性も高い。費用だって
ばかにならない。したがってもしそれらが実際かなり有効だとしても誰もが
参加できるわけではない。それよりは普通の病院に行くことをお薦めする。
副腎皮質ホルモンは使用しないで済むのであれば、もちろん使用しないほう
が良い。が、実際一時的に劇的な症状の改善が見られるのだから、症状が
ひどい時はためらわずこれを処方し、そしてすぐに使用を中止する、というの
が良いと思う。一時的な症状の改善によって、精神的にも安定や満足が得ら
れ、それがその状態を継続する要因となるのである。副作用は実際ある。
しかし、現在の西洋医学上では根本的な治療方法が無い、といわれている
のだからしょうがないではないか。そして、その副作用は本来の病気そのもの
に比べたら大したことではない。私はこの方法で最もひどかった状態から回復
後、それ程ひどくない状態(社会生活上でマイナス要因を持つことを告白する
必要がない程度)で六年ほどこの病気と付き合っている。以前はコンタクト
レンズの使用もドクターストップを宣告されたが、現在では大丈夫なのでは
ないか、と勝手に踏み使用を再検討しているほどである。(それくらい個人差
もあるし、状況も刻々と変わる)また、今だに私の頭皮は傷がある時が多い
が、これも無視してパーマネントやヘアダイを楽しむことだってある。
(強烈な痛みは伴うがそれは一時的なものだし、その後の精神状態を考えて
それがペイするのであれば、それ以上のことは考えない。また、これらによっ
て医者に行かねばならぬほどの症状などに陥ったことは一度もない。)

21世紀には因果関係が解明され、根本的治療法が発見されることを願う。





[作者紹介へ]